山小屋2日目に椅子用のツルとヒバの木の2又になっているを採集。
左側は以前採集のソヨゴの枝。
採集したのは前日の雨でしっとりと濡れている。
濡れているうちにと皮を剥ぐと驚いた。
鮮やかで明るいオレンジがかった茶色だ。
創作を進めながらいろんな植物に対する発見があるのだろう。
後ろに写っているカンピザクラはまだまだ色づく気配がない。
ヒバの枝を切る前。
この枝を切れば先に伸びる枝が枯れてしまうと思っていたが安心した。
先の曲がった枝が土に着き根を下ろしているので枯れることがない。
移動ができない植物はそれぞれの環境で工夫しながらたくましく生きている。
今日の切山ハイキングは真鍋家入り口の梅園見学とのメッセージがあり少しでも春を感じたくて参加したがやっぱし開花は遅れているようだ。
梅林はまだまだ寒々としていた。
それでもかならずもうすぐ開花だ。
色づいてきたのをながめられただけでも心がほぐれてくる。
少し離れた場所で1本だけ咲いていた。
小雪もちらつきまだ枯れたアジサイのほうが似合う一日だった。
山道で枯れ木につららが下がっていた。
今回のクラフト展(イエツァオグループによる)ではツルで椅子を作る予定で太いのを探しているが山道でツルのシャッター発見。
はじめての椅子作りに挑戦だがどんなのを作らせていただけるのだろう。
話したいことがあったのでセイザエモンサンのところも寄ってきた。
山小屋付近のツルや枯れ木の採集ができるポイントを歩いていると鮮やかなオレンジ色のつぼみのようなものが落ちていた。
近づくとつぼみでなく木だった。
オレンジ色の芽吹きは始めてみた。
まだまだ寒さが続く冬最中なのに。
芽吹きは春だと思っていたがいろんな植物はあるものだ。
暖かくなれば確認に来よう思っていたが50メートルほど離れた場所で回答あり。
2本並んで生えている一本はまだどんぐりの形だった。
山小屋の下まで帰るとガラス窓に鮮やかに枯れ木が写っている。
こんなガラス窓を見たのも初めて。
寒いと思っても日当りがいいと外は部屋より暖かい。
山小屋の屋上でお茶を飲むことにした。
ゆっくりとお茶を飲みながらふと見上げたカリンの枝に黄色いもの。
私が小学生の時蒔いた種が芽吹いたのを移植したもので実がなったのは初めて。
高い枝の先なので採ることはできないが大感激。
ほんの少しの時間だったがドキドキ度は大旅行並み。
良い時間だった。
いつもだと2月の第2日曜日より山小屋での作業に入るが今回は2日早かった。
まず初日はツルを湯に浸すことから始めるが今回は違う。
太いツルと木を使い椅子を作る予定で太いツルは採集して硬くならないうちに形作るのでまずはツル採集だ。
ワラシクン用の枯れ木も探したい。
山小屋付近の急斜面だが面白い枯れ木が採集できるがツルはあまり生えてない場所へ行く。
山小屋付近にはアオツヅラフジとアケビのツルが多いがこの辺りにはほとんどないが違った種類のツルが採集できた。
ワラシクン用の枯れ木4個と写す。
帰りにワラシクン用の枯れ木一個確保で5個になったのと椅子用の二股の木とクラフト展(イエツァオグループによる)の会場に生けるためのカリンの枝を切ったのと写す。
カリンの枝は部屋の中で水揚げしておくと3月18日の初日までには芽吹くだろう。
クラフト展参加の長野和子さんも果樹園で作業しながら素材を探しているそうだ。
クラフト展までにどんな作品が生まれるのだろう。
第14回クラフト展(イエツァオグループによる)
日時 3月18日(日)~4月1日(日) 10:00~18:00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
参加者 廣瀬瑛子 長野和子 中根繁子 尾藤千代 イエツアオ
クラフト展(イエツアオグループによる)のDMは造形の基本だと言われる丸、三角、四角を組み合わせて作る。
ここ数年は気に入った包装紙や紙袋をちぎって形作りはがきの大きさにカットした台紙に貼っている。
