フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月18日(水) 雨、夜半に上がる

2015-02-19 03:06:05 | Weblog

8時、起床。

朝食兼昼食は、カレーサンド、ハンバーグとウィンナーのホッとサンド、サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)、紅茶。

終日、自宅で過ごす。朝起きた時は、映画館やジムにいくつもりだったのだが、冷たい雨が降っていることもあって、出そびれてしまった。

毎年、春休みの時期というのはテンションが下がる。一年の授業の疲れが出るということもあるが、今年は授業が少なかったので、それはない。しかし、卒業生(とくにゼミ生)を送り出すことに伴う空虚感というのはやはりある。昨日、ゼミ論集の版下が完成して、それを印刷屋さんに渡して、4年生(5期生)のゼミに区切りがついた。彼らとの2年間のゼミはこれでお終いである。4月からは新3年生(7期生)16名がゼミに入ってくる。また一から始めなければならないが、「一丁上がり。はい、次!」というわけにはいけない。一度、「お疲れ様」という感じでテンションを下げ、空虚感というか、喪失感というか、エネルギーの低い状態(プチ鬱)をしばらく経由して、4月の声を聞いたら、「さあ、始めますか!」というふうに気持ちを持って行くのである。

けれど、卒業生を送り出すときの空虚感、喪失感は若いころの方が大きかった。いまはそれほどではなくなったのは、卒業後も教え子との交流が続くようになったからであろう。もし教師という仕事が常に目の前の学生(在校生)だけを相手にするもので、彼らが卒業した途端に音信不通になるものだとしたら、砂の山を築いては崩し、築いては崩ししているようなもので、ふとしたときに、深い徒労感を覚えるのではないだろうか。しかし、実際はそうではない。学生はたんなる通りすがりにの人たちではなくて、卒業後も一定の割合で関係性は持続するものである。あるいはいったん音信不通になっても何かのきっかけではるか宇宙の彼方からメッセージが届いて交信・交流が再開することもある。教師―学生という関係性は、過ぎ去るのではなく、積み重なるのである。卒業後の彼らとの交流は、彼らの学生時代の再現ではない。私も年を取るし、彼らもさまざまな人生経験を積む。当然、それを反映したものになる。在学中はあまり話をしたことのなかった学生と卒業してからかえってたくさん話をするようになったというのは珍しいことではない。彼ら一人一人と私の年齢差は変化しないが、たとえば、40歳(私)と20歳(学生)のとき、50歳と30歳のとき、60歳と40歳のとき、語り合う内容はしだいに陰影に富んだものになっていくだろう。それは人生の味わいというべきものである。

夕食はうどん。ヘルシーである。

夜、雨が上がったので、ランニング&ウォーキングを1時間。

一昨日、会ったばかりのW君からメールが来て、今日、仕事終わりに「パン日和あをや」へ行ったという報告だった。彼は鹿島田に住んでいるが、これまで一度も「あをや」に行ったことがなかったのである。

今日は平日なので奥様が1人でいて、最初、ちょっと気詰まりな感じだったが、ビル・エヴァンスがかかってたので、「有線ですか?」と尋ねると、「いえ、主人が編集しています。わたしもJAZZが好きなもので…」という会話をきっかけに、好きな音楽の話、好きな映画の話、好きな街(横浜・本牧)の話、好きな車の話と会話が弾んだそうである。W君にとっての「おしゃべりカフェ」が地元に出来てよかったではありませんか。

娘が俳優として出演する演劇の宣伝です。

ドラマチックカンパニー インハイス第11回公演「祝福」

日時:3月7日(土)、8日(日) 両日とも16時と19時の一日2ステージ

場所:新井薬師スペシャルカラーズ(西武新宿線新井薬師駅より徒歩5分、JR・東京メトロ東西線中野駅より徒歩13分)

料金:2000円+1ドリンク(500円)

問い合わせ:inhighs@peco.main.jp

ストーリー紹介:

「とある精神病院の医者と看護師と長期入院している患者の物語。救われないような繰り返しの中から、夢の中のような、あたたかい海の中のような、ささやかな希望を作り上げようとしています。」とのことです。

あの海の姿を
忘れることはないだろう
夜明け前の
水平線に月がかくれ行くあのひととき
せかいは眠りからさめる一瞬まえの
ほんのひとつ息をつくくらいの
しずまりかえるあたりの中に
数羽のかもめが鳴いていた
やがて奇跡のように海面は銀色にそまる
あの海の姿を
忘れることはないだろう
まるで来る時を祝福するかのように
飛び魚がはねて飛沫は宝石のように輝きながら弧をえがいた
私のこころは所在なく
ただ祈ろうとする
時を
過去はきえることはなく
未来に約束はなく
いまはあまりにも不確かな
時を
私は生きながら
私は夢のように
私は悲しみのように
そして
ただ祈ろうとする
その日の海の姿を
忘れることはないだろう