9時半、起床。空気がひんやりしている。つい先日までのガリガリ君を頬張っていた日々がずいぶんと昔のような気がする。これが季節の変わり目というものか。豚肉、ニンニクの茎、白滝の炒めもの、ご飯、冷麦茶の朝食。ご飯のおかずになるものは、たいてい、パンのおかずにもなる。不向きなものといったら、刺身と冷奴とお新香と生卵あたりか。もっとも朝から刺身は食べませんけどね。
午後、チネチッタ川崎にいま話題の映画『悪人』を観に行く。一昨日の品川プリンスシネマでの『東京島』とはうってかわって、観客は多かった。深津絵里がモントリオール映画祭で主演女優賞を受賞したことの効果だが、深津だけでなく、妻夫木聡も、満島みどりも、樹木希林も、柄本明も、そして他の脇役たちも、印象深い演技を見せてくれた。一つの殺人事件の加害者と被害者、それぞれの家族や恋人や友人の思いや行動を丹念に描いた映画だ。加えて、事件の起こった土地の閉塞感もよく描かれていたと思う。地方の町の閉塞感を若者の殺人事件の背景として描いた作品といえば、私は永島敏行主演の『サード』(1978)を思い出す。都会で生きる若者にももちろん閉塞感はある。たとえば深津絵里主演のTVドラマ『彼女たちの時代』(1999)で深津が演じた26歳のOLは、「このままだと、なんか、ただのOLでしかなくて。自分がないっていうか、どんどん埋もれていく気がして・・・なんか嫌なの」と友人に愚痴をいう。平凡な人生への不満であるが、不満の語り方そのものが都会的であり定型的な印象がある。そんなふうに語ってみたいのだろう。これに比べると、『悪人』で深津演じる紳士服の量販店につとめるもう若くはない女の語りには地方の町に独特の閉塞感がある。
「あそこに安売りの靴屋の看板あるやろ? あそこを右に曲がって真直ぐ田んぼの中を進んだところが高校やったと。それでこの道をもうちょっと駅のほうに戻ったところに小学校と中学があって・・・・。それよりちょっと鳥栖のほうへ行ったところに前の職場。・・・・考えてみれば、私って、この国道からぜんぜん離れんかったとねぇ。この国道を行ったり来たりしとっただけやっとよねぇ。」(原作の小説からの引用)
こうした閉ざされた空間からの抜け道(というよりも息継ぎの節穴)がケータイの出会い系サイトであったわけだ。もう一つの抜け道(を象徴するもの)は灯台だが、封切られたばかりの映画の話をあまりたくさんするのはよろしくないだろうから、ここまでにしておこう。
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