先日読んだ「市場リスク 暴落は必然か」に経済理論では「完全市場仮設」があり、市場は効率的で情報は市場価値に織り込み済みであるとの仮定があるが、「市場はランダムウォーク」し、リスクの「後講釈」ならなんでも言えるとある。<o:p></o:p>
経済の変化として、20年前の新理論は、経済政策に「だまされない(can not be fooled)」、なかなか変わらない「粘着性(Stickiness)」などがあった。<o:p></o:p>
賢くなった消費者であり、情報は過多でもある。だまされないはずが同じような「後講釈」がはびこる。原油は200ドルになるという本が、サブプライム関連の本がどれだけ出たか、今は不況本だ。また最近は、手法の模倣が見られ、同じ機能や特徴の品物が溢れる。例えば、白物家電なら、エコ やプラズマ・イオンである。<o:p></o:p>
情報を選択し、だまされないはずが、単一化した情報と製品の「バンドワゴン」にのせられている。さらにその状況が新しいバンドワゴンを呼び込むという、循環する同一情報の再生産が行われている。その原因として情報の量は多いが、発信側も、受信側も見解・理論が無く、右にならえが原因ではないか。企業も同じで、経営方策は右にならえである。世の中が一斉に同一の方向に向きすぎている。更に、情報の量と速度が循環をますます早めている。まるで一団となって泳ぐ習性がある鰯の群れのようだ。これは、身を守る作法か。メディアは本来なら多様な見解を示すのが「差異」であり「矜持」だろう。<o:p></o:p>
日本経済は病んでいないと思っている。アメリカは運転資金が無い、貸し出す銀行も無いという問題な状況だ。その差(収益力、不良債権 等)を良く比較すれば良い。日本国内でできることを考えればこれくらいの経済状況は克服できる。それをさせないのはメディアによる「怯え」だ。貯蓄に向かうのはよい。将来V字回復する原資と思っておれば良い。それにしても、不景気にかこつけた「損出し」、「給与カット」がはびこってはいまいか。<o:p></o:p>
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