何枚も作るのには数日かかるが楽しい作業だ。
14回同じ丸、三角、四角を組み合わせているが毎回いろんな組み合わせができる。
去年より第何回クラフト展と書くのも手書きにした。
一回目はプリントするように横一直線に書いていたが今回は動かすことができた。
些細なことだが回を重ねないと思いつかない。
嬉しかった。
筆記道具は川窪万年筆制笹ペン。
第14回クラフト展(イエツァオグループによる)
日時 3月18日(日)~4月1日(日) 10:00~18:00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
参加者 廣瀬瑛子 長野和子 中根繁子 尾藤千代 イエツアオ
以前より畳に敷く敷物がほしいと思っていた。
ソヨゴでの予定の染色が終わったものの残った液がまだきれいな赤茶色でまだ染まりそうだ。
今まで何度も見ていたが敷物にしようと思わなかった布が敷物にしたいと思えた。
柔道着のような厚ての綿布でうすくハンの実で染めていたのを染めなそうと思った。
今絞り染めが面白くなっているので絞ろうと思うが厚いので綿糸では縛れない。
ゴムバンドで縛る。
残り液で何度も染めたが途中でゴムバンドが切れた箇所もあり同じ綿布だと思っていたが表にしたい面があまり染まってない。
裏にしょうと思った面がかなりよく染まっている。
絞り染めの部分を目立たせるための刺繍をしてこちらを表にしようと思ったが布が固くて刺繍はあきらめた。
ふとみると端からほどけ始めている糸がしっかりとして太い。
織り糸として使われている糸は撚りが甘く縫い糸として使うのは難しいが編み糸としては使える。
今ソヨゴ染めの絹布でスカーフを作る予定だが綿でも同じソヨゴ染めの糸はほしかった。
クラフト展(イエツァオグループによる)の準備で忙しいのに無駄な道草をしてしまったと思ったが無駄ではなかった。
敷物はクラフト展出品の作品が出来上がった後ゆっくりと考えて作ろう。
縦横 146・88センチ。
妹のきんかんが糸、私が布とデザインを受け持ってのコラボベスト1枚目が仕上がった。
解いた紬の着物地できれいなグレーのグラデイエーション模様の袖だった部分だ。
何回も着物地を使ってコラボベストを作っているが着物地の幅は決まっているため縦に使うか横に使うかだった。
今回は2重にし、6センチスライドさせて下を上より広くすることを思いついた。
スライドさせた部分は一重になる。
とにかく続けていれば何かしら新しい世界がひろがる。
思いつくとワクワクするが形にしていくには苦労もある。
きんかんはきれいなグラデエーシヨン模様に合わせて糸を選び編んできた。
沢山の微妙に色の違うパッチワークをいろいろ並べ替えながらつなげていった。
形は同じだが反対側は紫色が強い色のパッチワークをつなげて仕上げた。
はっぴを解いた布でクッションを作った残り布をながめているとバッグを作りたくなった2作目だが使うのは布に8センチの切り込みを入れ襟を付けていた部分だ。
8せんちの切り込みをマチとして縫い込んだので19センチの広いマチ幅になったがおかげで個性的な形になった。
はっぴの布は重いのでソヨゴで染めた帯芯をパッチワークした。
取っ手は1作目と同じく漂流物のロープを使ったが留め具は漁網の素焼きの重りを使った。
海の中でつけられた素焼きの重りは着古された厚手のはっぴの迫力に負けていない。
取っ手を取り付ける糸として
はっぴを解いた布は厚地の綿布のため重いのでクッションに利用したが残った布をながめているうちバッグを作りたくなった。
背中に書かれている字や赤白のストライプをうまく使うことができればおもしろいのができそうだ。
重い綿布だが軽い布と合わせあまり大きく作らなければ問題解決だ。
厚い布なので合わせる布が限られるが幸い厚いグレーの麻布が合う。
少し残っていた赤いストライプの部分をポイントに持ってきた。
反対側。
バッグの本体は作ったものの取っ手や留め具を何で作るかで悩み作業中止。
