フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月14日(金) 晴れ

2007-09-15 00:41:50 | Weblog
  残暑がもどってきたらしい。「らしい」と書くのは、まだ多少寒気がするので、外部の温度を正しく感じることができないからである。私には暑くもなく、寒くもなく(寒いわけはないが)ほどよい気候に感じられる。先日処方してもらった薬が切れたので、午前の診療時間が終わる前に耳鼻科に行き、連休明けまでの薬を出してもらう。抗生剤が減り、鎮痛剤がなくなり、その代わり、咳止めと痰を切る薬が新たに処方される。
  薬局で薬を受け取ってから、駅の方へ散歩に出る。東急プラザ6Fの「とん清」で海老フライ定食を食べる。「鈴文」に通い出す前はここでときどきとんかつを食べたものであるが、もうそういう気持ちにはなれない。別れた女とよりをもどすようなマネはしたくない。ここの海老フライ定食も好きだったはずだが、ひさしぶりに食べてみると、全体として塩気が強いように感じる。豚汁が煮詰まっているせいだろう。それから海老に下味を付けるときの塩が多いのだと思う。かつ煮定食にすればよかったかなと後悔する。10月になったら牡蠣フライ定食が始まるはずだから、それに期待しよう。
  帰宅してしばらくすると妻がビーズの講習から戻ってきた。これから飼い猫のはるを定期健診につれていくから手伝ってと言われる。私がはるを抱えてきて、床に下ろすと同時に妻が上からネットをかぶせる。はる暴れるが、時すでに遅し。ネットに包んだままキャリーバッグに入れて、妻が自転車で病院につれていく。ほどなくして戻ってきたはるは、キャリーバッグから出され、ネットを外されると、そのままソファーの下にもぐってしまった。病院から帰った後はいつもこうである。いじけているのである。人間不信に陥っているのである。病院では多少痛い目に遭う。予防注射と採血もさることながら、採尿のために道尿管を入れられるのが痛いらしい。いや、彼がいじける一番の理由は病院で痛いことをされたということではなく、それもそうなのだが、それ以上に、信頼していた私と妻が医者と共犯関係にあったということにあるのだ。「信じていたのに・・・、信じていたのに・・・」、そうつぶやくはるの声がソファーの下から聞こえてくる。エリクソンの自我の発達段階説を援用するならば、彼はいま初発の段階である「基本的信頼」の揺らぎに直面しているのである。アイデンティティの危機なのである。はるがようやくソファーの下から出てきたのは、帰宅後、6時間ほど経過してからである。それでもまだ釈然としない思いが残っているらしく、われわれが名前を呼んでも、「フン」という表情でキッチンの隅で丸くなったりしている。まあ、明日には忘れていると思いますけどね。

           
                     傷心のはる