フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月1日(日) 晴れ

2009-11-02 01:54:23 | Weblog
  8時、起床。朝、蒲団の中で目が覚めたとき、幸福な気分のときと、憂鬱な気分な気分のときがあるというのは、誰でも同じだと思うが、今日は幸福な気分だった。思い当たる理由は(物事にはたいてい理由があるのだ)、第一に、今日が日曜日だということ、第二に、窓から明るい陽射しが差し込んでいること、第三に、昨日よい研究報告を聞いたことだろう。最近は、一週間のうち、幸福な気分の朝が4日、憂鬱な気分の朝が3日、そんな感じだ。ポトフとトーストと冷麦茶の朝食。
  三遊亭円楽が亡くなったと聞いて、尾崎放哉の「糸瓜が笑ったやうな円右が死んだか」という句が頭に浮かんだ。円右とは二代目三遊亭円朝を襲名して間もなく亡くなった初代三遊亭円右のことである。円右が亡くなったのは大正13年11月2日(享年65歳)。落語が好きだった放哉が円右の訃報を聞いて即興で作ったのがこの句である。私は、円楽の訃報に接して、「馬が笑ったような円楽が死んだか」と思ったが、「糸瓜が笑ったような」の滋味には乏しい。久しぶりで放哉の句集を本棚から取り出して読んだ。それほど有名でない(学校の教科書などには載っていない)句の中から心惹かれたものをいくつかあげておく。

  よく笑う女と日まわりのあかるさ
  新しい本屋が出来た町の灯
  海苔をあぶりては東京遠く来た顔ばかり
  夕べひよいと出た一本足の雀よ
  人をそしる心をすてて豆の皮むく
  こんなよい月を一人で見て寝る
  事実といふ事話しあつてる柿がころがつてゐる
  犬よちぎれる程尾をふつてくれる
  田舎の小さな新聞をすぐに読んでしまつた
  豆を煮詰める自分の一日だつた
  壁の新聞の女はいつも泣いて居る
  
  午後、NHKの衛星放送でやっていた加藤和彦の追悼番組を観た。彼はいつもうっすらとした笑いを浮かべていた。「○○が笑ったような加藤和彦が死んだか」の○○に入るのは何だろうと考えてみたが、「弁天様」がピッタリなのではないかという気がした。