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読書 乃南アサ(のなみあさ)「行きつ戻りつ」

2006-10-28 13:55:03 | 読書
 12編の短編集。登場人物に名前がない。主人公は勿論、母、夫、義母、息子、娘、姉、不倫相手、友人、昔の恋人すべて。
 主人公は家庭の中年の主婦。唯一名前のあるのは、物語の舞台となる地名だけ。秋田県・男鹿、熊本県・天草、北海道・斜里町、大阪・富田林、新潟県・佐渡、山梨県・上九一色村、岡山県・備前、福島県・三春、山口県・柳井、福井県・越前町、三重県・熊野、高知県・高知市。
                
 ここで主人公の苦悩の心のひだを撫でるように丁寧に描出して、読者の心を震わせページを曇らせる。

 気がついたのは、“悪い嫁ではなかったつもりだ。だが、褒められるほど良い嫁でもなかったかもしれないとも思う。少なくとも、彼女は「嫁」として扱われるのが嫌だった。
 結婚したときから、「妻」にはなったが「嫁」になったつもりはないという、密やかな反発があったことは否めない”この嫁という表現は女性ならではと思う。

 “月明かりの中で、富士は無言のまま、その黒々とした威容を彼女だけに見せにきているようにさえ感じられる。こんな感覚は、生れて初めてだった。
 彼女は「こわい」と思った。恐怖ではない。人間の力など到底及ばない、だが、何かの意思とエネルギーを持っているに違いないと感じられる存在への、明らかな畏怖だった”わたしはこの感覚はよく分かる。
 中央自動車道や国道139号線を河口湖方面に走っていて、突然冠雪した富士山が現れるとき、背筋に寒気が走る感覚を覚える。
 それは毎回のことで、新幹線から見るときはその感覚はない。突然現れないからだろうと思う。

 それから、並行して読んでいるキャサリン・コールターの「カリブより愛を込めて」の中での表現に対照的な記述がある。
 まず、乃南アサの作品で、夫の浮気相手をとっちめるために出かけてきた中年女が出会ったのはその両親。
“「娘は――史絵は、何も言わないものですから。そのう――相手のことは、何も」
「と、仰いますと? では、娘さんが誰かとお付き合いなさってることくらいは、ご存知だったんですわね?」
 夫婦は「はあ」と口ごもるように頷く。その顔には明らかな苦悩の色が浮かんでいた。彼女は、ようやく溜飲を下げる思いで、
「まあ、そうかも知れませんわね」とわざとらしく背筋をのばしてあごを引いた”

 一方キャサリン・コールターは“この事件は低劣で、あの男は聡明さに欠ける。わたしは彼をテレビで観たし、証言も読んだ、哀れではあるけれど、それだけでしかない。
 ただでさえ報道過多なのに、なんでわたしがかかわらなきゃならないの?」腕を組み、軽く脚を開いて、あごを突き出す”

 両方とも威嚇のポーズを表しているが、あごを引くと突き出す、面白い対比だと思う。風土の違いが現れているようで。
コメント
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