
鋸山の日本寺以外にも房総にはもう一つ日本寺があった。これは何気なく道路地図を眺めていて、「日本寺」の赤い文字が目にとまった。それは成田空港の隣町、多古町にある。

きれいなお寺で、山門で写真を撮っていると後ろから声が掛けられた。「もう、ギンナンは落ちちゃったのかな!」と、振り返ると私と余り歳の違わない男性だった。
「えっ、ギンナンですか?」
「うん、いつもは一杯落ちてるんだよ」と言った。そう言いながら周囲に目を這わせていた。一つ二つ拾い上げて「ここのは粒が大きいんだ」
木の葉っぱを見ると、まだ黄色く色づいていない。
「葉っぱがまだ黄色くなっていませんね!」と言ったが納得した様子もない。
わたしは、「それじゃ」と言って山門を入っていった。背後で立ち去る車の音がしていた。

このお寺は、元応元年(1319年)中山法華寺の日祐によって創建されたといわれ、慶長4年(1599年)日円により壇林(日蓮宗僧の学問所)が設置され中村壇林と称して明治初年まで続いた。
中村壇林は、日蓮宗三大壇林の一つといわれている。町指定文化財の山門は、桃山時代から江戸時代初期の手法がみられるという。そして山門の「正東山」の扁額(へんがく)は、江戸時代の初期の書家、芸術家で光悦流の祖である本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)の筆になるもの。

イチョウの木
参拝を終えて先程のイチョウの木の下でギンナンを物色していると私と同年代の人が声をかけきた。
「葉っぱの色が変わってないから、ギンナンはもう少し先でしょう。今落ちてるのは、台風のせいだよ」とのこと。それで納得。しばらくギンナンを探したが、十一粒しか拾えなかった。
