みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

西洋除夜の鐘

2020-12-29 | 旧市街

新年は目の前に迫りましたが、今年はSars-Cov-2のCovid-19パンデミックで一年が過ぎてしまいましたね

ところで・・・
以前、ミヒャエル・エンデが言っていました。

古くは宗教的建築(教会など)が集落の中心だった。現代の大都市の中心には銀行が並んでいる。これは間違いだ。

厳密な文章は思い出せませんが、上のような主旨だったと思います。Die Zeitに掲載されたインタビューだったと思います。
つまり金銭的・物質的なものではなく、精神的な拠り所のある社会こそが、伝統を受け継ぎ持続していく、ということでしょう。


ウィーン旧市街の中心にはシュテファン寺院があります。今も市民の心の拠り所になっていると思います。




上の写真はシュテファン広場です。写真の左外側にシュテファン寺院があるのですが、ランドマークがないと、どこだか分かりませんね。
でも住んでいる人間には判ります。右端の建物の角に「シュトック・イム・アイゼン」が見えるからです。

「古き良き時代」の写真ですね。誰もマスクをしていません。そして旅行者もまだいない早朝、オレンジ色の清掃車がゴミを集めているところです。

毎年大晦日(シルヴェスター)の深夜(旧年の24時、新年の0時)には、シュテファン寺院のプムメリンが鳴らされ、新年の到来を告げます。まあ「西洋除夜の鐘」です。
普通なら、この時、シュテファン広場に集まった人たちが抱き合ったり踊ったり大騒ぎするところですが、今年は第3次ロックダウンが1月18日までなので、きっと静かだろうと思います



シュテファン寺院の南側を東へ進むと、外壁に「歯痛のキリスト」が見られます。1420年ごろ制作されたもので、伝統的な「受難のキリスト」像です。伝説によれば、3人の酒に酔った若者が、この像を見て「歯痛のキリストだ」とバカにしたところ、3人とも酷い歯痛に襲われ、この像のところで詫びたところ歯痛が治ったそうな。いわゆる都市伝説というやつですね。





ドイツ語Wikiの写真
保存上の配慮からオリジナルは教会内部にあり、外壁にはレプリカが置かれています。

来年はSars-Cov-2が通常のインフルウイルスとして大人しくなりますように


追記:ウィーフィル恒例のニューイヤー・コンサートも史上初めて聴衆無しで実施されます。もちろんテレビ・ラジオの中継放送はあります。元旦恒例のコンサートでは、演奏の合間の聴衆の拍手が重要な演出効果となります。ラデツキー行進曲での聴衆の手拍子も既に「伝統」と言えるほど。それが2021年元旦には全くないのです。
オーケストラのメンバーも勝手が違って困るのではないかと気になりますね。
さて、どんなことになるでしょう






弁当の宿

2020-10-22 | 旧市街

前回の残存城壁の上に立つ家はパスクアラティハウスと呼ばれています。


右側手前、残存城壁の上の白い建物です



残存城壁の左端に日が当たっており、右側の影の部分がシュライフォーゲルガッセ(叫び鳥通り)、左側に見える日の当たった通りは、残存城壁(Basteiバスタイ)からメルカーバスタイと呼ばれます。メルカーというのは、この裏手にメルク修道院の所有する敷地・建物があるからで、今も、この裏側には「メルカー・シュティフトケラー」という名の地下ワイン酒場・レストランがあります。
メルカー・シュティフトケラーのHP(ドイツ語)

パスクアラティハウスの建物は1797年、マリア・テレジア女帝の侍医だったパスクアラティ男爵のために建てられました。
男爵のほかにも宮廷人が住んでいましたが、現代の私たちにとって大切なのは、ここにベートーヴェンが住んでいたことがあるという史実です。ベートーヴェンが住んでいた最上階は記念館となっています。

ベートーヴェンは繰り返し引っ越ししていますが、ここには1804~1808年と1810~1814年の合計8年ほど住んでいました。パスクアラティ男爵もベートーヴェンの後援者のひとりでした。



