敵を知り己を知れば
百戦危うからず。
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アリババやテンセント、
ファーウェイなど
破竹の勢いで、
急成長を遂げた中国市場。
単純作業を請け負っていた
“世界の工場”だった中国が、
なぜ、ここまで急激に
発展することができたのでしょうか?
その発展の裏には、
私たちが知る由もない
中国の黒い秘密がありました…
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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「日中友好50年」
~史上最悪の外交的敗北
From:伊勢雅臣
我が先人達が理想とした生き方は、
西洋の現代心理学にも通ずる普遍的な智慧だった。
「中国共産党が言っていることを信じているレベルでは、
日本人は将来、とてつもない不幸を背負うことになる」
■1.モンスター国家を育ててしまった
「日中友好50年」
本年9月29日は「日中国交正常化50周年」
の記念日でした。
50年前、1972(昭和47)年のこの日、
田中角栄、周恩来両国首相が日中共同声明に
署名しました。
ちょうど半世紀の区切りの年で、
一応、記念式典も開かれましたが、
国民の間ではしらけムードが支配的でした。
なにしろ、日中共同の世論調査では、
日本で「中国に良くない印象、または
どちらかといえば良くない印象」を持つ人が90.9%、
中国側でも66.1%の人が日本に対して、
同様の印象を持っています[NHK]。
この数字だけ見ても、
「日中友好50年」の歴史は、
大失敗だったことが分かります。
国民感情だけではありません。
尖閣海域での傍若無人な領海侵犯、
台湾に対する武力威嚇、チベットやウイグルでの人権弾圧、
世界の発展途上国を債務の罠に陥れている一帯一路、
等々、中国は今や世界の平和と安定を脅かす
モンスター国家に育ってしまいました。
この「日中友好50年」の間に、3兆7千億円近くの
ODA(政府開発援助)を貢ぎ、また日本企業の
対中投資残高は2020年時点で約19兆円にも
上っています[Wedge]。
我が国の政府・企業は身を削ってモンスター国家を育て、
国際社会に大きな危険と損失を与えてしまいました。
最近のベストセラー、門田隆将氏の『日中友好侵略史』では、
「おわりに」で「国交正常化五十年を機に、
その歴史を日本は振り返り、これを教訓とし、
二度と同じ失敗をしてはならない」と述べています。
今回は同書を頼りに、失敗の原因の一端を見ておきましょう。
日中友好侵略史 - 門田隆将
■2.「国交正常化をできるのは、田中だ」
かつて自民党内で「元帥」と畏怖されていた
木村武雄という衆議院議員がいました。
佐藤栄作首相にも直言できる大物議員でした。
中国共産党中央委員で対日工作の責任者・
廖承志(りょうしょうし)は早くから木村武雄と接触し、
二人は何度も会って、日中国交回復について
議論を交わしていました。
やがて田中角栄が頭角を現すと、
木村は田中を首相にして、
日中国交正常化を進めようとします。
木村の秘書を務めていた息子の木村完爾は、
当時をこう回想しています。
__________
国交正常化をできるのは、田中だ、
日中国交正常化を武器にすれば政権がとれる、
それをしなければならない、と田中さんを
説得していました。
ライバル福田(赳夫)さんは台湾派のほうに
連なっていますからね。
私には〝俺が田中政権をつくる〟
とよく話していましたよ。
[門田、p111]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
木村の後押しを得て、田中軍団は「中国」を
前面に押し出して、自民党総裁選に突き進みました。
「いま中国に舵を切らなければ、
欧米に遅れをとってしまう」
「かつての大戦で迷惑をかけた日本だからこそ、
中国に目を向けなければならない」、、、。
田中は「日中国交」を旗印にして、
福田を破り、政権を取りました。
しかし、それによって田中政権は
「日中国交」で失敗も後戻りも許されない状況に、
自らを追い込んでしまったのです。
■3.「なにか仕組まれているような気がした」
田中政権の誕生が昭和47(1972)年7月6日、
そして9月29日には北京を訪問し、
共同声明で日中国交正常化が発表されました。
一方、アメリカは電撃的なニクソン訪中を
田中訪中の7ヶ月前に果たしたものの、
正式な国交樹立は7年後の1979年でした。
米国の7年に対し、田中政権は3ヶ月。
