フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月21日(土) 晴れ

2015-02-22 11:29:17 | Weblog

7時半、起床。

パン、サラダ(トマト、チーズ、ベリーリーフ)、紅茶の朝食。

昨日が締め切りだった某レポートを午前中に書いて、メールで送付。たぶん今日は担当者はお休みで、メールを開くのは月曜日になるだろう。

午後、散歩に出る。大井町へ。

とんかつの「丸八」。

 ヒレカツ定食を注文して、出来上がるのを上新香(白菜)を摘まみながら待つ。お新香の中では白菜が一番好きだが、もうそろそろ白菜も終わりだ。

しっかり揚げるタイプのとんかつだ。あらかじめ特製ソースがとんかつの下に敷かれている。

カウンターの席で調理の過程を眺めていたら、卵をつけてパン粉をまぶす作業を二度やっていた。切り口を見ると、肉と衣の境目の黄色い層が卵である。しっかり衣を揚げつつ肉に熱が及び過ぎないよう卵の層がガードしているのかもしれい(私の勝手な解釈です)。

食後のコーヒーを「pottery」に飲みに行く。大井町で食事をしたときの定番コースである。

土手の上の桜並木。

早咲きの桜で、そろそろほころび始めている。

桜に混じって梅の木が一本。こちらは満開である。

その梅の木のそばに「pottery」はある。

「お母様の具合はいかがですか?」とマダム。「おかげさまで食欲も戻ってきました」と答える。

「キネカ大森」に行く。

先日、W君に会ったとき、『薄氷の殺人』という中国映画の評判を聞いていたので、それを観ようと思っていたのだが、平日と週末では上映時間が違うことをうっかりしていた。でも、観たいと思っていた映画がもう一本あったので、今日はそちらを観ることにする。

『フランシス・ハ』。

舞台はニューヨーク。ダンスカンパニーの実習生で、団員をめざしている27歳の女性フランシスの日常が描かれる。最近、彼女の生活はパッとしない。彼氏と別れ、ルームシェアしている女友だちは彼氏と暮らし始めることを決めてしまった。クリスマスショーへの出演はできず、団員になるのは諦めて、カンパニーの事務職員になることを先生から勧められる。ニューヨークの街を疾走する彼女は青春のまっただ中にいる女の子のようだが、彼女の身体はすでに少女のそれではなく、十分に成熟した女性の身体である。心と体のアンバランスを、周囲から指摘され、彼女は戸惑う。友人たちは人生の新しいステージに移行していこうとしているのに、自分だけが大人になれまいまま、とどまっている。いや、とどまるべき居場所も失われようとしている。こういう女性はニューヨークにもいるし、東京にもいるだろう。少数派ではあるが、珍しいというわけではない。大逆転で夢が叶うというスト―リーでも、何かをきっかけに子どもから大人へと決然と生まれ変わる(さようなら青春!)というストーリーでもない。でも、この映画を見て、元気づけられる女性は多いだろうと思う。「フランシスは私だ」という共感。「私」という現象がそうした普遍性をもった現象であることに気付くことは、「私」を孤立から救ってくれるはずだから。

『フランシス・ハ』という奇妙なタイトルの意味は映画の最後に明らかになる。お楽しみに。

映画館を出たのは5時過ぎ。

蒲田に戻り、「テラス・ドルチェ」で一服。

映画を観終わってから購入したプログラムに目を通す。気に入った映画のプログラムを、家に帰る前に、電車の中やカフェで目を通すのは映画館で映画を観た後の大きな楽しみだ。

夕食はすき焼きとポークソテー。奇妙な組み合わせだが、妹が来ていて、母がすき焼きを作ったので一緒に食べることになった。ただ、肉の量が多くないので、私たち夫婦の夕食に用意していたポークソテーを一緒に食べることにしたのである。

昼食はヒレカツで、夕食がすき焼きとポークソテー。もちろんあとからランニング&ウォーキングをしたのはいうまでもない。