生き物は生まれると同時に死に向かって前進を始める。死ぬまでの時間が生き物の種類毎に決められているようだ。夏の夕暮れ、浮遊するゴミを思わせる小さな虫が、雲霞のように丸く固まりながら移動するさまを見ることがある。
彼らは一体何をしているのだろう。彼らは生殖行為をしているという。彼らの一生は、約五分だそうだ。五分の間に子孫を残そうと懸命な努力をしている。人間も同じで第一の目的が生殖、あとは生きるための仕事に従事する。人間の生涯は、概ね80歳前後が標準だろう。 生殖を終えて、持ち時間の残り少なくなった人間の考えることは、死に直面する恐怖だろう。なぜ死が恐いのだろう。それは死の瞬間のイメージによるところが大きい。
「人間死ぬ時はどんな見苦しい死にざまだって免れない。みんなもがいて、苦しんで、みじめに死んでいきますよ」
これは名脳外科医といわれた医師の言葉だそうだ。この言葉が代表されるように、多くの人の心に苦しみと惨めさに包まれた恐怖が住みついている。
ところが著者の毛利孝一さんは、「ほう、そうかなあ!?」と思う。というのも毛利さんは、長年の開業医で多くの人の臨終に立会い、また死線をさ迷った人にも接してきた。しかも自身、脳卒中や心筋梗塞の体験もあって、「あのまま死んでいたら死ぬというのは楽なことではないか」と、意識が戻ったときの感想だそうだ。
脳卒中の発作の様子が書かれている。「何かぼうっとして、雲にでも乗ったような気分だったことです。それもふわふわした羽根布団にでも包まれているように、寝ている自分の両わきや足もとにオレンジ色の雲がむくむく重なっていて──色も見えました──それに埋まるようにして空に浮かんでいる全く無重力の状態です。
そしてそういう自分の姿をもう一つの自分が、山藤章二さんの漫画の片隅にいる小人のように、隅から見上げて眺めている、という風景です。面白いのは自分を包んでいるその雲の肌触りが、暖かく柔らかく両肘や脚に感じられるのですが、その快い感触は、浮かんでいる自分が感じているのか、眺めている方の自分が感じているのか分からない、両方の自分がその快さを感じているといった奇妙な感じがちらとしたことを憶えています。全体の気分は何一つ苦痛もなければ不安もない、ゆったりとした、最上に安楽な解放された気持ちでした。その心境とイメージが今もわたしの記憶に深く刻み込まれて残っているのであります」
著者は内科医として開業していて死を看取ったのも高齢者が多い。高齢になるほど死にざまは穏やかだそうだ。長生きするほど安らかに死ねるのは確かなようだ。それはある研究報告にも表れているという。
ところで、著者の実体験は誰でも体験できるものでもないし、その原因の究明に至っては一般人には不可能だ。従って確かめる術がない。そこは著者の親切で、いろんな文献から引用されている。
原因については、血液循環が低下して、脳の酸素欠乏が進むと、人々は苦しみを感じなくなるのだろう、と言う。そのとき発生するのがエンドルフィンという物質だそうで、モルヒネのように鎮痛作用があるようだ。
このような体験は、柔道の落ちるという意識がなくなるときが、桃源郷に遊ぶような陶酔感に包まれるという。そのまま絞めていけば死に至る。絞殺というまがまがしいものも、案外殺される方はそれほどの苦痛もないのかもしれない。
さらに登山家の転落体験、ランナーズハイに至るまで詳しく記述してある。しかし、果たして誰でも夢見るように冥界の門を叩けるのだろうか。これには終末医療の問題があるようだ。
末期患者の病室の模様は、病気の種類にもよるのかもしれないが、概ね患者の意識はない。しかし、酸素マスクが鼻から口にかけてあり、点滴がぼとりぼとりと落ちている。手足には血圧計や心電図のバンドが巻かれている。やがて心臓停止のピーという音が響く。
医師は心臓蘇生器で死者を飛び上がらせる。そして「ご臨終です」という医師の言葉。この医師の一分一秒も長く命を永らえさせる行為は崇高ではあるが、患者の立場を考えると素直に頷けないという。
著者も酸素マスクや点滴も本人の意志に従って取り払い安らかな眠りにつかせてはどうか。と体験的に主張している。私もそろそろその局面に対応する準備がいるようだ。この本で少し死の恐怖が和らいだ気がする。
著者は、1909年(明治42年)名古屋市に生まれ、第八高等学校、名古屋医科大学卒業、1946年内科医院を開設。名古屋内科医会会長、愛知医科大学客員教授、名古屋大学講師を歴任。2002年没。