ダニエル・デイ=ルイスは、この映画を最後に引退を表明しているらしい。1950年代のロンドン、オーダーメイド・ドレスの第一人者レイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)は、ヒゲを剃り頭髪を整え、靴を磨きドレスシャツの上にフォーマルスーツをまといボウタイといういで立ちで伯爵夫人を出迎える。(この場面、なぜか「My Foolish Heart」が流れる)今宵のパーティに豪華であでやかなドレスをまとって参加できる伯爵夫人は大満足。
このオートクチュールの世界に君臨するには並々ならぬ努力が必要で、生活のすべてがドレス中心というかレイノルズの思索が優先されている。大きな物音、ザワザワとした雰囲気を極端に嫌うという職人肌のレイノルズなのだ。
というのも、朝食の席でも夕食の席でもスケッチブックを持ち込み、アイデアが浮かべばそこにサラサラとデザインされる。問題は、サラサラと描くときレイノルズの頭の中では、いろんなアイデアが錯綜しているはず。その時トーストにバターを塗るカリカリという音やティー・カップに注ぐ音、余計な会話に乱されるとそのアイデアは幻の糸のように霧散してしまう。(題名の「Phantom Thread 幻の糸」というのはこれを指しているのではないかと私は思っている)実に気難しいレイノルズなのである。
レイノルズには、公私とも支えてくれる姉シリル・ウッドコック(レスリー・マンヴィル)がいる。そしてこの姉と弟は未婚者なのだ。レイノルズは、独身主義者だと告白している。さらにレイノルズは、マザコンタイプに見受けられる。
伯爵夫人を送り出した後、レストランで姉弟だけの食事。レイノルズは「しょっちゅう母の夢を見る」と言って溜息。シリルは、気分転換に別荘へ行けばと言う。それはいいアイデアだとレイノルズ。
レイノルズは、夜通し車を運転して別荘近くの街にあるヴィクトリア・ホテルへ朝食に向かう。そこで知り合ったのは、ウェイトレスのアルマ・エルソン(ヴィッキー・クリープス)だった。
アルマ・エルソンの体の採寸は、モデルにぴったり。レイノルズの部屋の隣に住むことになる。気難しい相変わらずのレイノルズ。
しかし、アルマという女性は、その気難しさを受け入れながら最終的にはレイノルズを支配する。いったいどういう手を使ったのか、それは映画を観るしかない。
このレイノルズに限らず本当の支配者は女性ではないかと思わせられる。一例として、夫に先立たれた妻がずーと悲嘆にくれるわけもない。人は生まれ落ちた時から死への旅が始まっているのだ。人にはこれが刷り込まれていて覚悟ができている。
幸いなことに男が先に旅立つ事実だ。夫が懸命に働いて得たものや生命保険金の死亡時給付などもあり住宅ローンも完済となれば、自由な時間と自由にできるお金が魅力的。悲しむどころか人生を謳歌できて笑いが止まらない。最終的に生き残っている妻が実質的な支配者となる。
では、男はどう生きていたらいいのか。趣味に没頭するとか、女の尻を追いかけるとか、あの世でできないことをこの世でやっておくことだ。そうすれば死んだあとに後悔することもない。こんなことを連想させる映画だった。
ウィキペディアによると本作は、批評家・観客双方から称賛されている。批評家10点満点中8.5点。観客10点満点中7.7点。2017年制作 劇場公開2018年5月




監督
ポール・トーマス・アンダーソン1970年6月カルフォルニア州スタジオシティ生まれ。
キャスト
ダニエル・デイ=ルイス1957年4月イギリス、ロンドン生まれ。1989年「マイ・レフトフット」、2007年「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、2012年「リンカーン」いずれの作品でもアカデミー賞主演男優賞受賞。本作でアカデミー賞主演男優賞ノミネート。
レスリー・マンヴィル1956年3月イギリス、ブリングトン生まれ。本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネート。
ヴィッキー・クリープス1983年10月ルクセンブルク生まれ。