記念館の内部



ベートーヴェンが住んでいた頃には、まだリンク通りもなく、ウィーン大学本館も建っていなかったので、随分眺めが良かったことと思います。
但し、階段で上がるんです。どうやら未だに階段で上がるみたいです。ベートーヴェン所縁の場所や建物は他にも色々あり、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた家はベートーヴェン・ミュージアムになっているし、というわけで、パスクアラティハウスにエレベーターを設置する必要はないのかも、かも…


これまでの弁当関連記事
弁当は続く
最高の財産
弁当2020


弁当生誕250周年も残り少なくなってきました。また続きを書く予定です。乞無期待





叫び鳥の風情

2020-10-19 | 旧市街

19世紀に旧市街を囲む城壁が取り壊され、環状道路リンク通りが建設された当時、立ち退き交渉が決裂して、城壁が残った部分があります。

その事情を知らないと、なんとも不思議なデコボコの街並みです。





左下の通りはシュライフォーゲルガッセSchreyvogelgasseで
直訳すると「叫び鳥通り」 (突き当りにはウィーン大学本館が見えます。)

シュライフォーゲルガッセについては、ドイツ語Wikiの記事があるだけです。写真が色々見られます
シュライフォーゲルは人名で、ブルク劇場の監督も務めた作家です。


この一角についての古い記事をご覧ください。ボログですみません

城壁の残り
城壁の内側





歴史のかけら

2020-10-07 | 旧市街

長い歴史をもつ都市は、地上のみならず地下にも歴史が残されています。
ウィーンも例外ではありません。先史時代の集落を別にしても、古代ローマ時代にはヴィンドボナという都市がありました。


古代ローマ時代のものではありませんが、地下鉄U3路線シュトゥーベントーア駅から地上へ出る部分には古い城壁が残されています。





まるでモダンアートのようですが、古い城壁の上に新しいレンガで補充したのでしょう。


産業革命で戦争が「工業化」される以前、戦争は都市以外の開けた土地を戦場としていました(モハーチの戦い関ヶ原の戦いワーテルローの戦いなど)。
そうした時代の都市は城塞としての役割もあり、万一戦火が及んだ場合のため、城壁で囲まれていました。
日本でも江戸時代には江戸城三十六見附がありました。
ウィーンの場合も、堅牢な城壁で囲まれ、数々の城門が設けられていました。シュトゥーベントーアも、そのひとつで、下の絵画が1853年頃のシュトゥーベントーアの様子を伝えています。
(トーアは門で、あえて訳せば「シュトゥーベン門」)





上の絵画が制作された1853年にはフランツ・ヨーゼフ皇帝暗殺未遂事件があり、これを契機に城壁が撤去され、名高いリンク大通りが誕生しました。ウィーン改造



      


実写版マスク猫さん



ヨーロッパでもCovid-19パンデミックの第2波を迎えています。オーストリアでも政府関係者数人の感染が確認されました。閣僚の感染者はまだいませんが、要注意状態になっています。
春の第1波で最も感染数・死亡数の多かったイタリア・スペインも第2波が始まっていますが、かなり抑制効果の出ているイタリアに対し、スペインでは感染数も死亡数も急上昇しているようです。

とにかく、用心しつつ普通に過ごしましょう




美灯小路

2020-09-12 | 旧市街

ずーっと以前にピンボケ写真でアップしたことがある旧市街の小路です。





Schönlaterngasse(シェーンラテルンガッセ)で直訳すれば「美灯小路」
旧市街でも最も古い部分ですが、家並みの外観はバロック時代のものです。

これも、ずーっと前に書いたことがありますが、現代のような番地制度が整う前には、「三丁のバイオリンの家」とか「白馬の家」とか、いわゆる「屋号」が使われていました。この小路には「美しいランタンの家」があって、実際にランタンがありました。今見られるのはレプリカで、本物はウィーン・ミュージアムにあります。


