みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

市電ターミナル

2020-08-02 | そこらへん

このボログに繰り返し登場しているショッテントアの市電ターミナルですが、おんぼろデジカメのピンボケ写真ばかり
そこでドイツ語Wikiの写真で「正しい姿」を紹介いたします






地上・地下と2段式?で、合計10の市電路線が運行しています。中央にある楕円形の空き地は、小動物の生活空間として意図的に自然状態にしてあります。
右端にエフルッシ宮殿が見えます。





別の角度から見たターミナル。地下部分の左奥に更に下へ降りる階段があり地下鉄U2のホームがあります。改札口というものはありません。
旧市街を囲む環状道路(りんく)を走る2路線、地上から郊外へ向かう2路線、地下を始点とする6路線、地下鉄U2、バス路線・・・と文字通り交通の要衝です。

英語Wikiに地下鉄ショッテントアの記事があります。


ショッテントアは直訳すれば「スコットランド門」で、旧市街が城壁に囲まれていた当時、ここに、その門があったのです。
なぜスコットランド門かというと、近くにスコットランド人修道僧が12世紀に建てた修道院と教会があるからです。


城壁と城門があった時代の風景が近くのギムナジウムで見られます。
このギムナジウムは出発点で数日私が通ったギムナジウムです。たった2~3日だったので、このレリーフには気が付きませんでした。





みみずボログのショッテントア・ピンボケ写真
八重の頃
帰路
街角で
花便り




平和橋

2020-06-08 | そこらへん

平和橋(フリーデンスブリュッケ)という橋があります。何の変哲もない普通の橋です


下から見たところ


ウィーン9区(アルザーグルンド:手前)と20区(ブリギッテナウ:橋の向こう)を結びドナウ運河の上に架かっています。


アルザーグルンド側には地下鉄U4の駅があります


この地下鉄路線は、20世紀初頭にオットー・ワーグナーが都市交通路線として設計したもので多くの部分が地上を走ります。


上から見た平和橋


駅舎、橋、橋の下にドナウ運河。橋の上には市電の停留所もあります。後ろの大きな建物は災害保険会社です。

ウィーンの北山方面に住んでいたころは、いつも電車でこの駅を通過していました。西山方面に引っ越してからは長年通っていないのですが、平和橋なんて、良い名前だと思っていました。今頃になって、ふと思いつき、ネット検索したところ、第一次世界大戦後のサンジェルマン条約を記念して平和橋になったということです。
それまでヨーロッパの列強のひとつであったオーストリア・ハンガリー帝国が解体され数々の独立国が生まれました。こうした経緯があるので、ナチスドイツによってオーストリアが併合された時期には1941年からブリギッテナウ橋と呼ばれました。第二次世界大戦後は再び平和橋に戻りました。



      


アメリカで警察官の暴力行為によるジョージ・フロイドの死は全世界に大きなショックを与えました。世界各国で連帯や抗議の集会とデモが行われる中、ウィーンでも6月4日に集会とデモがありました。


いつものHPに載った写真





警察への届出には3000人規模の集会・デモとして許可されたのですが、警察の発表によると参加者が見る見るうちに増加し、ほぼ5万人の規模に膨れ上がったということです。
続いて6日にもウィーンでデモがあり数千人が参加したそうです。
プラカードや横断幕は、アメリカ向けに英語が多いようです。公共の場でのマスク着用は今も義務付けられていますが、参加者の多さから警察側も「ゆるやかに解釈」したようです。




      


公共の場、公共交通機関でのマスク着用は引き続き実行されていますが、今やマスク・ファッションが広がり、布製マスクも市販されるようになって、千差万別・百花繚乱で見るのが楽しくなりました











お花見2019

2019-03-30 | そこらへん

先週の土曜日、アラビア語コースへ行く道にある街路樹の桜が、ほぼ満開でした
これでは世田谷公園(日本人の作庭家による本格的日本庭園)の桜も明日見ないと手遅れだぁぁぁと翌日3月24日に出かけました

ウィーン市HPのSetagayapark(ドイツ語)

考えたとおり、遅咲きの枝垂れ桜まで咲いていて春爛漫


1)晴れた日曜日で花見の人も大勢来ていました


2)州浜には、まだカメさんの姿がありません


この庭園は11月から3月半ばまで休園。本格的な手入れが始まるのは3月末で、今年は桜が先を越してしまったのです。

3)池の一角にある竹の柵


4)これまで撮ったことのないコーナーの桜も満開


5)上と同じコーナー


6)以前にも載せたことのあるプレートですが再度


ヨーゼフ・ラスカ

7)池を隔てて見た茶室と枝垂れ桜


8)趣を添える石灯籠


9)八重桜の蕾もふくらんでいます


10)レンギョウも満開


11)この庭園の中心となる桜


12)これは小道ではなく、近日中に水が流れて小川となるところ


13)11)の桜を見上げたところ


14)東屋の後ろにある井筒もそこから始まる小川もまだ水無し


15)花と同時に紫色のような葉も出始めている桜?


