旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

向上寺三重塔

2009年06月13日 | 旅 歴史
 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田にある向上寺三重塔を取り上げてみます。
 平山郁夫氏は少年の頃、この向上寺の裏山で遊んだそうです。そしてこの三重塔を中心とする構図で写生したそうです。国宝の向上寺の前身は応永10年(1403)三原仏通寺の開祖、愚中周及により開山したといわれています。
 その後、生口隆平・守平親子や生口氏と深い関係にあった小早川元信・信昌らによって、建物の増改築が行われ応永21年(1414)に向上寺と改名したそうです。
 向上寺内にある三重塔は、永享4年(1432)当時の生口島の領主である小早川元信・信昌によって建立されたそうです。昭和33年(1958)に国宝に指定されています。
 高さ19m、室町時代の禅僧建築の粋を集めた唐様式と和様式の折衷となっています。各層高欄を支える四隅の親柱の飾り付けが逆蓮華になっているのが特徴です。須弥壇高欄親柱が唐様で二重開花蓮の上に宝珠がある珍しい建築方法だそうです。



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耕三寺

2009年06月13日 | 旅 歴史
 今日は広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田にある耕三寺を紹介します。
 母の寺として有名な耕三寺はもと実業家で初代住職の耕三寺耕三和上が母の菩提寺として建立した浄土真宗本願寺派の寺です。
 昭和11年(1936)から30年あまりの歳月をかけて造られた堂塔は、国宝建造物を手本として建てられています。山門は京都御所の紫宸殿と同じ様式で、ここをくぐると奈良法隆寺の楼門と同じ様式の中門に出会えます。
 堂塔は飛鳥、奈良、平安、鎌倉、江戸など各時代の建築様式を取り入れています。その内の15棟は国登録有形文化財に指定されています。
 約1万5千坪の寺域の伽藍の配置の特徴は上・中・下三段から構成されています。南北を貫く軸線を中心として左右対称に堂塔が配置されているのです。
 中門を抜けると右側に鼓楼、左側に奈良新薬師寺を真似た鐘楼があります。そのまま中心線の先の本堂に向かって石段を登ると中心に五重の塔がそびえています。室生寺の五重塔をコピーしたものだそうです。色が鮮やかすぎて同じようには見えませんでした。
 五重塔の右側には近代美術展示館を兼ねた法宝蔵が建っています。大阪四天王寺の金堂を真似たものだそうです。金堂は江戸時代に再建されましたが大阪空襲の際焼失したそうです。
 この法宝蔵の中には耕三寺耕三が蒐集した潮聲閣コレクションの近代美術部門の名品が展示されています。
 五重塔の左側には茶道美術展示館を兼ねた僧宝蔵があります。これも大阪四天王寺の金堂を真似ていますが鴟尾のかわりに獅子口を乗せています。
 僧宝蔵には耕三寺耕三が蒐集した潮聲閣コレクションの茶道関係の器とか茶器などが展示されています。
 五重塔から本堂に向かって石段を登ると孝養門という見たことのある門があります。日光東照宮の陽明門のコピーです。その左右には日野法界寺の阿弥陀堂のコピーの至心殿、信楽殿があります。
 孝養門は耕三寺に参拝にきた人々が極彩色の堂塔を見て「日光のようだ」と言っていたのを耕三寺耕三和上が心に留め、昭和28年(1953)9月に日光陽明門の原寸復元を心に決めたそうです。
 その際に実測図面が必要になり文部省に一組あった図面を申請して入手したそうです。工匠を日光に派遣して研究し、昭和29年(1954)1月に造営しました。
 孝養門より本堂を見ると本当に極楽浄土のように映ります。中国の堂塔を真似て日本で建てられた当時はこんな感じではなかったと思われます。
 本堂は宇治平等院の鳳凰堂のコピーです。入母屋、切妻、宝形などの屋根形、肘木、垂木の大面取や格天井、彩色など藤原時代の手法によっているそうです。
 中堂の外陣柱を丸柱にして彫刻を施し、翼廊は御名号や絵像を安置するため一層と二層を同じ高さにしています。
 本尊は方便法身阿弥陀如来立像です。耕三寺は昔、冷泉中納言卿の荘園があったところに建てられているそうです。


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