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映画「あさがくるまえに」臓器移植医療の様子が描写される。

2018-06-04 15:58:11 | 映画

             
 結論、多くの人が高い評価をしているが、私は高評価はしたくない。なぜなら臓器提供者(ドナー)と受給者(レシピエント)それぞれに苦悩があるからだ。この映画はその辺をあっさりと片付けている。

 脳死と判定されたのは、マリアンヌ(エマニュエル・セニエ)とヴァンサン(クール・セン)夫妻の息子シモン(ガビン・ベルデット)。早朝から友人二人と大西洋に面したフランス北西部ル・アーヴルの近くでサーフィンを楽しんだあと、帰路アイスバーンで起きた事故でシートベルトをしていなかったシモンが重大な損傷を受ける。

 まず、夫妻が呼ばれて医師から説明を受けそのあとコーディネーターという役割の医師トマ(タヘール・ラヒム)から臓器提供の話になるが、夫妻特に夫のヴァンサンが怒って帰ってしまう。
 観ていて思ったのは、脳死判定をこの病院の医師だけの言葉で納得していいのだろうかということ。明らかに夫妻は脳死判定に疑問を持っている。病因の判定ですらセカンド・オピニオンをいわれる時代。検体の移動が無理なら、CTスキャンの写真判定を他の医療機関に求めるのも一考すべきことだろう。こういうたぐいのセリフはなかった。

 さらに、同意の報告をトマに告げたとき、トマはその理由を尋ねなかった。臓器提供を同意した理由はかなり重要に思う。というのもこれからのドナー説得の参考にもなるからだ。その理由をネットから拾い出してみると
「日頃の言動から考えると、臓器提供は本人らしい」
「どこか一部でも生きていてほしい」
「こんなに若くして亡くなるなんて無念すぎる」
「誰かの身体を借りてでも生かしたい」
「燃えて灰になるだけなら、提供してこの世に残したい」 
「誰かのお役に立つのなら」
「いままでさんざん人に迷惑をかけてきた。最期くらい人のお役に立ってほしい」
「輸血で助けていただいたお返し」
「うちが臓器をほしい側だったら、やっぱり助けてほしいから」等々。どの理由も、家族の意思決定には大切な根拠です。 とある。映画はこのうちのどれだというのだろう。

 引用を続けると、ついでながら誰かを亡くすことは、遺された人々にどのような意味をもたらすのでしょうか?
親の死     あなたの過去を失うこと
配偶者の死   あなたの現在を失うこと
子どもの死   あなたの未来を失うこと
友人の死    あなたの人生の一部を失うこと
(アール・A・グロルマン『愛する人を亡くした時』春秋社)
  死後の臓器提供の究極の意味は何でしょうか? それは「絶望の中の希望」になることだと思います。この世からその人の存在がなくなるという死から、臓器だけがこの世に、別の人のからだの中に残り、その人に新しい生を与える。そのことが、最愛の身内を亡くすという最大の悲しみの中にいる家族の決断で行われる。以上はネットのMediPressからの引用。

 この重大な決断を医師がなぜ聞かないのか、そして「絶望の中の希望」というようなセリフが入っていれば、この映画の印象がずいぶんと違ってくる。

 一方受給者(レシピエント)はどんな人だろう。森に囲まれた洒落た家に住む音楽家のクレール(アンヌ・ドルヴァル)。息子二人を持つ年配の女性。かかりつけ医リシュー・モレ(ドミニク・ブロン)から「心臓が悪くなっている。臓器移植を考えた方がいい」と言われるが「自然の流れに任せたい」と否定的だ。

 しかし、レズビアンのクレールは、今やピアノ・リサイタルを開くまでに成長したかつての恋人アン・ゲランド(アリス・タリオーニ)に会い「もっと生きたい」と思うようになった。

 移植費用はどれくらいかかるのだろう。フランスの制度はよく分からないが、日本では高額医療制度で収入によって負担が違う。一例として標準報酬月額27万円未満の場合、負担は57.600円。ただし、臓器搬送費がくせもの、短時間にドナーから レシピエントに届けなければならない。この映画でも小型のチャーター機を使っていた。

 距離にもよるらしいがヘリコプターをチャーターした場合、30万円から500万円と幅が広い。ドナーがなかなか見つからないという事情もあるが、費用面でも敷居が高い人も多いだろう。

 映画はこれといった押し付けがましさはないが、静謐さの中に問題意識を込めたともいえる。ドナーの両親の苦悩を夫ヴァンサンが仕事に集中することに、マリアンヌの放心状態で表したといえる。

 そして違和感があるのは、医師のトマと検死医がドナーの両親が同意したことを受けてハイタッチに近い仕草をしたのには驚いた。医師の世界では単なる日常の出来ごとかもしれないが、ドナーの両親の立場を考えると軽々にはしてはいけない行為だろう。そのあとトマに真剣な表情が戻る場面にしてある。やんわりと批判しているようにも見える。

 もう一つおかしいのは、題名だ。邦題が「あさがくるまでに」だが、原題は「生活を修復する」の意だし、英語では「生活を癒す」とある。より映画の内容を表しているのは「生活を修復する」だろう。
 別居中だったドナーの両親が息子の死によって、また、クレールも恋人との再生を果たそうとしている。

 感動的なのは、ドナーのシモンから心臓を摘出する場面。血流遮断の前にトマが「待って」と言うが、手術医が「待てない」「待つんだ」とトマ。覆いをかけられたシモンの耳にイヤホーンをかけ「シモン、ご両親だよ。妹さんからキスを、おばあちゃんも、恋人のジュリエットが選んだ音だ」と囁く。波の音が流れる。

 しばらくののちトマは、手術医に頷く。「大動脈遮断 0時45分」今までシモンを支えてきた機器類の電源も落とされる。手術場面はかなりリアルだった。一つの命が去り、もう一つの命が蘇る。

 情緒的には良い映画と言える。論理的にはやや不満が残るといったところか。蛇足ながら素人の推測は、臓器移植もやがて細胞の再生がこの分野にも及び、まるで切り傷を治すように簡単になるかしれない。がんも怖い病気でなくなり、人間がいつ死ぬかが問題になりそうだ。2016年制作 劇場公開2017年9月
  

  

  

  

  

  
監督
カテル・キレヴェレ(女性)1980年1月コートジボワール生まれ。

キャスト
タヘール・ラヒム1981年7月フランス生まれ。
エマニュエル・セニエ1966年6月フランス、パリ生まれ。
アンヌ・ドルヴァル1960年11月カナダ生まれ。
ドミニク・ブラン1962年4月フランス、リヨン生まれ。
ガビン・ベルデット出自未詳 
クール・セン1967年2月フランス生まれ。
アリス・タリオーニ1976年7月フランス生まれ。
コメント
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