フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月14日(土) 曇り

2009-11-15 11:10:55 | Weblog

  私は月曜日に授業を入れていないので、土曜日に会合がないときは、土日月の三連休となる。今日は4週間ぶりの三連休の初日である。三連休といっても、日曜日と月曜日はその週の授業の下準備があるので、土曜日が一番解放感が大きい。一週間が終わり、しかし次の一週間はまだ始まっていない、幕間のひとときである。


子雀のくちばしはもう子どもの雀のものではない(つつかれると痛い)

  午後、散歩に出る。曇っているが、全然寒くない。むしろ生暖かい感じさえする。「中華つけ麺大王」で昼食(つけ麺)をとってから、「シャノアール」で星加良司『障害とは何か』(生活書院)を読む。次回の「現代人間論系総合講座2」で星加さんをゲストスピーカーとしてお招きしているので、その予習である。星加さんは全盲の社会学者で、現在は東大の助教である。同じく全盲の社会学者に石川准さん(静岡県立大学教授)がいるが、石川さんが私と同世代であるのに対して、星加さんは30代の半ば、障害学第二世代という立場から、既存の障害学(ディスアビリティの社会理論)の再検討を行っている。星加さんの博士論文をベースにして書かれているので、議論は周到緻密で、スラスラとは読めないが、論理は明晰で難解ではない。大いに勉強になった(まだ3分の1ほどしか読んでいないが)。
  有隣堂で、渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社新書)を購入。11月13日に出たばかりの本だが、レヴィ=ストロースが亡くなったのは10月30日、本書の校了後のことなので、巻末の「レヴィ=ストロース略年譜」は「二〇〇八年 生誕一〇〇年を記念したさまざまな催しが行なわれる。プレイヤード版『著作集』刊行。」で終っている。

  「松井純さんに平凡社新書でレヴィ=ストロースについて書いてくださいという依頼をいただいたのは、在外研究で1年を過ごしたパリからもどってからだとすれば2006年ということになる。当初は昨年11月末のレヴィ=ストロースの生誕100年に合わせて出版という話が、2009年5月となり、とうとう11月になってしまった。この3年、何かしらのかたちでレヴィ=ストロースというこの稀有な探究者と心のなかで対話してきたように思う。/ただ、本気で原稿に向かいはじめたのは、2月末に短期間ながら青年レヴィ=ストロースの資料を集めにパリに行くことができ、それなりに見通しが立ちそうだという実感を得てからだった。正直にいえば、それ以前は成算がなかったので、松井さんに対しては新しい展望を披露することもできずご心配をおかけしてしまった。忍耐強くお待ちくださったことを心から感謝します。」(「あとがき」より)

  あと半月、本書の刊行が遅ければ、渡辺は「あとがき」でレヴィ=ストロースへの哀悼の言葉を書くことができただろう。ただし、その方がよかったかというと、そうともいえない。本書はレビィ=ストロースの存命中に書かれたおそらくは最後の評伝であり、同時にレビィ=ストロースの死後に出版されたおそらくは最初の評伝である。いま渡辺はどんな気持ちで本書を手にしているのだろう。
  深夜、高見順が転向後に書いた短篇「感傷」(昭和8年)を読む。「高見順の時代」と中島健蔵が名付けた時代の作品の1つである。転向が挫折感を伴うものであったことは間違いないが、同時に、プロレタリア文学の呪縛からの解放であったことも間違いない。やさぐれた気分の中で自在に書かれた作品である。しばらくこの時代の高見の作品につきあってみよう。


「高見順全集」の文字は川端康成のもの