国際的な外交常識から言っても、
異常な「拙速」でした。
北京の迎賓館に到着した田中角栄首相と
大平正芳外相の一行十数人を、周恩来首相が出迎えて、
一人ひとりと握手していきました。
大平の秘書官・森田一は、その時の驚きをこう語っています。
__________
中国側は秘書官の名前も全部、わかっていたんですよ。
だって、周恩来さんは、僕に〝森田さん〟と言ったんです。
事前に勉強しているんですよ。
一人一人について全部わかっているような感じでしたね。
途中で、この交渉を通じて、なにか仕組まれているような
気がしたのは事実ですね。
[門田、p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
後に、門田氏は森田氏にこう聞いています。
__________
「中ソ対立が極限まで達し、北京や上海では、
当時、ソ連の核攻撃に備えて避難訓練もおこなわれていました。
また、文化大革命による破壊で、
あらゆるものが機能不全になり、
中国全土が〝荒野〟と化していたことはご存じでしたか」
森田の答えは、こうである。
「いま分析すると、中ソ対決の情報が欠けていたと思いますね。
それに文化大革命で中国が荒廃しつくしている
ことも知りませんでした。
橋本中国課長がそういう情報を取っていなかったか、
上げていなかったかということでしょう。
[門田、p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ソ連との対立、文化大革命による荒廃と、
日本を味方につけ、日本の力での経済再建を
切実に必要としてのは中国でした。
一方、日本は「欧米に遅れるな」という
程度の動機しかありませんでした。
これほど拙速に動く必要はなかったのです。
この立ち位置を全く生かせなかったのは、
外務省の橋本中国課長が中国側の状況の
「情報を取っていなかったか、
上げていなかったか」でした。
取っていなかったとしたら
信じられないほどの無能の極み、
上げていなかったとしたら
日本の国益よりも中国の国益を優先する「背信」です。
■4.「賠償を放棄するというのも、
彼らのやり方なんだよ」
訪中前に田中が心配していたのは、
戦争の賠償問題でした。
とてつもない金額を要求されたら、
日中国交正常化への国民の期待も一挙に失われ、
それを旗印にしていた田中政権が
吹き飛ぶことは間違いありませんでした。
その状況を把握していた周恩来は、
公明党の竹入義勝委員長を北京に招待しました。
公明党・創価学会は中国がかねてから重点目標として、
池田大作・名誉会長には120以上の名誉教授などの
称号を贈りつづけ、また竹入委員長も、
周恩来首相自ら日中国交の希望を伝えていた人物でした。
周恩来は竹入と会って、直接、賠償問題を持ち出しました。
「毛主席は賠償請求権を放棄すると言っています。
賠償を求めれば、日本人民に負担がかかります。
そのことは中国人民が身をもって知っています」
と言って、日清戦争後に日本に払った
賠償の重さを語りました。後に竹入はこう書いています。
__________
私は五百億ドル(注=十五兆円以上)は
払わなければと思っていたので、
全く予想もしない回答に頭がクラクラした。
周首相は「田中さんに恥をかかせませんから、
安心して中国に来てください」と
自信たっぷりにいった。[門田、p160]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
竹入の帰国後、この報告を受けて、
田中は訪中を最終的に決断したのです。
この点について、佐藤慎一郎・元拓殖大学特任教授は
門田氏にこう語っています。
佐藤教授は、辛亥革命で孫文を助けた山田良政、
純三郎兄弟の甥で、満洲や支那大陸に深く潜行して
晩年の純三郎を助け、戦後も内閣調査室で
中国情報の分析をおこなって、時々の総理大臣に
中国情勢の解説を行った人物です。
__________
賠償を放棄するというのも、彼らのやり方なんだよ。
これで際限なく日本から資金を引き出せるわけだからね。
一度で終わらせるのではなく、延々とつづけさせる。
実際、日本が中国に対して出すお金には、
かぎりがないでしょ。
こういう彼らのやり方を知らないまま
田中と大平は中国に乗り込んだ。
日本にとって、この交渉は本当に悔やまれる。
[門田、p259]
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■5.「中国で千数百万人、二千億ドルの損失を
与えながら〝ご迷惑〟とは何事か」
