二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

聴いて愉しむ、見て愉しむ音楽

2012年10月16日 | 音楽(クラシック関連)
クラシック音楽づけになった猛暑の夏がおわったけれど、わたしはいまだクラシック音楽の海を漂流している。音楽的な才能も知識も経験もないので、何冊かの初心者向けガイドブックを、どこへいくにも持ち歩き、本がくたびれて、表紙・裏表紙が日焼けしたり、すりきれかけたりしている^^;同じページを何度もくり返し読む・・・一曲、二曲聴いて、また読み返す。そのあとで、寝ころがって気になった音楽を聴く。あるいはパソコンに向かいながら、BGMとして「かけ流し」にしておく。眼をとじて愉しむ、こころの“漂流感覚”に、ある意味で陶酔しているといっていいのだろうが、そうしていると、昔は退屈でおしまいまで聴けなかった音楽(たとえば、シューベルトの「ピアノ五重奏曲イ長調“ます”」など)が、突然のように胸の奥にしみ渡ってきたり、あるいは若いころさかんに聴いていたピアノ曲(たとえば、ショパンなど)が、つまらなくなってしまったことに気がついたりする。 . . . 本文を読む
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10月中旬、モーツアルト日和

2012年10月14日 | 音楽(クラシック関連)
つぶやきで書いたように、今日は待望の稲刈り。簡単にすむと予想していたら、まだ湿気がひどく、コンバインの操作に手を焼いた。キャタピラーが空回りしてしまうような泥田と化していて、その水がいっこうにひいてくれない。多少のムリをして2/3ばかり刈りおえ、あとは父にまかせて正午すぎに出社。もたもたしていると、また降雨に見舞われる(=_=)田の南側には、分家に出した妹たちの家が2軒あって、そこが日陰となり、水のひきが悪いのである。まあ、しかしなんとか一区切りついたので、ほっとした。 今日は一日モーツァルト日和にするつもりで、けっこう大雑把に、CD4枚をクルマに積んできた。右上から下、左へ。1) モーツァルト交響曲選集(海外盤)指揮:トン・コープマン&アムステルダム・バロックオーケストラ CD2枚組(全6曲) . . . 本文を読む
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ウラギンシジミ♀に遭遇

2012年10月13日 | Blog & Photo
田んぼの水がひかず、稲刈りがのびのびになっている。農業というのは、こういった微妙な天候を相手の商売なので、ある意味、人智をこえた部分がある。気温や天候をコントロールするなんて、100年たっても、とても人間業ではムリだろう。時間が空いたので、カメラをもって、利根の河川敷など、数カ所をふらふら。ウラギンシジミ♀に遭遇し、撮影ができた。 見かけるだけなら、この時期めずらしくはないが、テリトリー行動が活発で、あちこと飛び回る♂に比べ、慎重な♀の撮影のチャンスはめったにない(^^;)ご覧のように、グレーで地味目。翅を開いて、体を温めていた。 北風があり、気温がぐーんと下がってきたのだ。 . . . 本文を読む
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市の変貌

2012年10月11日 | Blog & Photo
わたしが暮らしているのは、群馬県高崎市。ところが、市の中心市街には、無料駐車場がなく、めったに足を向けない。年に一回、いくかいかないかという程度なので、いくたびにその変貌ぶりに眼を瞠る。どう変貌しているかというと、東京化している(^^;)そのさきには、アメリカの大都市というお手本がある。やたら機能的だけれど、はっきりいって無個性。いくたびにいくからガッカリさせられる。区画整理というのは、その市街地を幾何学的なマトリックスに変える。その町固有の“におい”のようなものは、ほぼ絶滅する。生命の影はないことはないが、とても人工的で、もしかしたら「レプリカ?」と疑いたくなるような光景である。 再開発され、高層マンション(地方都市としては)がニョキニョキと建っている。 . . . 本文を読む
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花と花の切手

2012年10月09日 | Blog & Photo
このところあまり写真を撮っていない。お天気がいいと、10月にしては、気温かなり高め。クルマの中では、いまだエアコン必須だが、朝晩はかなり涼しく、一日の気温差が大きく開いている。そういうシーズンなのである。曼珠沙華はほぼ終ってしまって、白茶けてしまった。もっと気温が下がらないと、撮影モードにはシフトチェンジできそうにないなあ。トップにあげたこの花、なんの花かご存じの方がいるだろうか?はじめて見る花?畑の一隅に咲いていた。熱帯、あるいは亜熱帯の花みたいな風情をもっていて、かなり大きく、派手め。 . . . 本文を読む
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なんていうこともない静かな秋の一日