幸い漂流物のロープが合うのを発見。
ロープの取っ手を何で取付ようかと考えた末、はっぴが太い糸の平織りなので解いた糸を使うおうと思いつく。
簡単に解けるはずが解けない。
解けないはずだ、太い糸だけで織られていると思っていたが太い糸の間に細い2本の糸が簡単に解けないように織り込まれている。
丁寧なつくりに感激。
写真右側の太くて黒い糸とグレーの細い糸ではっぴは織られていた。
留め具にはクルミに南無阿弥陀仏と梵字で書いたのを使用。
縦横33,34センチ。
近くにブルーシートで覆われた古墳発掘現場がある。
金生町暮らしを始めたころから同じ状態に見える。
気にはなっていたが発掘途中の古墳はどんな見方をするのかわからない。
広報で宇摩向山古墳群巡りの催しがあったので参加した。
まずは宝洞山2号古墳。
この古墳には入らなかった。
この辺りは新興住宅地で家がびっしりと建っている。
木が茂っているのが古墳のある場所だ。
周囲はびっしりと家が建つ中どうしてここだけ木が茂っているのか不思議だったがやっと理由がわかった。
すぐ近くに宝洞山1号古墳がある。
入り口は狭いが入るという。
おっかなびっくり入ったが中は思ったより広い。
古墳上には千手観音が祀られていた。
後ろより見た古墳。
ブルーシートで覆われた古墳以外にあるのは知らなかった。
最後に気になっていた古墳。
参加者20人以上が入ることができ外はあられが降っていたが寒さは感じずに説明を聞けた。
古墳はお棺が収められていたお墓だが皆で入るとわくわくした。
一人で来ても体験できなっただろう。
ありがたい催しだ。
並びに四国一の規模の2号石室があるが石碑に使用するため取り外されたのが原因か崩れている。
城山に建つ尾藤二州記念碑が古墳の天井石だと聞いていたがこの古墳の石だったのを初めて知った。
今だと考えられないことだが時代とともに価値観は変る。
これからも変わる価値観に翻弄されながら生活するのだろう。
地味な催しだと思っていたが愛媛新聞社のカメラ、記者、市の公用車まで来ていた。
遠方より友達が来てくれると切山、城山公園、山小屋へ案内していたがこれからは宇摩向山古墳群も自慢して案内できる。
寒さ続きで部屋作業に専念していたがふと寒さが緩むと河原へ行きたくなった。
予定外だが野菜も切れてきたし出かける。
草が茂る時期だととても入ることができない河川敷も草が枯れた今なら入れる。
去年は何時もの場所でタシッポを採集できなかったがこの辺りはかなり出ていたようだ。
採集生活ではこまめに現地視察が重要だ。
夏場は行けなかった河原の淵へ行った。
水が澄んできれいだった。
クレソンは通常は水辺に生えるがここ数年不作だ。
豊作だと水炊きや汁の具、湯がいて和え物とふんだんに食べられるが今年も少し採集できたのを大事に生食しているだけだ。
今回は大水の時流れ着いたのが芽吹いたようでハコベやイネ科植物と混生しているのを少しとクコの新芽、カラシナは大量に採集した。
寒波の中つかの間ののびのびできたひと時だった。
山岳会の先輩より泡盛のお土産をいただいた。
ラベルには”於茂登”と書いてある。
沖縄と登山とは結び付かないが石垣島に沖縄県の最高峰525.5メートルの於茂登岳がある。
以前は岩登りや高い山に登っていた先輩だが登ってない48都道府県の最高峰6カ所を3年以内に登りたいと言っていたが沖縄県は制覇したようだ。
泡盛は隣の新聞紙に包んだ状態でいただいた。
新聞紙を止めるテープにはありがとうございましたのプリントがされていたので新聞紙が包装紙として再利用されているのだ。
新鮮な感じがしたし沖縄の地方紙も読めた。
一緒にファッションーの小雑誌も持ってきてくれた。
洋裁学校へ通うお孫さんが選ばれてデザインした服のファッションーを見に大阪まで行ったのが於茂登岳登山出発の数日前とか。
この先輩のことだから残る5県の最高峰制覇の後も楽しませてくれる山との新たなかかわりを見つけることだろう。