フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月22日(日) 曇り

2009-11-23 01:52:46 | Weblog

  9時、起床。目はもっと早くに覚めているのだが、寒い日は、布団の中で温まっていたいので、起床時刻が遅くなる。
  朝食抜きであれこれ用件を片付け、午後、自転車に乗って「東行」にうどんを食べに行こうとした。ところが、出がけに、子雀が書斎の中で行方不明になった。あちこち探したが姿が見えない。鳴き声もしない。ただ、かすかにカサコソと音がする。ようやく見つけたのが、ファイルボックスの中。クリアーファイルが数冊入っているのだが、隙間ができていて、そのクレパスみたいな部分に落っこちて、挟まって身動きできずにいるのを発見。どのくらいの時間そこにいたのだろう。救出してやると籠の中に入って餌を食べ水を飲んでいた。まるで生還した遭難者みたいだ。「チュン、チュン」と鳴けばよいものを、なぜ黙っていたのだろう。ドジを踏んでしまったところを見つかるのが恥ずかしかったからであろうか。そんなわけはあるまい。あるいは、身動きできない状態に陥った場合は、外敵から身を守るために、鳴いて所在がわかってしまうことを避けるのだろうか。
  子雀捜索に時間がかかり、「東行」へ着いたのは2時を回っており、ランチタイムが終って「準備中」の札が出ていた。いたしかたない。「東行」のうどんは諦めて、喫茶店「琵琶湖」の向かいにある「松月庵」で鍋焼きうどん(上)を食べる。今日のような寒い日は、鍋焼きうどんが美味しい。上だけあって海老の天ぷらが2本入っている。ただ餅が入っていないのはどうしてだろう。鍋焼きうどんには餅を入れるものではないのか。餅がトロトロに溶ける手前が美味しいのだが。今度ここで鍋焼きうどんを注文するときは、餅をリクエストしよう。プラス100円くらいで注文に応じてもらえるだろう。


冬は鍋焼きうどん

  食後のデザートは「甘味あらい」の田舎しること決めて、呑川沿いの道を自転車で走る。腹ごなしにはちょうどいい距離だ。甘党の人は漉し餡派と粒餡派に分かれているようなところがあるが、私はどちらも好きである。色白の女性もいいし、小麦色の女性もいいのと同じである(違うか)。鍋焼きうどんで食べられなかった餅にありつく。江戸の仇を長崎で討つみたいなものである(違うか)。珈琲を追加注文しうよかと思ったが、店が混んできたので、長っ尻はしないことにした。


御前汁粉も美味しいが、今日は田舎汁粉の気分

  珈琲に未練があったし、読書もしたかったので、女塚通り商店街にある「あるむ」(だったか?)という喫茶店に入る。四つ角にある、白い小さな喫茶店で、前から気になっていたのだが、入るのは今日が初めて。品のいい老夫婦(だと思う)がやっている小さな喫茶店で、4人掛けのテーブル席が2つ、カウンターに4席、それだけだ。店内にはクラシックが流れていた(たぶんマーラーの交響曲)。客は私だけで、スペシャルブレンド(450円)を注文して、1時間ほど読書。その間、他の客は入ってこなかった。店の片隅に鉄琴が置いてあり、ただでさえ狭い店内をいっそう狭くしていた。ずっと使われていないようだが、昔は生演奏とかしていたのだろうか。


店の名前がちゃんと思い出せない  

  夜、ETV特集「ピアニストの贈り物~辻井伸行・コンクール20日間の記録~」を観る。今年6月、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで全盲のピアニスト辻井伸行が優勝したが、その20日間(一次予選からファイナルまで)を同行取材したドキュメント。非常に面白かった。ビデオに録っておくべきだった。自分の自由にやれるソロ演奏は問題ないが、大変なのは、室内楽(弦楽四重奏団との協演)やコンチェルトだ。意外なことに、全盲であることはそれほど大きな障害ではなかった。各楽章の出たしのことろで、アイコンタクトができなくとも、息づかいでタイミンを合わせることができる。大変だったのは、辻井は英語が不自由なため、楽団員や指揮者とのコミュニケーション(演奏の仕方をめぐって)を通訳を介してしないとならず、したがって時間がかかり、実質的に練習時間が他のピアニストの半分しかとれなかったことだ。視覚の壁よりも言葉の壁の方が厚かったのだ。それにしても、10時から11時半まで、書斎にずっとピアノ曲が鳴り響いていたのは、眠りに就こうとしている子雀には迷惑だったことだろう。