今日は昼から、社会学専修の卒業生のHさんの結婚披露宴に出席するため、六本木のミッドタウンにあるリッツ・カールトン東京へ出かける。と、すらっと書いたけれど、東京ミッドタウンもリッツ・カールトンも行くのは初めてで、六本木の駅を降りてから披露宴会場にたどり着くまでに、インフォメーションや従業員の人たちに何度も道を尋ねた。彼らはみな親切で、知らない村を訪れた旅人に道を教えてくれる村人たちのようであった。
受付を済ませて、Hさんと同期だった社会学専修の卒業生たちとおしゃべりをする。「私たちのこと、おぼえたらっしゃいますか?」と最初に聞かれたが、たかだか卒業3年目の学生たちのことを忘れるはずがないではないか。みんなフルネームで覚えている。それぞれの近況をうかがう。
披露宴のテーブルにつくと、そこにはHさん手書きのメッセージカードがあって、ひとりひとりに違うことが書かれている。準備は大変だったろう。最初に新郎の職場の上司の方が挨拶をして、続いて私が(新婦の大学時代の恩師として紹介され)挨拶をする。卒業生の結婚式に招かれるときはたいていこういう役回りである。二番手というのは一番手よりも気が楽で、上司の方の挨拶が硬い内容のものであれば柔らかい内容を、長めの挨拶であれば短めの挨拶を、と相補的であることを心がけていれば間違いない。
挨拶では、卒論演習のときのエピソードを3つ紹介した。第一に、Hさんがいつも私から見て右側のテーブルに座っていたこと(左側の横顔に自信があるのかもしれない。現にいまも私の場所からは新婦の左側の横顔がみえる)。第二に、Hさんはピンクの色の服を好んでいたこと(今日のお色直しもピンクのドレスではなかいと予想される。←これはズバリと当たった)。第三に、卒論のテーマが「中年期の夫婦関係が良好なものであるためにはどうしたらよいか」というものであったこと。Hさんは自分のご両親を夫婦の理想的なモデルと考えていて、卒論の内容もそれを反映したものであった(お父様とは披露宴が始まる前にロビーでお話をしたが、娘が卒論を見せてくれないんですよとぼやいておられた)。こういう場合の挨拶の常として、何かしら教訓めいたことをいわなくてはならないのだが、自分が育った家族を当たり前、普通、理想と考えていると、きっと新婚生活で「あれっ?」と思うことがあると思うが、それはお相手の方も同じなので、寛容ということが大切です、15年後、中年期のご夫婦になったときに、あなたが卒論で書いた理論がいかに実証されたかを報告してください、そのころ私は定年を迎えるので、最終講義の中であなたのそのレポートを使わせていただきますから、と述べた。