今日は丸子城跡に登ってきました。天正13年(1585)8月2日、真田昌幸は沼田城の明渡しを拒み、徳川家康の大軍と神川(かんがわ)の辺りで合戦し撃退させました。徳川軍は丸子城に矛先を変え、八重原に布陣しました。昌幸は手白塚(塩川)に出て牽制しました。8月19日、諏訪頼忠が丸子城への攻撃を開始し合戦が始まりました。丸子城では真田の家臣丸子三左衛門らが少ない兵力で城を守っていたそうです。翌日、昌幸は長瀬河原へ出て鉄砲で諏訪軍の背後を突いたそうです。これを見た岡部長盛は軍を三手に分けて出陣し、河原原に火を放って真田軍を退け、辰ノ口側から丸子城を攻撃したのですが結局城は落とせず、徳川軍は何も得ることなく帰ることになったとのことです。