フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月19日(日) 晴れ

2010-09-20 00:50:44 | Weblog

  8時、起床。コンビニにパンとジュースを買いに行く。もう短パン&Tシャツではない。日曜気分ではあっても夏休み気分ではない。ハム・レタス・トーストとオレンジジュースの朝食。

  午後、妻と息子と私の3人がかりで、生垣の赤芽樫の剪定作業。5月に一度やったが、成長が早いので、いつも夏の終わりのこの時期にもう一度やっている。


ビフォー


アフター

  作業の途中、小型のノコギリがあったはずだがそれがどこにあるのかがわからなくくて、女塚神社の社務所の二階で開かれている敬老会に出ている母に聞きに行く。広間の襖を開けると、みなさん食事の最中であったが、いっせいに視線がこちらに注がれる。「大久保さん、息子さんだよ」と言われて母が廊下に出てくる。どうしたのかと言うので、ノコギリのある場所を聞きにきたのだと告げる。
  あとから、帰宅した母と話して、このときわれわれは二人とも私が小学生のときのある日の出来事を思い出していたことを知る。それは小学校の3年か4年のときのことだったと思うが、放課後、家の近所で遊んでいた私は、誤って道路わきのドブに落ち、後頭部を打って切ってしまった。母はそのとき小学校で開かれている当時人気のあった早川元二という児童心理学者の講演会に行っていた。私は傷口をタオルで押さえて、講演会の行われている3クラスぶち抜きの大教室へ行き、廊下から教室の中の母を探した。誰かが私に気づき、母に教えた。後頭部を押さえているタオルが血で真っ赤に染まっているのを見て、母は吃驚仰天し、ただちに私を近所の外科医院に連れて行き、傷口を縫ってもらった。麻酔をすると傷口が塞がるのに時間がかるという理由で、麻酔なしで縫われ、かなり痛かった。
  今日、社務所の二階で、母も私もあの日のことを思い出していたのだ。母は家族の誰かが剪定作業の最中に怪我でもして、それを知らせに私が来たのかと思ったそうだ。もしそうだったら、私ももう小学生ではないので、病院に直行していたであろう。あの日、講演に来ていた早川元二は、それから数年後に心臓の手術に失敗して亡くなった。47歳だった。手術で入院するすこし前に、テレビに出演して、「ちょっと心臓にワッペンを貼るような手術なんですよ」とにこやかに語っていたのが印象に残っている。