フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月19日(木) 晴れのち曇り

2015-02-20 10:26:30 | Weblog

9時、起床。

赤飯、卵を落としたうどん汁、サラダの朝食。

母が入院していた大学病院に入院・手術証明書を受け取りに行く。郵便局の簡易保険の申請に必要な書類。

梅屋敷駅のそばの「翠芳」という和風カフェで昼食をとる。初めて入る店だが、「phono kafe」の常連客の税理士さんに教えてもらったお店で、美容院の2階にある。経営者は同じらしく、美容院と同じ火曜日が定休日である。

焼き魚定食(1200円)を注文。

美味しそうに焼けた銀鮭。茗荷が添えられている。

漬物三種。

ニシンと若竹と蕗の煮物。

胡麻豆腐。

デザートに白玉しるこを注文しようかなと考えていたら、ミニみつまめが出て来た。

食後のコーヒーは「琵琶湖」で。

店内は地元の人たちで満席状態。食事をしている人が多い。

自宅には戻らず、京急に乗って大学へ(梅屋敷→品川→東京)。

朝は晴れていたが、雲が出て来た。

プレハブ校舎の解体が進んでいる。メタセコイヤの並木がよく見えるようになった。

3時に生命保険会社のNさんが契約内容の確認に来た。毎月、給料から生命保険の掛け金が5万円ほど天引きされる。多すぎるでしょう、というのが周囲の意見で、たしかにすでに子供たちも社会人になり、妻にも一定の収入と貯金があり、私に万一のことがあっても経済的に困るということはなくなった。死亡保険金の額を小さくするなどして月々の掛け金を減らす算段をすべきだろう。Nさんに見直しのプランを頼むことにした。

夕方、学会関連の会合。

7時に一文(社会学専修)の2000年卒の卒業生のHさんが研究室にやってきた。溜池山王にある外資系の証券会社にお勤めで、仕事終わりに顔を出してくれたのである。今年、2000年卒の卒業生とはたくさん会っているが、彼女は卒業年度は彼らと同じだが、入学は一年早く、途中で留学に一年行っていた関係で、卒業年度は1つ下の学年の人たちと一緒になったのである。彼女が入学した1995年というのは、私が放送大学から早稲田大学に移った翌年であるから、彼女は私が早稲田大学で教え始めたばかりの頃の学生の一人である。1年生対象の社会学基礎演習(いまでいえば選択基礎演習に相当する)で彼女は私の担当クラスの学生となった。いま改築工事中の東京都写真美術館が開館した年で、課外授業という名目で、みんなで見学に行ったりした。あれからちょうど20年だ。

「KHANA」(カーナ)に食事に行く。最初、「五郎八」へ行くつもりでいたのだが、Hさんはそばアレルギーであることがわかった。あっ、そうであった。以前、もう10年ほど前になるだろうか、Hさんが来たときにやはり「五郎八」へ行こうとしてそばアレルギーだというので、「太公望」(中華料理)に行ったのだった。今回はインド料理。

食後のお茶は「カフェゴト―」で。私はケーキは食べないつもりでアイスココアを注文したが、Hさんがケーキを食べたそうだったので、お付き合いして、チーズケーキとバナナタルトをハーフ&ハーフで。彼女は、二種のケーキを(多くの女性がするように)交互に食べることはせず、最初にバナナタルトを食べてから、次にチーズケーキを食べた。彼女は「男前」の女性なのである。独身で、横浜のマンションで両親と一緒に暮らしている。一人っ子なので、将来は親の介護を自分の役目と考えている。結婚には積極的ではないが、かといって、結婚しないと決めているわけではない。たぶん彼女のような女性は少なくないのではないだろうか。

私は結婚については、それを勧めるでもなく、勧めないでもなく、ただ、一人暮らしは経験した方がよいのではないだろうかという話をした。独身で生活することと、単身者として生活することは同じではない。これから結婚するかどうかは別として、単身者としての生活能力は身に付けておいた方がいい。そして基本的な身体能力の維持・向上にも努めた方がいい。彼女は私の真似をしてジムでのトレーニングや家の周りでのランニング&ウォーキングをやってみるつもりになったようである。

マスターともおしゃべりをしていて、「カフェゴト―」を出たのは閉店時間(9:50)を少し過ぎていた。

11時、帰宅。Hさんには、ケーキを食べながら、「帰ったら走らなきゃ」と話したが、もう遅いので、ランニング&ウォーキングはやめて、風呂に入ることにした。体重計に乗ったら、昼食がヘルシーだったせいだろう、お腹はいっぱいだったが体重はそんなに増えてはいなかった。