16)橋の上で日向ぼっこの人たち


17)11)の桜を振り返ったところ


18)井筒から湧き出して、ここで滝となる小川も「開通」前


19)日本庭園らしく縄で枝ぶりを整えた松


20)帰りに電停から見たところ


世田谷公園は電停やバス停のすぐそばにあります。
2本の大きな木は街路樹なのですが、ヤドリギがいっぱい。
あんなにヤドリギが多くても木は枯れないのかなと、ちょっと心配。
でも市の公園局が良く管理しているので大丈夫なのでしょう。

ウィーンの桜は北海道ほど遅くはないものの、以前は4月10日頃に満開となるのが普通。
昨年もそうだったようです。
今年は暖冬で順調に春になったせいか、桜の開花が異常に早かったようです。
このまま「まっしぐらに」夏になると40度を超えるんじゃないかと怖くなります
普通の夏になりますように


以前の記事
満開の桜
沢山ありますが、その他は省略







病態生化学

2019-02-28 | そこらへん

前回、久々におんぼろカメラを持ち出したのは、やっと発見したからでした。

長年そばを通って「ステキな建物だな」と思いながら全然調べようともしなかった建物。
最近、漸く至近距離で観察したら、花模様のタイルと思っていたのが動物でした


おんぼろカメラでは綺麗に撮れないので、最初の写真はウィキから


以下は自前のピンボケ写真です。

病態生化学および遺伝学センター(入り口右側には英語のプレート)

ちょっと見慣れない単語なのでネット検索したところ日本語では病態生化学でした


正面入り口


以下、正面入り口を飾る動物や植物・・・装飾レンガと言うべきか








木の扉もステキです



横に回ったところ



向い側にはアフリカ・アジア研究所

アラビア語コースの会場



     


市内にある歴史的建物には、壁にウィーン市の小旗が飾られ、その下に建物を説明するプレートが取り付けられています。
ところが、この建物には小旗もプレートもありません。病理生化学および遺伝学センターのHPを見ても建物の説明はありません

そこで所在地で検索したところ色々なことが分かりました(今頃になって!!!)

この建物は、もともとウィーン大学化学研究所として1869年から1872年に建てられました。今も建設当初と同じ機能を果たしており、小旗を飾る必要がないのかも知れません。

設計者はハインリヒ・フォン・フェルステルでした
日本語ウィキには記事がないので英語ウィキを御覧ください



フェルステル設計の建物
ウィーン大学本館
ヴォティーフ教会
ウィーン応用美術館(英語)
パレー・フェルステル
ドイツ語ウィキのパレー・フェルステルには内部の写真があります


なるほど、ウィーンにはフェルステル設計の建物が沢山あります。
彼は歴史主義建築を代表する建築家のひとりで、その作品は私の知る限りネオゴシックとネオルネサンスです。
(真似と言うと聞こえが悪いので「ネオ」と称したのです

これに対しモダニズム建築への地平を切り拓いたのがオットー・ワーグナーを代表とするユーゲントシュティルの建築家です。

つまり、モダニズムの建築家からは古臭いとされた歴史主義建築ですが、フェルステルの建築は見た目に心地良く美しいものです。



ユーゲントシュティルの古い記事
走る世界遺産
現代デザインの古典
創造と想像


歴史主義建築の古い記事







久々そこらへん

2019-02-25 | そこらへん

私は携帯電話が嫌いで持たない主義でしたが、何年も前に固定電話の不具合が続き、最も簡単・最低価格の携帯電話を買いました。
つまり、写真を撮る場合は、最低価格のコンデジを使います。

最近は外出も多いのですが安カメラを携帯することなく、土曜日に久々にカメラでピンボケ写真を撮りました。
写っているのは旧市街と旧市街外の両方ですが、安直に「そこらへん」にしておきました


右側に大学本館

逆光なので暗く見えます


大学本館の側面



いつも気になる立派な建物

調べれば素性がわかるはずですが今まで横着しています


上の建物が面している通り

まだ桜の木も冬の姿


いつもの教会



同じ通りに面した店舗

赤い外壁がパブのようですが入ったことはありません


続く・・・


いつもの教会:以前のボログ記事
7日の花
虹行列
救うべき人々
その他略







咲きかけ

2018-04-12 | そこらへん

前回の続きでございます
撮りたい角度や場所が同じなので、いつも同じような写真になりますが・・・


春の小川の水源へ・・・


これは何分咲きでしょう・・・三分?五分?


