近所の居酒屋で横に座った見知らぬ人と話す機会があった。この居酒屋は、10人ほどが座れるカウンター席しかない小さな店だ。
今は高齢となったご夫婦が切り盛りしている。旦那はこういう商売にしては寡黙で必要以外に口を利かない。それに引き換え奥さんの方は、年が60を過ぎていてもどこか色町出身と思われるような仕草や口調が窺える人だ。
客の応対は奥さんが一手に引き受けているという按配だ。一言で言えば楽しい奥さんなのだ。とはいっても色恋沙汰は皆無で性別を気にしての会話などもない。いたって気楽なものだ。
その日も常連連中がわいわいと騒がしく駄弁っているとき、一見の高年の客が私の隣の席に座った。日本酒の熱燗を1本と越前カレイのフライを注文した。私はえっと思った。何故なら、この店の名物が若狭の魚介類だからだ。一見では知る由もない。
「ここのお薦め料理をよくご存知ですね」と言ってみた。「ええ、友達から聞いてたまたまこの近所に用事できたついでに寄ってみたんですよ」という答えが返ってい来た。私もここへ来るのもまさにその魚介類が目当てだった。
お互い差しつ差されつ杯を重ねるうちに口も滑らかになり、誰でもが経験できるとは言えない100歳に話題が飛んだ。要するにどんな気分になるものなのかということ。この店に居合わせた中に100歳は一人もいない。推測するしかない。
そんな時私の隣の人が言ったのは、「実は私は、この近くにある自動車教習所の教官をしています。ご存知のように高齢者の事故が多いということで、75歳以上の人には認知症検査と高齢者講習が義務付けられています。私の体験で一番の高齢者は、102歳の方でした。高齢者講習の最後に技能実習がありますが、その時はビビリましたよ」そして90歳代の人はざらにいますと付け加えた。
それにしても102歳でも自動車運転免許を持ちたいと思い、また視力も衰えていないのは驚嘆に値する。しかし何故、運転免許更新にこだわるのか。とっくに返納してもいい年齢ではないか。
考えられるのは、生きているという社会的に公認される唯一のものだからだろう。他にも健康保険証もあるが、あれは自動的に送られてくるもので検査や技能の実習はない。もう、女性を喜ばせることが出来ない身の存在理由をそこに求めているように思うが。推測は推測でしかない。100歳にならなければ分からないことではある。
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