旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

宮崎県の飫肥城です。

2006年08月23日 | 旅 歴史
飫肥城大手門です。明治2年(1869)当主伊東氏が大手門前の豫章館に移り、明治6年(1873)には、飫肥城内の建物全てが取り壊されてしまいました。この大手門は昭和53年(1978)6月に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元されました。釘を一切使用せず作られているそうです。飫肥城は飫肥の町の北側、酒谷川と山川を臨む海抜60mほどの丘に建っています。康安2年(1362)砦程度のここに反乱兵士が立てこもりこの地方の豪族土持頼宣が平定したそうです。 鎌倉時代、工藤祐経が源頼朝より日向の地頭職に任ぜられました。それ以来日向の国主として支配してきました。6代目の伊東祐持は足利尊氏より都於郡に三百町の領地をもらい都於郡城を築いたのでした。長禄2年(1458)薩摩の島津氏は伊東氏の南下に備え飫肥城を築き、志布志城の新納忠統を守備に当らせました。文明16年(1484)伊東祐国が都於郡城から飫肥に出陣し攻略しました。 しかしすぐに城は島津氏に奪回されました。伊東祐国は何回も飫肥城を攻めましたが攻略できず逆に戦死してしまいました。 伊東祐国の子尹祐と島津忠国は和睦しましたが尹祐の子義祐は飫肥城を攻め島津氏との間で奪回が繰り返されました。永禄11年には義祐の次男祐兵(すけたけ)が城主になっています。

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