8時、起床。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。フィールドノートを更新し、授業の仕度をして、正午に家を出る。
3限は講義「ライフストーリーの社会学」。4限の空き時間は、教員ロビーの無人販売所で購入した(ポストに硬貨を入れるのだ)菓子パンをかじりながら、基礎演習のレポートの添削。今日から30日までが提出期間なのだが、昨夜、添削依頼のメールがどっとやってきたのである。5限はその基礎演習。最後の4人のプレゼン。これで一応全員が自分のレポートの内容についてプレゼンしたことになる。人前で自分の考えを筋道立てて話すことができるようになるためには、理屈を学ぶだけでは不十分で、場数を踏む必要があるが、前期にグループ報告で1回、個人報告(夏休みのレポートのテーマの説明)で1回、後期に個人報告(レポートの成果)で1回、学生数27人のクラスではここまでが精一杯である。個人差はあるが、総じて、それほど物怖じせずに発言はできているように思う。2年に上がると専門演習を半期で2つほど履修するようになるから、そこでどれだけ発言ができるかである。教師から指名されなくても発言ができる学生になってください。
6限・7限はゼミ。前半のテーマはライフストーリーにみる女性性の問題。当然、ゼミ生たちの関心度は高い。ただし、テキストで取り上げられていたような不妊の問題への関心は低いようである。現時点では、みんな、結婚すれば子どもは普通にできるものだと思っているようである。また、結婚にしても、結婚したいと思っていれば、遅かれ早かれ結婚できるものだと楽観しているふしもある。そうした前提の上に立って、「仕事と家庭」の両立について発言している。確率論的にはそれでかまわないのだが、「思ってもいなかった人生」について想像をめぐらしておくことも大切だろうと思う。存外、人生にはそういう面があるからだ。
後半のテーマは「社会運動」。現代の大学生にはあまり縁のないテーマである。とはいうものの、自分たちが社会運動に積極的でないことを問題だと感じているところはあり、それはなぜなのか、そういう自分たちでも参加しようと思える新しいタイプの社会運動とはどのようなものか、という方向で話は展開した。現代の大学教員だってそれは同じことで、いま理事会では教職員の給与の引き下げが提案されていると組合ニュースが報じていたが、一致団結して反対に立ち上がろうという雰囲気にはない。引き下げ額は私の年代で年間40万円ほど。個人研究費相当の額だ。たぶんこれは偶然の一致ではなくて、大学は個人研究費を廃止して、「研究費は教員各自が自己努力で外部から調達してください」といいたいのではないか。だったら、ストレートに個人研究費廃止といえばよいものを、それでは教員の反発は必至だし、社会的な波紋も大きいので、「いまのご時勢ですから」を錦の御旗(隠れ蓑というべきか)にして便乗値上げならぬ便乗値下げを断行しようとしているのであろう。これまでも、年度末手当廃止や試験監督手当て廃止やその他諸々の経費削減にうんざりしつつもそれに慣れっこになってしまったわれわれは、今回の件も、「やれやれ・・・」という気分で受け入れることになるのだろうか。そろそろ堪忍袋の緒が切れてもいいのではないだろうか。
帰りがけに、あゆみ書房で以下の本を購入。
西研・菅野仁『社会学にできること』(ちくまプリマー新書)
内田樹『日本辺境論』(新潮新書)
永江朗『書いて稼ぐ技術』(平凡社新書)