岐阜城は標高336mの金華山山頂に築かれた城です。 1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により砦が築かれました。戦国時代には斎藤道三の居城でもありました。永禄10年(1567年)8月、織田信長が、この城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、その地名も「井口」(いのくち)を「岐阜」と改めました。周の文王が岐山より興って天下を平定した故事によるものといわれています。岐阜城は安土城が築かれる10年間信長の本拠とし、その後信長の長男信忠が居城しました。本能寺の変後は神戸信孝・池田元助らが入城しました。慶長5年(1600年)8月、関ヶ原合戦の際に、信長の孫の秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末に落城しました。