ここ川中島の八幡原は、永禄4年に越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄が戦った場所です。 今まさに斬り付けようとする上杉謙信、不意を突かれあわてて軍配で太刀を受けようとする武田信玄の像が建っています。信玄は軍配で謙信の太刀を受けましたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負ったといわれています。後に、この軍配を調べたところ三太刀だと思われた謙信の太刀痕は7ヶ所もあったことがわかり、この一騎打ちの跡を「三太刀七太刀」(みたちななたち)の跡と言われるようになりました。
武田軍の原大隅がそばにあった信玄の槍を馬上の上杉謙信めがけて付き出し、はずれ槍が馬に当たり、馬は驚いて跳ねたので上杉謙信は本懐を遂げられず、武田信玄は九死に一生を得ることできたということです。
武田軍の原大隅がそばにあった信玄の槍を馬上の上杉謙信めがけて付き出し、はずれ槍が馬に当たり、馬は驚いて跳ねたので上杉謙信は本懐を遂げられず、武田信玄は九死に一生を得ることできたということです。