フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月8日(日) 晴れ

2016-05-09 21:56:22 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ、紅茶の朝食。

今日は菩提寺でおせがき法要がある。お寺主催の行事で檀家が参加する。今回はわが家からは私一人。10時に家を出て(それまで原稿書き)、花屋(仏花)と酒屋(墓前に供える缶ビール)に寄ってから電車に乗る。

鶯谷で降りる。

菩提寺は下谷二丁目にある。5月29日(日)には母の一周忌法要をするから、遠方から来ていただく親戚には地図を書いて送らなければならない。これを加工すればいいかな。

上の地図の「現在地」はここ。言問通り(タテ)と金杉通り(ヨコ)の交差点。

駅から徒歩8分で菩提寺(泰寿院)に到着。私の父の名前が泰助なので、親しみがある。

法要が始まる前に墓参り。花は蒲田の花屋で買ってきたが、今日は母の日なので、カーネーションが入っていつもよりも大分高かった。

親戚のTさんとおしゃべりしながら配られたお弁当を食べる。お弁当はいつもたいてい茶巾鮨と押し鮨。

法要は12時から開始で、清興(余興のことで麻田二世さんのマジック)、講話(住職のお父様=前住職でいまは和歌山の新宮のお寺の住職を単身赴任でされている)、百万遍繰り念仏(みんなで車座になって大きな数珠を回す)、僧侶団による大法要という順序で進む。3時に終了。新しく書いていただいた卒塔婆を立てて帰る。

 

帰りに鶯谷の駅から上野公園まで歩く。

GW最後の日曜日の公園は初夏の日差しの中、緑陰を求めてたくさんの人が来ていた(美術館や動物園の帰りの人も多いだろう)。

問題 「この人は誰でしょう?」

ヒント 「私にはわからない」

答え 「野口英世博士」

解説 研究中の黄熱病にかかって野口は亡くなるのだが、彼は一度黄熱病にかかったことがあり(実は赤痢だったらしい)、一度かかれば免疫が一生続くはずの黄熱病に再度かかった理由が「私にはわからい」と彼は言った。これが最後の言葉となった。伝記が一番多く書かれた日本人である。

上野の森美術館をめざして歩く。

卒業生の櫻井あすみさんが「上野の森美術館大賞」に入賞されたので、それを観るためである。

櫻井さんからメールでお知らせいただいたので、一緒に観ることができたらよかったのだが、4月27日から5月8日と会期が短く、私は最終日の今日のこの夕方の時間帯しか観に来れなかった。櫻井さんもスケジュールが立て込んでいるようだったので、作品を観た感想は後日申し上げようと思う。

・・・と思っていたら、櫻井さんの作品の前で「大久保先生!」と彼女に声をかけられた。「やあ、櫻井さん!」 聞くと、有楽町で友人の結婚パーティーがあり、そこから駆け付けてきたのだという。私は鶯谷で法事の帰りである。二人とも冠婚葬祭帰りというわけですね(笑)。

館内はカメラ撮影はNGなのだが、櫻井さんは関係者ということで撮影OK。櫻井さんがフロアー係の方にお願いしてくださって、彼女の受賞作品「fragments」の前で記念撮影。

閉館の5時まで一緒に作品を観て回る。今回の応募作品は1011点。164点が入選して、その全部が展示されている。審査はさらに入選作164点を対象にして8名の審査員のうち半数の4名以上が挙手をした47点が一次賞候補となった。それを再度審査し、18点が賞候補として残った。そして最終審査で大賞1点と優秀賞4点が決定した。櫻井さんは大賞は逃したものの、優秀賞4点の中に残り、「産経新聞社賞」を受賞した。1000分の5の確率である(くじ引きで決まったわけではないが)。快挙といってよいだろう。実際、彼女はこれまでいつくかの公募展で入選を果たしているが、入賞は今回が初めてである。心からおめでとう。

審査員の一人、遠藤彰子は「櫻井あすみさんの《fragments》には、そこはかとない寂しさが含まれていた。記憶の断片が語る色あせた街並みは、どこか懐かしい風景のようでありながら、もう存在しないかもしれないと思わせる怖さも感じられた」とコメントしている(今回の展覧会の図録から)。私の感想もこれに近いが、櫻井さんが自作について語っているのは、もう少し哲学的というか、内省的なことである。

「自己と他者の距離をテーマに描いています。他者との境界が揺らぐ瞬間。近くて遠い、断片化した景色は、いつかの、どこかの、だれかの物語ー異なるframe―を連想させ、意味の束となって語りかけてきます。誰しもが自分のフィルターを通して、世界を眺めています。眼に映る景色は、呼び起こされる感覚は、他者と同じように、共有できているのか、どれほど対話をしてみても、本当のことはわかりません。顔料と箔を重ねては洗い出し生まれるマチエールは、私のフィルターとして絵の中に現れます。私と世界との関係は、制作の中での素材との往還に重なります。それは、「わからないから距離をとりたい」と同時に、「ひとかけらでもわかりたい」という矛盾した想いに貫かれています。無数の孤独の中にも、他者への希望が残るような絵を描いていきたいと思います。」(図録から)

なるほど、そういうことか。「自己と他者との距離」というのはいわゆる人間関係のことではなくて、「自己が見ている世界と他者が見ている世界との距離」のことなのですね。「現象学的社会学」的テーマだ。先日、河野憲一さんから頂戴した『自明性と社会』をお貸ししましょうか。

閉館の時間が来て、いや、閉館の時間を少し過ぎて、われわれは最後の二人となった。レジで図録を買おうとしたらレジを〆た後だったので、まだレジを〆ていなかった館内のカフェで支払いをした。上野駅に向かう途中の木陰で彼女の写真を一枚撮る。彼女が今日の夏日には不釣り合いのコートを着ているのは、コートの下が結婚パーティーで着た半袖のドレスであるためだが、写真撮影のときだけコートを脱いでもらった方がよかったなと後から思った。でも、写真を撮るとき女性に「脱いでください」とはなかなか言いづらいのである(笑)。

6時、帰宅。

野良猫のなつが寝ている場所で今日が暑い一日であったことがわかる。

妻と「phono kafe」に夕食を食べに行く。妻とはたまに「phono kafe」に行くがいつも昼食で、夕食は今日が初めてだった。

二人ともご飯セットを注文。「おにぎりセットじゃないの?」と妻が聞くので、「おにぎりは昼食。夕食はご飯でしょ」と答えると、妻は首をかしげた。この感覚、わからないかな。

ルッコラと新玉ねぎ(梅肉醤油)。

おからコンニャクの竜田揚げ。

薩摩芋の甘辛和え(左) 豆腐ハンバーグひじき入り(右) 

大根とプチトマトのスパイス和え(左)  豆腐ハンバーグひじき入り(右)

6時半に家に戻って来る。

デザートは私が駅に着いたときに買っておいた「ザクザク」のスティックシュークリーム。

今日は原稿書きに使える時間は少なかったが、それでも4枚書くことができたので、よしとしよう。ただ、就寝前にブログの更新ができなかったのが痛い。

3時、就寝。