フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月15日(日) 晴れ

2009-11-16 02:08:10 | Weblog

  小春日和の一日だった。午後、散歩に出る。自転車に乗って梅屋敷の「東行」へ行く。前回と同じ東行うどんに(850円)、かき揚げ(250円)と大根おろし(50円)を追加で注文する。運ばれてきた人参と玉葱のかき揚げの大きさにびっくり。立ち食いうどんのかき揚げの3倍はあろうか。これを一人で食べるのはけっこう大変だった。次回はかき揚げの代わりに揚げ茄子をもう1つ追加でよしとしよう。揚げ茄子に大根おろしが実に合うのだ。


東行うどん(揚げ茄子、揚げ餅、油揚げ、味付け玉子、ホウレン草が入っている)

  当初の予定では、食後の甘味を「福田屋」あるいは「あらい」でと考えていたのだが、お腹がいっぱいになったので、「琵琶湖」でココアを飲むことにした。持参した星加良司『障害とは何か』の続きを読む。「不利益概念の再定式化」についての説明を読んでいて思ったのだが、ここで登場するさまざまな概念の関係を図示してくれると理解の助けになるのにそれをしない(文章だけで説明しようとする)のは、星加さんが全盲で、したがって図示という視覚的な方法とは無縁だからだろうということだ。実際、本書には一枚の図もグラフも使われていない。理論的な本であり、統計的資料は使われていないので、グラフがないのはわかるとして、抽象的なことがらを図を使って説明するというのはわれわれがしばしば使う方法だ。おそらく星加さんは頭の中でものを考えるときも、純粋に概念(言葉)だけで考え、図形的なイメージは使わないのであろう。ただ、私が編集者なら、本書のところどころに概念間の関係を示す図を入れたらどうでしょう(図の作成は有能な助手が行う)という提案を星加さんにしただろう。

  帰宅して、「不毛地帯」(録画)を観てから、書斎の掃除。子雀を室内で放し飼いにしていると、普段より部屋が汚れる。餌や抜けた羽が床に落ちるし、あちこちに糞をする(猫のようにトイレの躾は無理である)。おそらく私の部屋は鶏小屋のような臭いがしているのではないか。
  夜、書庫で、高見順の全集をぱらぱらと読んでいたら、「出前好き」と題するエッセイにこんなことが書いてあった。

  「この夏前に、二月ほど外国旅行をした。ほんの二月ほど日本を留守にしただけだが、日本に帰つて私の一番驚いたことは、出前といふものの存在だった。改めてその便利さを知らされた。電話一本で、たちどころに、そばでもスシでも、持つてきてくれる。よその国では、ああはいかない。すわつたままで、ラーメン一丁と注文すると、たちまち眼前に、奇跡のやうに、ドンブリが現はれる。こんな便利な国はない。人件費の高いよそでは、出前持ちなどは雇へない。」(全集第18巻、241頁)

  昭和33年(1958年)に書かれた文章である。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代である。一般の家庭に電話が普及したのは1960年代に入ってからだから、、高見が電話で蕎麦や鮨の出前を頼んでいたのは庶民レベルからするとちょっとした贅沢だったろう。