みみずのしゃっくり

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ぶれんねろ

2017-08-07 | おきにいり

またまたまた∞∞∞ 御無沙汰しました

いつものHPブレンナー峠の記事があり、急にアルプスの美しい風景を思い出しました
ブレンナー峠はオーストリアとイタリアを結ぶ交通の大動脈で古くから重要な役割を果たしています。


そのHPにあった写真

上がイタリア語なのでイタリア側であることが分かります

以下は又ウィキ・フリー画像です。

道路の国境表示

手前はオーストリア、表示の向こうはイタリア

オーストリア側ブレンナー峠の風景

左の高架はアウトバーン、中央に細いシル川

地図の上のシル川:南から北へ流れイン川に注ぎます

一番下の赤ポチがブレンナー/ブレンネロです

1920年に建てられた国境石柱





ブレンナーの南側は南チロルで、第一次大戦以前にはオーストリア領でした。但しもっと以前にはブリクセン司教領でした。第一次大戦勃発時中立を保ったイタリアですが、連合国側(フランス、イギリスなど)から「味方になったら戦後南チロルをあげるよ」と持ちかけられて参戦、その結果、南チロルはイタリア領となりました。
ヒトラーとムッソリーニは当初対立していましたが、オーストリアはヒトラーが取る、その代わり南チロルはムッソリーニのもの、という合意が成立し、南チロルの「イタリア化」が行われました。イタリア語の地名は、当時「創作」されたものです(ブリクセン→ブレッサノーネ、ボーツェン→ボルツァーノなど)。
第二次大戦後もオーストリア復帰を主張する南チロル人によるテロ事件などもありましたが、南チロルに大幅な自治権が認められ問題は解決されました。この自治権は模範的なものとされますが、それを可能としたのは、当事国イタリアとオーストリアがいずれも富裕国であり、どちらに帰属しても住民にとって経済的不利はないこと、しかもゲルマン系南チロル人にはドイツ、オーストリアという強力な後ろ盾の国があることです。

詳しくはチロルをご覧ください

私がオーストリアから初めて「外国」へ行ったのは、インスブルックに滞在し、ブレンナーを経てイタリアへ行ったときでした。
悪く言えば絵本のように陳腐とも言えますが、その風景のメルヘンのような美しさは感動的で、その後毎回風景を楽しみました。
あるとき、伯父と一緒にブレンナー経由でイタリアへ向かい、また風景を楽しもうと思っていたのに、同じコンパートメントにドイツ人の夫婦が来て、不本意にも話がはずんでしまい(第一次大戦のチンタオの話や第二次大戦の話までも広がり)とうとう全然風景が見られませんでした

ブレンナーもいいですが、私はイタリア語のブレンネロも好きです


オーストリアの新聞HPヒロシマ記事