★ http://www.bllackz.com/2015/01/blog-post_3.html から転載
2015年1月3日土曜日 日本人だけが戦争や暴力と無縁というのは絶対にあり得ない
中国・韓国のような反日を是とする国家が台頭し、日本に執拗なまでの侵略を行っている。
気が付けば、政治界も報道界も財界も教育界も、何もかもが中国・韓国の息のかかった人間が業界を乗っ取っている。
こうした中国・韓国のスパイのような人間たちは、日本を内部から崩壊させていこうと「日本人がすべて悪い」という思想を押しつけている。
国益を考える人間は極右という誤ったレッテルを貼り、日本人を報道や教育で萎縮させている。
自分の住んでいる国を大切に思うと極右になり、中国や韓国に貢げば平和主義になる。現在の日本の言論が、いかにおかしなものになっているのかが分かるはずだ。
そんな中で、マスコミも教育界も必死になって日本人に押しつけているのが「平和」という概念だ。しかし、この平和という概念もまた現代の日本では歪んでいる。
ただ歪んでいるだけではない。かなり歪んでいる。日本では、「他国に服従すること」が平和の意味になっているのだ。
日本を嫌う人間にとって恐ろしい単語がある
多くの日本人は現在のマスコミの押しつける世論や、教育が教えている教育が歪んでいると感じているが、どのように歪んでいるのかはあまりよく把握してこなかった。
しかし、中国・韓国の内部工作員が世論や裏にいるという単純な姿が分かれば、世論や教育は、
「日本を大切に思う人間を異常者として決めつける」
「中国・韓国に貢ぐ人間を平和主義者として持ち上げる」
という一貫した方向性があることが分かるはずだ。
2014年は、朝日新聞が従軍慰安婦問題を捏造していたことが隠しきれなくなって社長の辞任までつながっていった。この朝日新聞は、数十年にも渡ってずっとこの方針だった。
日本を貶して中国・韓国を礼賛するのだから、どう考えても「売国」方針である。
本来、国を大切に思うというのは、純真で人間らしく当たり前の感情である。それに、平和というのは普通はどこかの国に服従することではない。そんな当たり前が、日本の言論の中では当たり前になっていない。
「売国」という言葉は数年間まであまり使われることのない言葉だったが、マスコミがあまりにもあからさまに中国・韓国を礼賛するので、今やすっかりこの言葉が市民権を得た。
あまりにもこの言葉は内部工作員の正体を的確に表しているので、彼らはこの言葉を蛇蝎のように嫌っている。「売国」という言葉は、彼らにとって恐ろしい単語なのである。自分の言動がすべてそれで説明されてしまうからだ。
そんな売国する人間たちが日本人に「平和」を押しつけるのだから、平和の意味が歪んでいてもおかしくない。
「平和=中国・韓国に隷属すること」なのか?
マスコミに登場するジャーナリストの多くは、「平和」を、日本が中国・韓国に隷属するという意味で使っている。
日本が防衛を強化して侵略されない強い国家になれば、日本は真の意味で日本は平和になる。しかし、日本が防衛を強化するという動きを彼らは絶対に、何が何でも阻止しようとする。
「売国」する人間たちにとって、日本が防衛を強化して中国・韓国に侵略されないような国になったら困るからだ。日本が中国・韓国に隷属してくれないと困るのだ。
彼らにとって、「平和=中国・韓国に隷属すること」でなければならないのである。彼らの言論操作、教育は、すべてこの1点にかかっていると言ってもいい。
だとすれば、逆に日本人は「平和=軍事力を高めて侵略されないようにすること」という考え方を徹底すればいいということになる。
言うまでもないが、人間の歴史は暴力と戦争の歴史である。
弱小国家は武力で滅ぼされてきている。暴力に対抗できない国の国民は、周辺国から蹂躙を受け、激しい弾圧で消滅させられてきた。
暴力に対抗できなければどのような目に遭うのか、ユダヤ人に聞いてみればいい。彼らは国を失い、世界中に散らばって「よそ者」として生きるしかなくなり、辛酸を舐めながら臥薪嘗胆の中で2000年を生きてきた。
彼らは1948年5月14日にイスラエルという国を建国したが、イスラエルは絶対に何があっても武力(暴力)を捨て去ることはない。
「平和を唱えれば平和になる」ような空想主義はイスラエルでは存在できない。暴力には暴力で対抗せざるを得ないというのが現実主義者の現実に即した考え方である。
暴力は人間社会から永遠に消えることはない
チベットは中国に蹂躙されてどのような目に遭っているのか。多くのチベット人が焼身自殺をしながら必死になって闘っているのを私たちは知っている。(助けを求めるチベット人の炎の叫びを、私たちは拡散すべきだ)
新疆ウイグル自治区は中国に蹂躙されてどのような目に遭っているのか。多くのウイグル人が漢民族に自国で差別されているのを私たちは知っている。(ウイグルを弾圧する中国が、イスラム過激派の標的になる日)
「平和を唱えれば平和になる」ような空想主義は通じない。世界は今も弱肉強食の論理で成り立っており、私たちはそれを否定することができない。
暴力には暴力で対抗しなければ、国が滅び、国民が殺され、乗っ取られ、弾圧され、支配され、消されていく。人間の歴史はいつでもそうだった。
民度が高い民族が生き残るのではない。民度は暴力の前に何の効力もない。最も暴力に秀でた民族が、次の時代の覇者になっていく。
アメリカが現在でも世界の頂点に立つ国であるのは、アメリカが今でも世界最大の軍事大国であるからだ。アメリカ人の民度が高いからアメリカが大国なわけではない。世界最大の暴力装置を持っているから世界最大の大国なのである。
暴力は人間社会から永遠に消えることはない。
アラブ圏では超過激集団であるイスラム国(ISIS)が敵対民族や異宗教を信奉する人間たちを虐殺して回っているが、現代でも民族大虐殺は普通に起きている。
そんな中で、日本人だけ暴力とは無縁というのはあり得ないのである。
日本もこれから戦争に巻き込まれる可能性は充分にある。だからこそ、日本も暴力に対抗できる暴力を保持しておかなければならない。
つまり、日本人もそろそろ現実に目覚めなければならないということだ。時代は変わった。
日本人だけが戦争と無縁というのはあり得ない。
日本もこれから戦争に巻き込まれる可能性は充分にある。