旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

「あやめ城」とも呼ばれる新潟県の新発田城です。

2006年08月03日 | 旅 歴史
新発田重家により築城されました。重家は謙信に仕えていました。景勝時代に織田信長に内通したことにより、天正15年、直江兼続によって攻められ落城し、重家は切腹しました。新発田藩、溝口秀勝が1598年に六万石を与えられて、この土地に今の新発田城を築いて400年余りになります。表門と旧二ノ丸隅櫓は国の重要文化財に指定されています。城の表門前に堀部安兵衛の像があります。溝口秀勝の曾孫にあたります。安兵衛は、新発田藩二百石どりの武士である中山弥次右衛門を父とし、家老を務めたこともある溝口四郎兵衛の娘を母にもつという由緒正しい血筋でした。ところが、母は産後すぐ亡くなり、父は安兵衛が13才のとき、部下の火の不始末の責任をとり、家は断絶となってしまいました。赤穂藩三百石どりの堀部弥兵衛の婿養子となって堀部安兵衛となりました。吉良上野介への仇討ちに加わり、義父ともに本懐を遂げました。
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