この通りの7番地「バジリスクの家」外壁には、下の彫刻と絵が見られます。




ウィーンの伝説によると、1212年、この建物の中庭の井戸にバジリスクが住み着いていました。パン屋の徒弟が見つけて「片付けよう」と考えました。「バジリスクは直接見ると石になってしまう」ということで、徒弟は鏡を持って井戸を降り、バジリスクが自分の姿を見るように鏡を掲げました。自分の姿を見たバジリスクは石になってしまったそうな。






上書き保存

2020-08-22 | 旧市街

前回パッサロヴィッツ条約で思い出したのが、目立たない小さな騎馬像。





旧市街の一角にああります
一見、オスマントルコの騎兵かと思いますが、そうではありません。

何しろ1529年の第一次ウィーン包囲から1683年の第二次ウィーン包囲まで、オーストリア(当時は神聖ローマ帝国の一部)とオスマントルコ帝国は隣接しており、繰り返し軍事衝突があったので、反射的にオスマントルコ兵だと思うのも当然

この騎馬像がある極めて短い通りはハイデンシュス(Heidenschuss直訳すると「異教徒が撃つ」)という名前ですが、この異教徒はトルコ人ではなくサラセン人で、弓矢を持っていたそうです。オスマントルコの第一次ウィーン包囲以前から存在していた騎馬像ですが、1701年の古文書には「ハイデンシュス、つまり騎馬のトルコ人がいるところ」となり、1851/52年の改築に際してシャムシールを振り上げたトルコ人に変更されたそうです。
実は私も「ああトルコ人だな」と通り過ぎていまして、改めてネット検索で初めて真相を知った次第

これは歴史における一種の「上書き保存」ですね





ギリシャ小路

2020-08-19 | 旧市街

これまで何回かピンボケ写真で登場したギリシャ小路(グリーヒェンガッセ)

これもWiki画像で再度ご覧いただきます。






この小路がギリシャ小路と名付けられたのは1862年のことですが、それは、1718年のパッサロヴィッツ条約以降この界隈にギリシャ人が多く住み着いたからです。

舞台装置か映画のセットのような風情があり、とりわけ夜はロマンチックな雰囲気が漂います。


いくつかあるボログ記事の一つ:ギリシャ小路


旧市街の狭い裏通りや抜け道には「時代物」の情緒が漂います。ヴェネチアでもダマスカスでも細い裏通りを歩くのが大好きでした。
旅行者でも、こういう細道を安心して歩けるのは良い街です。
友達がスペインに旅行したときの話。どの町だったか忘れましたが、旅行者の好奇心で細い裏道をどんどん歩いていくと、後ろから女性が何か怒鳴りました。友達はフランス人並みにフランス語を話しますが、スペイン語は分かりません。しかし同行者がスペイン語の分かる人で「命が惜しかったら、その先に行くんじゃないよ」と言われたそうな。本当に危険なのか、単に大げさに言っただけなのか分かりませんが、とにかく2人は慌てて引き返したそうです。

ウィーン旧市街の細道は、どこでも安心して歩けます。但し、旅行者は道に迷う恐れがあります。
私も住み始めて数年は、よく旧市街で迷子になりました。まあ、闇雲に歩いていけば、必ずどこかに出ます(当たり前)

小路マニア用スポットのひとつが血の小路です






血の小路再び

2020-08-12 | 旧市街
もう随分前に紹介したことのある旧市街の細い短い小路。当時の記事

久々に改めてウィキ写真でご覧ください。




屠畜場かテンプル騎士団か、いずれも歴史的根拠はないようで、こういうのを都市伝説というのですかね

本を探して旧市街の本屋をハシゴした頃は、この小路も良く通ったものですが、今や本探しは完全にネット検索となりました。



      


