ジャック・フィニィ「二度目のチャンス」
この短編はあらすじを書くのは難しい。33年前に打ち捨てられた車、ジョーダン・プレイボーイを新車同然に再生し、いつの間にかタイムスリップするというが、余韻のある文体とあっては、全部を書き写さなくてはならない。それは出来ない。
また“もしも、あなたが四十歳より若ければ、ジョーダン・プレイボーイの名を、耳にしたことはないだろう。もっとも、僕みたいに、最新のツートンカラーの57年型車よりも、1926年のマーサーのコンヴァーティブル・セダンや、1931年のパッカードのツーリングカーや、24年型のウィルス・サント・クレアや、31年型の空冷式エンジンのフランクリンのコンヴァーティブル――もしくはジョーダン・プレイボーイ――のオーナーになりたがる類の人なら別だけれども”という文章にも、車名すらすっきり理解できない。
おまけに“スィッチを入れ、点火時期を早めた状態にして、クランクを持って、エンジンを始動させた”や信号で横に並んだ高級オートマチック車とのダッシュレースで、“信号がぱっと切り替わると、男の足がアクセルにかかり、オートマチック・トランスミッションが働いて、顔はすでに笑いが浮かびはじめていた。
でも、そのときには僕も着実かつゆるやかにアクセルを踏んで発進していた。互角の勝負は、僕がこれまで発明されたどんなオートマチックよりもすばやくセカンドに入れたときまでで、完全に先行にて振り返ったのは、笑いを浮かべた僕の方だった”
このクランクを持ってエンジンを始動させたやマニュアル・トランスミッションをセカンドに入れたの二つを過去に目にし、あるいは実際に操作した人は、今では非常に少ないと思われる。それを体験したことを思うと、なんと長い時間を生きてきたのだろうと愕然とする。
この本の主人公の僕ともう一つの主人公でもあるジョーダン・プレイボーイを、著者はどうしても読者にイメージしてもらいたいらしいので、そこの部分を引用しておこう。
“こういう年代ものの素晴らしい車について関心があるかないかはどうでもいい。心の中に思い描いてほしい。シンプルな直線的車体から大きなスポークタイヤの四つ輪がボディーの外にはみだし、リアにしょったスペア・タイアが丸見えの二人乗りのオープンカーだ。
余計な線、無駄な線は一本もつけたしてはいけない。左右のドアは真四角にしてもらおう。ドアにふさわしいこれ以上の形があるだろうか? ボンネットは丸く完全に覆っていて、エンジンには通気が必要だから、両サイドにはルーパー(放熱孔)を書き入れて欲しい。
でも、ただの一本でも不必要な曲線、ぎざぎざ、のたくった線、あるいは丸い開口部を入れてはいけない。そしてラジエーターをはっきり包み隠さず描いてもらいたい。そうすれば、いま僕が軽快に走らせているとおりのプレイボーイが見えてくる。
大きな古木の並木を通して夕陽が斜めに射しかけ、目が痛いほどニッケルメッキにきらきら反射し、濃緑色のボディーは宝石のように光を放つ。美しい、ほんとうに美しい”著者の車に対する愛情を感じるのは私だけだろうか。
ウィキペディアによれば著者(1911.10.2-1995.11.16)は、ウィスコンシン州ミルウォーキー生れ。SF作家、推理作家、ファンタジー作家で、イリノイ州のノックス大学を卒業、ニューヨークの広告代理店でコピーライターを勤めながら、小説を書き始める。1947年、ミステリ専門誌「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の短編コンテストで「未亡人ポーチ」が特賞を受賞した。