8時、起床。
トースト、サラダ(ハム、トマト、パイナップル、レタス)、紅茶の朝食。
10時に家を出て、大学へ。
記念会堂前のプレハブ校舎もそろそろ解体の時期に来た。
明日で秋学期が終わり、春休みに入る。
2000年卒の教え子のMさんが研究室にやってきた。荻窪にお住まいなので、早稲田へは地下鉄で一本である。
しばし手帳談義。彼女はスリムな形(ワレットタイプ)の一日一頁の手帳を使っている。珍しいタイプの手帳である。私同様、写真などを張っているが、写真の表面を薄く剥がして貼っているので(少々コツがいる)、私のようには手帳は膨らまない。
昼食は彼女の希望で「五郎八」へ。今日は節分。そのせいだろうか、穴八幡神社は平日にしては人が出ている。
私は力うどん、Mさんは天せいろを注文。
彼女はカメラ女子である。鞄から一眼レフ(オリンパスのPEN)を取りだして、料理をパチリ。
食後のお茶は「カフェゴト―」で。団体客の予約があるらしく、カウンター前のスペースいは大きなテーブルが2つつなげられている。20人近く座れるのではないだろうか。一学年ならゼミのみんなでお茶ができるなと思った。普段教室でやっている「スイーツタイム」の豪華版だ。
私はアイスココア、Mさんはカプチーノを注文。
お子さんを幼稚園にお迎えに行く時間までおしゃべりをした。平日に小さなお子さんのいる卒業生と会うときのパターンである。
お子さんが入園するまでは、家の中でも、家の外でも、どこにいるときもお子さんが一緒だった。それがお子さんが幼稚園に通うようになって、一人で街を散歩し、一人でカフェに入って読書をする時間をもてるようになった。昔は当たり前にしていたことを取り戻すことができたのである。
けれど、お子さんと分離している時間が増えてからと言って、お子さんへの関心が薄れるわけではない。むしろ言葉によるコミュニケーションが増えることで、自分の言葉が子どもに与える影響について強く自覚するようになったという。親の力は絶大である。それを考えると恐ろしいような気持ちになる。お子さん(男の子)は口が達者で、しばしば幼稚園の先生を困らせることもあるようだ。それはたぶんMさんの影響だろう。言葉でしつかれた子供は、言葉で世界に立ち向かっていくものである。世界は言葉(意味)でできている。
ところで、Mさんは大学の同級生の彼氏と結婚したのだが、卒業から結婚まで、二人は遠距離恋愛を続けた。卒業=就職が同時の遠距離恋愛というのは長続きしないといのが私が身近に見聞する事実であるのだが、それは会う頻度が落ちることと、仕事で辛くて気持ちの余裕がなくなり互いへの気遣い(とくに男性から女性への気遣い)がおろそかになりがちであるためなのだが、Mさんたちの場合は、彼氏がまめに連絡を取り続けた(彼女への気遣いを忘れなかった)のがよかったようである。恋愛においては「まめ」というのは大切である。
「まめ」といえば、今日は節分である。
研究室に戻って、Mさんからお土産にいただいたおからドーナツを食べる。
妻からメールが届く。母が庭で転んで、おでこにたんこぶを作り、唇を切ったという連絡だった。あらま。実は、母は昨日も座蒲団の縁に足を採られて畳の上で転んだのである。一か月の入院で相当に足の筋力が落ちているようである。念のためにこれから近所の整形外科に診てもらいに行くと書かれていた。今日は私はこれから3件、研究室で面会の予定があるが、最後の面談はキャンセルして早めに帰宅することにする。
大学院進学を考えている学生の相談。
芸能プロダクションのドラマ制作部門の方からの取材。春ドラマだが、まだプレスリリース前なので、詳しいことは書けない。
妻からメール。整形外科でレントゲンを撮ってもらったが、打ち身だけで済んだようである。ホッとする。しかし、今後、家の内外での転倒防止の対策を考えなくてはならない。
5時に大学を出る。面談の予定を1つキャンセルしたが、母の怪我は大したことがなかったので、直帰はせず、「テラスドルチェ」で一服していく。
夕食はキノコ(4種)と里芋のクリームシチュー。
深夜、ウォーキング&ランニングを1時間。