2012年10月07日 | 音楽(クラシック関連)
サラリーマンと違って、自営業者は、OFFの日でも仕事が追いかけてくるから、一日、二日休みをとったからといって、仕事を100%、頭から追い出すわけにはいかないのが辛いところ(=_=)このあいだも書いたように、気分転換がすぐにできないタイプなので、酒を飲んで、ソファーに横になって、クラシック音楽を聴きながら、眠ってしまったりする。寝ながら聴くブラームスやドヴォルザークも悪くはない。ピンと神経を張りつめているのではなく、その逆。「あれれ、ここは、ブラームスの、あの第3楽章だったかしら」うつらうつらしながら、トンチンカンなことを、頭の隅で、考えるともなく考えて、酔いが覚める夜中に、ふっと眼を覚ます。 . . . 本文を読む
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夢のあとさき(ポエムNO.90)

2012年10月07日 | 俳句・短歌・詩集
ことばをたどっていったら一人の男の背中にぶつかった。暗い夜のような路地の奥で。ゆっくり眼をさましながらぼくはその路地の奥からもどってきたけさはやくに。自分がこの世の役に立たない人間だと知った日から 詩人は苦しんで自暴自棄になるほど苦しんで。非力なことばにさらにすがった。「朔太郎さん 萩原さん」と呼びかけたけれど彼は振り返らなかった。一日の底のような場所から頭をもたげベッドから起きあがる。そんな路地から出て会社へと向かう。 . . . 本文を読む
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二つのクラリネット五重奏曲を聴きながら

2012年10月06日 | 音楽(クラシック関連)
モーツァルトとは、何者であったのだろう?いや、抽象的な、あるいは観念的な問いを発しても仕方ない。そんなことをしても、わたしのような後世の凡人は、ただモーツァルトという名のスフィンクスにからかわれるだけが関の山である。クラシック音楽は「今年の新作・新曲はこれです」というものが、残念ながら存在しない。よく耳にすることばだけれど、1975年、ショスタコーヴィッチの死をもって、交響曲が終わってしまったように、クラシック音楽というジャンルは、若干の例外はあるにしても、創作としてはほぼその使命を終えてしまった。それとともに、作曲から演奏の時代へと移ってゆく・・・と、どんな音楽史にも、そういう意味のことが書かれている。したがって、このジャンルにおいては、J・S・バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの三人が、永久に、不動の巨星ということになる . . . 本文を読む
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いつ消えてなくなってもおかしくない風景

2012年10月05日 | Blog & Photo
このマルバルコウは、図鑑によると熱帯アメリカ原産で、観賞用に栽培されていたのが山野にひろがったものらしい。蔓をのばし、ひとかかえもあるような花群をつくり、独特な朱色で道端を彩る夏の花。しかし、いまこの時期でも、元気に咲いて、散歩者の眼を愉しませてくれる。形状はトランペット型。逆光で見ると、花の奥に、ぽつんと灯りがともったようで、小さな虫がもぐり込んでいたりする。いったん覚えた名前なのに、忘れてしまって、さっき調べなおした(^^;)ルコウソウ? 灯台草? ・・・なんて、あれこれ迷っていたのだ。この花を図鑑写真的にではなく、耽美的に撮ってみたいと考えていたけれど、チャンスがなかった。耽美的に撮るためには、背景や光を選ばなければならない . . . 本文を読む
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こころ落ち着け、自然のふところをしばしさまよう

2012年10月03日 | 音楽(クラシック関連)
このあいだから、少し意識して、交響曲に耳をすましている。この数日、とくにくり返し聴いたのは、以下の3曲。1)ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」ワルター指揮コロンビア響はさすがに聴きあきてしまったので、BOOK OFFでみつけたオイゲン・ヨッフム指揮王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管(1969年)。練りあげられた楽器の各パーツの響きあいが、じつにすばらしい。十代のころから聴いているせいで、いくらか不感症になっているわたしの耳を洗うせせらぎの音になる。やっぱり「田園」はこうでなくちゃ(^_^)/~2)ブラームス 交響曲第2番ワルター指揮コロンビア響(1960年)トスカニーニ指揮NBC響(1952年)この曲を聴いていると、トスカニーニという指揮者のスケールの大きさがいくらかわかってくる。モノラール、しかも録音状態は決していいとはいえない二枚だけれど、デジタル・リマスターのおかげでまずますのクリア感。 . . . 本文を読む
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