フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月26日(水) 晴れ

2007-09-27 01:47:30 | Weblog
  楽天チケットエージェントから、牧阿佐美バレエ団公演「くるみ割り人形(全幕)」(12月14~16日、ゆうぽうとホール)の案内のメールが届く。3日間の公演だが、主要キャストである金平糖の精と雪の精のダンサーは日替わりで、若手ツートップの伊藤友季子が金平糖の精、青山季可が雪の精を踊る16日の舞台をぜひ観たいと思う。チケットの販売開始は10月4日の午前10時である。しかるにその日は2限(10時40分から)に授業が入っている。10時から10時40分の間にうまくチケットがとれればよいが・・・、と考えているときに、牧阿佐美バレエ団には「クラブ・デ・シャルドン」という名前のオフィシャル・クラブがあって、その会員になると一般販売に先行してチケットの購入ができて、しかも割引もあることを知った。入会金1000円、年会費2500円という会費は高いものではなかろう。さっそく入会の手続きをすることした。バレエ団の事務局にメールで入会申請をし、郵便局で3500円を振り込んだ。折り返し事務局からメールがあり、入金が確認されしだい(3日ほどかかる)メールで会員番号を通知しますので、来週の頭には会員として一般販売に先立ってのチケット購入が可能ですと書かれていた。よかった、よかった。
  ところで現在私は一体いくつの団体の「会員」になっているだろう。自分の意志でメンバーになったり、メンバーを辞めたりできる集団との関係は、近代社会における社会と個人の関係の特徴である。もちろん家族に代表される共同体との関係は気づいたときにはすでにそのメンバーになっているといった種類の選択不可能なものであり、そうした関係性は前近代社会にも存在したし、近代社会にも存在するし、ポスト近代社会にも存在するであろう。しかし、歴史の趨勢としては、そうした共同体的な関係が個人の生活の中で占める割合は漸次減少してきた。共同体の代表である家族においても、家族のあり方のオプションはしだいに増加してきており、「家族の個人化」や「制度としての家族からライフスタイルとしての家族へ」といった趨勢を見て取ることができる。ただし選択可能性の増大は必ずしもそのまま選択権の行使の増大ではない。新しい集団に加入したり、既存の集団から離脱することは大小のストレスを伴うリスキーな行為である。それは上手くいくこともあれば、いかないこともある。だから安定を何よりも重視する人たちは選択可能な世界の中にあって選択権を行使しないで生きることになる。それは選択不可能な世界の中で生きることと表面的には同じであるが、決定的に違うのは、後から「なぜあのとき選択権を行使しなかったのだろう」という後悔、忸怩たる思いが生じるということである。もちろん、選択権を行使すればしたで「なぜあのとき選択権を行使してしまったのだろう」という後悔が発生することになろう。しかし、この二種類の後悔は等価ではない。何かをしたことの後悔と何かをしなかったことの後悔、そうした二種類の後悔から成り立っているのが人生というものであるとすれば、前者の後悔の方が価値が高いのではなかろうか。なぜなら・・・理由になっていないかもしれないが、人生は一度しかないからである。

           
     ついに夏休みも終わる。デスクトップの画面を秋仕様に切替える。