田中総理一行が北京につき、最初の会談が行われた後、
約6百人が参加して周恩来首相主催の
歓迎夕食会が開かれました。
周恩来の歓迎挨拶の後、田中総理の挨拶が始まりました。
この時、大きな問題が起こりました。
田中が「我が国が中国国民に、多大なご迷惑を
おかけしたことについて、私は改めて深い
反省の念を表明するものであります」との言葉が、
中国語に翻訳された時のことです。
それまで「角栄」節の一区切り毎に翻訳されて
満場の拍手が響き渡っていたのに、
この時は急に場内が異様な沈黙に包まれました。
その後の会場は明らかに盛り上がりが失われました。
周恩来はその時は黙っていましたが、宴会が終わり、
田中と握手して別れる時に、「田中さん、
"ご迷惑をかけました”という日本語は軽すぎます」
と抗議をしました。
翌日2日目の日中外相会談では、
中国側はこの問題を蒸し返しました。
__________
日本軍国主義は、中国で千数百万人、
二千億ドルの損失を与えながら〝ご迷惑〟とは何事か。
言葉が軽すぎるし、誠意がない。
これは受け入れるわけにはいかない。[門田、p230]
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日本側は「あれはきちんとした謝罪だった」
としか言えませんでした。この部分の、
中国語の翻訳は「添了麻煩」で、誤って女性のスカートに
水をこぼしてしまい、「あっ、すいません」
という程度の謝罪だといいます。
この言葉で、満場の中国人が黙り込んでしまったとは、
明かな誤訳です。
スピーチの翻訳は橋本中国課長に任されており、
彼は戦前にハルピンに生まれた、
外務省でも一番、優秀な翻訳官に任せていたそうです。
そんな翻訳官が、満場の中国人がみな
不快に思うような明かな誤訳をする、
などと言うことがあるでしょうか?
そんな初歩的な誤訳に中国課長が気がつかない、
というのも異様です。それも、
もっとも日中間の機微に触れる謝罪問題で。
門田氏は「中国側にとっては、『添了麻煩』問題は
『しめた』というものだったろう」と述べて、
あくまで不作為のミスと捉えているようですが、
筆者個人としては、ここにも森田一秘書官の
言った「なにか仕組まれているような気」がするのです。
二回目の首脳会談でも、
周はこの問題を厳しく追及してきました。
ここで攻勢に出た中国側は、
台湾問題でも日本側を押しまくります。
最終的には、台湾との外交関係は解消されること、
「二つの中国」の立場はとらないことなど、
橋本中国課長が書いた文書を大平外相が読み上げて、
なんとか共同声明にこぎ着けました。
大平は、最後には「これらのことについて
中国側のご理解を得たい」と、
悪さをして叱られた生徒が先生に
謝るような口ぶりになってしまいました。
■6.「日本がこの方面で一歩
先んじていくように仕向けていた」
こうして、本来なら日中国交正常化を
急ぐ必要もない日本側が、いつのまにか
「中国側のご理解」をいただいて、
その後の膨大な援助を「させていただく」
という形になってしまいました。
こうした「史上最悪の外交的敗北」をもたらした責任が、
日中国交回復を政権奪取の旗印とした
田中角栄の私心だけでなく、
橋本中国課長を代表とする外務省の無能、
または背信にあったことは明らかです。
この橋本課長は、1989年の天安門事件の際には、
中国大使に出世しています。
自国の多くの学生青年たちを戦車で虐殺する
残虐さに欧米諸国が一致して対中非難に結束していた中で、
橋本大使と、あの慰安婦に関する河野談話で
悪名高き河野洋平官房長官が、
対中制裁解除に奔走します。
そして天皇訪中まで実現して、
対中制裁の輪を崩してしまいました。
当時の中国の外交部長(外相))銭其しん
(王へんに深のつくり、せんきしん)は、
回想録『外交十記』でこう書いています。
__________
日本は西側の対中制裁の連合戦線の最も弱い輪であり、
中国が西側の制裁を打破する際に
おのずと最もよい突破口となった。
当時、われわれは日本がこの方面で一歩
先んじていくように仕向けていた。
西側の対中制裁を打ち破るだけではなく、
さらに多くの戦略的な配慮があった。
すなわち双方のハイレベル往来を通じて、
日本の天皇の初めての訪中を実現させるよう促し、
中日関係の発展を新たな段階に推し進めることだった。
[門田、p283]
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■7.「とてつもない不幸」をもたらした日本外交の失敗
ここでも日本外交は中国外交に
操られていたことが分かります。