Sars-CoV-2のKovid-19パンデミックは依然として継続中です。
スーパーのレジや医院や薬局に、あっという間(3月半ばから4月初頭)にプレキシガラスの隔壁が普及し、今も色々なお店でカラフルなマスクが売られています。
スーパーでは使い捨てマスク20枚とか30枚パックの安売りをしています。


いつものHPに「マスクしていてもニッコリ笑えます」と下の写真が紹介されていました。




一瞬、笑う口をプリントしたマスクかと思いましたが、口のところが透明なマスク

全然ステキじゃないし、「きもかわ」でもなく単に「キモイ」ですね



前回紹介したラフィク・シャミのミステリー小説、面白くて中断できず一気に読み終わりました。

マフィアの問題を抱えるイタリアと独裁政権の秘密警察が暗躍するシリアは、確かに共通点があります。
それでも両方とも私の大好きな国です。糸杉が至る所に立っているのも共通点です。
色々意外な展開がありますが、最後は独裁国家らしく終わります(つまり刑事が追い詰めた犯人は無罪となります)。そのうち日本語訳も出るかもしれません。

キンドル中毒はまだ続きそうです





秋の光

2019-09-16 | 旧市街

前回の帰りに撮ったリンク通りのピンボケ写真です。


左後方に自然史博物館がありますがバカチョン・カメラなので不鮮明



鉄柵の途切れたところを右に曲がるとホーフブルク王宮外門があります



振り返ったところ、左の建物が世界博物館です




今頃は暑くも寒くもなく気持ちの良い季節です。台風も地震もありません(地面は震動していますが人間には全く感じられません)。


それでも危険はあります


その1)スズメバチ


もう7月末のこと。どこの駐車場だったか忘れましたが、自分の車に乗り込もうとした人がトイレに行きたくなり、トイレまで行くのを省略して、そばの森に入ったところ、近くにスズメバチの巣があったらしく襲撃され、警察が出動して救出する騒ぎとなりました。


その2)イノシシ


ウィーンの南西部にラインツァー・ティアガルテン(直訳すれば「ラインツ動物園」)があります。昔は皇帝の猟場だったところで、今は市民に開放され、シカとイノシシが放し飼いされています。ほかにもリスとかネズミとか野鳥も沢山いることでしょう。
自然豊かでジョギングにも最適なのですが、14日の夕方ジョギングしていた人がイノシシの群れに襲撃されました。そばの木に登って難を逃れましたが、下に降りられなくなりました。警察が捜索に出動しましたが敷地が広いので見つけられず、赤外線カメラを備えたヘリコプターで被害者の位置を確認、漸く救出されました。

いずれの写真も、いつものHPのものです。








世界博物館

2018-09-12 | 旧市街

久々に博物館へ行ってきました

世界博物館なんて変な名称のようにも思いますが、ドイツ語でヴェルトムゼウムWeltmuseum、英語に直訳すればワールドミュージアムWorld Museum
昔は民族学博物館という名前でしたが、ちょっと硬くて古めかしい、ということでしょうか・・・近年展示を刷新、名前も世界博物館に変わりました。
何年も前に1度だけ行ったことがあるのですが、確かに大きな倉庫のような印象でした

博物館はホーフブルクの新宮殿の一角、王朝時代は国賓のための宿泊施設でした。
この略図の15


内部が撮れない場合のため外壁の装飾を撮りました。盾と武器です。






実際は他の国立博物館・美術館同様、フラッシュなしで撮影可でした。

こういう建物は、入り口部分に列柱ホールがあります。





列柱ホールの他の例


展示品保護のためか、どの部屋も薄暗いのですが、日本の部屋で能の展示と江戸時代の大名屋敷のモデルを撮ってみました。






街路樹も秋の色になりつつあります。





博物館の常設展示については、英語版HPで御覧ください。
Visitをクリックし、次にPermanent Exhibitionをクリックすると、全展示室を一周できます。



ところで前回の「かりねこ」ひょっとして既にアップしたことがあるのでは・・・と思い始めましたが横着して探しません、ごめん