義母は、2年間ほど認知症と体力低下、骨折、寝たきりと亡くなるまで弱りゆく姿を見るのが辛かった。
容態急変の連絡を受けて3日後の夜中に連絡を受けた時には、空海弟子智泉が亡くなった時、為亡弟子智泉達嚫文( https://gururinkansai.com/chisendaitoku-byo.html )に「吾飢うれば汝飢う、吾楽しめば汝ともに楽しぶ 哀しい哉 哀しい哉、哀れの中の哀れなり、悲しい哉 悲しい哉 悲しみが中の悲しみなり、哀しい哉 哀しい哉 復 哀しい哉、悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉」の心境であった。
感謝があり、亡くなる3日前に病院に駆けつけ声をかけられたのがせめて良かった。
通夜や葬式などで浄土真宗の講話もあり、蓮如の白骨の御文書「朝に紅顔有りて、夕べには白骨となれる身なり」と阿弥陀如来による浄土への導き、「南無阿弥陀仏」を唱える。都市の鎌倉仏教だ。
当方は真言密教であり、大日如来と空海の「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」や曼荼羅など哲学的な教義に染まっている。「色即是空、空即是色」と存在の論理を考える。「南無大師遍照金剛」を唱える。山岳での修行を行う密教(台密東密)だ。
しかし、亡くなると病院から葬儀会社Cが仕切る。悲しむ暇がなく、色々な手続きと準備に奔走する。通夜と葬式に出席し、もろもろの費用に250万円程、出席者は親族含め20人程だったが。なるほど、夕方のCMに葬式が多いのが分かった。当日は、義母の自宅に駆けつける、下の子供も帰洛した
翌日の通夜は湯灌を済ませ17時から、その後に通夜振舞で語らう
翌々日は11時から葬式、そして花や思い出の品を棺に入れる。世話になった子供たちの手紙なども。好きだったスイカを入れる。京都市中央斎場へ、1時間程待ち遺骨となった義母に世の無常と感じた。
斎場に戻り、そして初七日の式もする。小雨のなか、斎場の飾りの食品や花を持って帰る(浄土真宗の風習らしい)
荊妻はこれから、届け出や名義変更に奔走する予定だ。こちらも何かと支援してゆくつもりだ。支払いもある。
しみじみ悲しむ、哀しむ暇もない。
夫婦の両親とも亡くなると、防波堤が亡くなった感じ。ひたひたと水が足元に上ってくる。悼んでみつつMozart Requiem を聴く