天安門事件で、モンスター国家はその正体を
世界にさらけだしたのです。
欧米諸国とともに、日本が対中制裁に加わっていれば、
少なくとも率先してその輪を崩したりしなければ、
モンスターの成長を止められたチャンスでした。
日本外交はそのチャンスも台無しにしてしまったのです。
「賠償を放棄するというのも、
彼らのやり方なんだよ」と喝破した
佐藤翁はこうも語っていたそうです。
__________
日本人は中国人のことを知らなさすぎる。
そしてもっと日本人が知らないのは、
私たちが思っている中国人と
中国共産党の人間がまるで違うことだ。
中国共産党が言っていることを信じているレベルでは、
日本人は将来、とてつもない不幸を背負うことになる。
[門田、p260]
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外務省の本来の仕事は、この佐藤翁のように
交渉相手をよく理解して、我が国の国益のための
外交政策を考えることでしょう。
それをまったくしていなかった外務省の無能
または背信によって、「日中友好50年」が
日本人だけでなく、世界にとっても
「とてつもない不幸」をもたらしたのです。
(文責 伊勢雅臣)
■リンク■
・JOG(1245中国共産党「大量虐殺」の100年~石平氏著『中国共産党暗黒の百年史』から
毛沢東による「革命同志」7万人粛清から始まった「大量虐殺」の歴史
http://jog-memo.seesaa.net/article/202112article_1.html
・JOG(1229)ウイグル人の住む地獄
「中国共産党の狡猾さ、したたかさを予想できなかった祖先を恨む」
というウイグル人の思いを我々の子孫にさせないために。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202108article_4.html
・JOG(1210)強欲集団対国民共同体
中国共産党と米巨大IT企業は世界の国民共同体を破壊して、
自己の利益を拡大しようとする強欲集団。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202104article_1.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
・門田隆将『日中友好侵略史』★★★、産経新聞出版、R04
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B0BCGMYMQ9/japanontheg01-22/
・NHK国際ニュースナビ「中国の人は日本のことをどう思っている?最新の世論調査から」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/05/25/21262.html
・WedgeONLINE「甘い企業の対中認識このままでは日本人が〝人質〟になる」
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25785
__________
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http://blog.jog-net.jp/
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<著者紹介>
伊勢 雅臣
1953年東京生まれ。
東京工業大学 社会工学科卒。
日本の大手メーカーに就職後、
社内留学制度により、
アメリカのカリフォルニア大学
バークレー校に留学。
工学修士、経営学修士(MBA)
経営学博士(Ph.D.)を取得。
生産技術部長、事業本部長、
常務執行役員などを歴任。
2010年よりイタリア現地法人社長。
2014年よりアメリカ現地法人社長を歴任。
イタリアでは約6千人、
アメリカでは約2.5万人の外国人を束ね、
過去最高利益を達成するなど
成果を上げてきた。
これまでの海外滞在はアメリカ7年、
ヨーロッパ4年の合計11年。
駐在・出張・観光で訪問した国は
5大陸36カ国以上に上る。
1997年9月より、
社業の傍ら独自に日本の歴史・文化を研究。
毎週1回・原稿用紙約15枚の執筆を22年間。
正月休み以外は毎週続け、
発行したメールマガジンは1148号を超える。
筑波大学等でも教鞭をとり、日本の未来を担う
「国際派日本人」の育成に尽力している。
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