昨日は夕飯の後、投稿論文の査読をお願いする人たちにメールや電話で打診を行なった。15名の方に依頼し、24時間が経過した時点で、11名の方から快諾(?)を得た(まだコンタクトを取れない方が1名)。おそよ5打数4安打の高打率である。ご多忙中のところ、突然のお願いにもかかわらず、ありがたいことである。辞退された方にしても、こちらが先方の事情を何も存じ上げずに依頼を行なったことを恥じ入るようなケースばかりで、小さな学会の機関誌が毎年滞りなく発行できているのは、こうした方々のご協力あってのことと改めて感じ入った。
午後、天気もよくなったので、昼食をとりがてら散歩に出る。「鈴文」でとんかつ定食。6切れを塩、醤油、醤油、ソース、醤油、ソースの順で食べる。よく覚えているな、メモでもとっているのか、とお思いになる方もいようが、覚えていようと思わなくても自然と思い出せるのである。私は将棋が趣味なのだが、終わったばかりの将棋は最初の一手から最後の一手まで相手の手も含めて全部覚えている(つまり対局を再現できる)。一局の平均手数は120手前後であるから、知らない人が見たら記憶の天才かと思うかもしれないが、これはアマチュア5級程度の棋力があれば訳はない。なぜかというと、将棋というのは相手との対話であるわけで、一手一手は前後の手と有機的に連関して1つのストーリーを形成しているからである。もしお互いが相手の意向もお構いなく、かといって自分の中に一貫した方針もなく、その場その場の思いつきで指していたとしたら、それはちょうどランダムに並んだアルファベット120文字を暗記するとの同じくらい、いや、アルファベットは26文字しかないが、任意の局面における可能な指し手はずっと多いから、指し手の暗記はほとんど不可能であろう。話がずいぶんとわき道にそれたが、何を言いたいのかというと、「鈴文」のとんかつは、その一切れ一切れに、「さあ、次は何をつけて食べよう」という思いを強く喚起させる力があり、後からそのストーリーを再現することが容易なのだということである。「鈴文とんかつ物語」(to be continued)。
「鈴文」を出て、その足で隣駅の大森の駅ビル(アトレ)に入っている丸善に行く。モールススキンの2008年のダイアリー(一日一頁のポケットタイプ)が出ていたので購入。このコンパクトな厚みがたまらない魅力である。えっ、ブログのほかに普通の日記も付けているのかって? はい、そうですけど。いや、普通の日記とはいえないかな、英語で書いているから。石川啄木は家族に日記を読まれないようにローマ字で日記を書いたのだが、いまの時代、英語で日記を書いてもプライバシーは守れない。では何のために英語で書くのかというと、漢字は画数が多いから手書きだとめんどくさいのである。内容は簡単で短い。「今日、大学へ行きました。教授会が長くて死にそうでした。帰りに本を3冊買いました」・・・まるでTVドラマ『僕の歩く道』の主人公が幼なじみの女の子に毎日書く葉書の文面そっくりである。こういう文章を書いていると心がピュアになっていく感じがするのである。その他、丸善オリジナルのブックカバーや絵葉書などを購入。大森に来たついでに、ジムでのトレーニングの代わりに、馬込文士村を散歩しながら本門寺まで歩こうか(ゴールは「甘味あらい」だ)とも考えたが、かなり日差しが強くなってきて、気温も湿度もありそうだったので、散歩はさわやかな秋の一日のためにとっておくことにした。蒲田に戻り、ルノアールで珈琲。台風が去って、みんな家から出てきたためだろうか、広いルノアールがほぼ満席であった。
明日は台風一過の猛暑日らしい。子どもの頃、笠置シズ子主演のスタジオドラマで「台風一家」というのがあった。「台風一過」のもじりであるわけだが、いつも楽しんでみていたせいだろう、いまでも「台風一過」という言葉を耳にすると、「台風一家」と頭の中で変換する癖が抜けない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/65/6a544cd955249a844bea29ddd2afca89.jpg)
落日
午後、天気もよくなったので、昼食をとりがてら散歩に出る。「鈴文」でとんかつ定食。6切れを塩、醤油、醤油、ソース、醤油、ソースの順で食べる。よく覚えているな、メモでもとっているのか、とお思いになる方もいようが、覚えていようと思わなくても自然と思い出せるのである。私は将棋が趣味なのだが、終わったばかりの将棋は最初の一手から最後の一手まで相手の手も含めて全部覚えている(つまり対局を再現できる)。一局の平均手数は120手前後であるから、知らない人が見たら記憶の天才かと思うかもしれないが、これはアマチュア5級程度の棋力があれば訳はない。なぜかというと、将棋というのは相手との対話であるわけで、一手一手は前後の手と有機的に連関して1つのストーリーを形成しているからである。もしお互いが相手の意向もお構いなく、かといって自分の中に一貫した方針もなく、その場その場の思いつきで指していたとしたら、それはちょうどランダムに並んだアルファベット120文字を暗記するとの同じくらい、いや、アルファベットは26文字しかないが、任意の局面における可能な指し手はずっと多いから、指し手の暗記はほとんど不可能であろう。話がずいぶんとわき道にそれたが、何を言いたいのかというと、「鈴文」のとんかつは、その一切れ一切れに、「さあ、次は何をつけて食べよう」という思いを強く喚起させる力があり、後からそのストーリーを再現することが容易なのだということである。「鈴文とんかつ物語」(to be continued)。
「鈴文」を出て、その足で隣駅の大森の駅ビル(アトレ)に入っている丸善に行く。モールススキンの2008年のダイアリー(一日一頁のポケットタイプ)が出ていたので購入。このコンパクトな厚みがたまらない魅力である。えっ、ブログのほかに普通の日記も付けているのかって? はい、そうですけど。いや、普通の日記とはいえないかな、英語で書いているから。石川啄木は家族に日記を読まれないようにローマ字で日記を書いたのだが、いまの時代、英語で日記を書いてもプライバシーは守れない。では何のために英語で書くのかというと、漢字は画数が多いから手書きだとめんどくさいのである。内容は簡単で短い。「今日、大学へ行きました。教授会が長くて死にそうでした。帰りに本を3冊買いました」・・・まるでTVドラマ『僕の歩く道』の主人公が幼なじみの女の子に毎日書く葉書の文面そっくりである。こういう文章を書いていると心がピュアになっていく感じがするのである。その他、丸善オリジナルのブックカバーや絵葉書などを購入。大森に来たついでに、ジムでのトレーニングの代わりに、馬込文士村を散歩しながら本門寺まで歩こうか(ゴールは「甘味あらい」だ)とも考えたが、かなり日差しが強くなってきて、気温も湿度もありそうだったので、散歩はさわやかな秋の一日のためにとっておくことにした。蒲田に戻り、ルノアールで珈琲。台風が去って、みんな家から出てきたためだろうか、広いルノアールがほぼ満席であった。
明日は台風一過の猛暑日らしい。子どもの頃、笠置シズ子主演のスタジオドラマで「台風一家」というのがあった。「台風一過」のもじりであるわけだが、いつも楽しんでみていたせいだろう、いまでも「台風一過」という言葉を耳にすると、「台風一家」と頭の中で変換する癖が抜けない。
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落日