春の小川の水源・井筒


角度によって咲き具合も違って見えます




春の小川が滝となり・・・




池の州浜には甲羅干しのカメさんたち


カモさんが1羽




以前の世田谷公園のひとつ
満開の桜
その他略






7日の花

2018-04-10 | そこらへん

久しぶりに自分で撮ったピンボケ写真です 4月7日の桜の様子


いつもの教会前ほんのりピンク


AAIパウラッチェン


驚いたのは「1683」という店名(パン屋のようなスナックのような)

オスマントルコ軍による第二次ウィーン攻囲の年です


世田谷公園もまだ微かにピンク


枝垂桜はしっかり蕾


うっすら花霞


レンギョウ以外はこれからという感じ


春の小川




多くの人が来ていましたが、ここはいつも静かで落ち着いた佇まいです

続きます でも乞無期待ね



スタジオジブリの重鎮であった高畑勲監督が亡くなられましたね
宮崎駿監督と共にヨーロッパでも知名度も人気も高く、こちらでも報道されました。
誰でもいつか世を去るので、仕方ないことですが悲しいですね。






雪みみず

2018-02-08 | そこらへん

ちょっと時間がありまして、珍しい「雪みみず」を見まして・・・




もともと雪の少ないウィーンに、また少し降りまして、ベランダの手すりに一直線に積もっていたのですが、途中から雨になったせいか気温が上がったのか、クネクネ蛇行。蛇というほど太くないので「雪みみず」です


このところ日本は豪雪で大変ですね
パリと北フランスでも珍しい大雪。エッフェル塔は目下用心のため閉鎖されています。
モンマルトルの丘(海抜130m)ではスキーをしている人たちがいるようです。
警官は「本来68ユーロの罰金です」と警告するだけで、差し当たりは大目に見られているようです。

ドイツでは漸くグロコ(Grosse Koalitionの略=大政党の連立政権)が成立・・・しそうです。
ドイツとフランスが安定していることがヨーロッパの安定にとっても重要です。






ミニソファ

2017-10-19 | そこらへん

手工芸品のお店のショーウィンドー








インテリアやアクセサリーの中に可愛いソファがあります。
上に乗って寛いだり寝たりできるのはハツカネズミさんくらいなものでしょうか


別のお店のウィンドー

ごく地味なハロウィン仕様


ひょっとしてナナカマド


その通り



      

前回少しオーストリアの国会選挙について書きました。
すっかり忘れていましたが、2013年の前回選挙と今回選挙の間に世界史的に重大な出来事がありました。2015年の難民危機です。
これで難民の「洪水」に対する恐怖心、反感、敵視が広がりました。しかし、この歴史的現象の深奥にある原因はヨーロッパの歴史的発展そのものにあると思います。
そのうち書くかもしれません・・・








街角の秋

2017-10-17 | そこらへん

10月15日の近所の様子です。


近くの広場




いつもの教会


10月15日は国会選挙の日:近くの投票所の入り口

日本などと同じで学校が投票所になります

命がけで投票に行かなければならない国も多いのを思えば、のどかな風景です。

学校の前の舗道に設置されたベンチと椅子





       

通常、ヨーロッパの国の選挙と言えば、独仏英伊あたりの選挙以外日本では殆ど報道されませんが、今回は珍しく報道されているようですね。
それは、ヨーロッパの社会政治動向の趨勢を示すという意味もあるからでしょう。
第二次大戦後のオーストリア第二共和国で長年続いてきた二大政党制、国民党と社会民主党の連立政権が終わり、排外主義を標榜する極右の自由党が加わって、三大政党という様相を呈しています。ヨーロッパのどの国にも極右党や極右の政治グループはありますが、極右党の政権参加が確実となったのは、西ヨーロッパではオーストリアが初めてだと思います。
長年ジリ貧だった従来の二大政党でしたが、国民党では、27才だかで最年少の外務大臣となったセバスティアン・クルツが、いわば最後の切り札として党首となり「新しい国民党」として自由党寄りの排外的政策を打ち出しました。
選挙期間中は「zu jueng, zu schoen, zu kurz(ツー・ユング、ツー・シェーン、ツー・クルツ)」というジョークがありました。
クルツは「短い」という意味なので上のジョークは「若すぎる、ハンサムすぎる、短すぎる」という意味になります。

極右政党の動向が国際的に注目されたと思いますが、投票分析によると、農村部・教育水準の低い男性層ほど自由党の支持率が高く、都市部・教育水準の高い層ほど極右政党の支持率が低くなっています。