フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月26日(木) 晴れ

2018-04-27 13:04:48 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(+ソーセージ)、牛乳、紅茶の朝食。

Amazonに注文していた本(中古)が届いた。

ギュルビッチ(寿里茂訳)『社会学の現代的課題』(青木書店、1970年)。

「現代社会体系」の中の1冊である。

ハードカヴァーの上に函入りの「現代社会学体系」は当時の大学生には高額であった。このギュルビッチの巻も定価4000円である。全巻そろえて購入するなんてことはできず、半分くらいしか揃えられなかったが、その中にギュルビッチの巻は入っていなかった。最近、必要が生じて、amazonに出品されている中古本を注文したのだが、送料込みで1000円しなかった。

書き込みはありませんと説明されていたが、一か所、目次のところに書き込みがあった。「カリスマ」が「カリマス」となっている。誤植である。「誤植だよ」という意味の書き込みである。本文の校正はしっかりやったのだろうが、目次は盲点だったのだろう。キーワードの誤植だけにこれに気づいたとき訳者は「あちゃー!」と頭を抱えたに違いない。

昼前に家を出て、大学へ。

3限は大学院の演習。指定した文献(文庫本)を各自が持って来ていた。書き込みをしている人、付箋を貼っている人、何もしていない人。私自身は本は消耗品と考えているので、図書館で借りた本は別として、本には書き込みをする。線を引いたり、余白にメモ書きをしたりする。

いつだったか、私が電車のシートに座って本に書き込みをしながら読んでいると、目の前に立っていた小さな女の子(母親と手をつないでいた)が私のその行為を不思議そうに、いや、驚きをもって見ていた。そういう行為はしてはいけないと母親から躾けられているのだろう。「本を汚してはいけません」と。私は女の子から見られていることに気付いたので、ちょうどそのとき放送されていたTVドラマ『ガリレオ』の福山雅治演じる主人公が黒板に数式をモーレツなスピードで書きなぐって、最後に、「面白い」とつぶやくように、本に猛烈に書き込みをして、満足げな微笑みを浮かべて見せた。女の子の両目が真ん丸になっていた。

昼食はおにぎり2個(鮭と梅干)とミニサイズのカップ麺。

このワンタンはなかなかいい。汁代わりだから、麺のような自己主張がなく、ツルンと喉に入って行くところがいい。

 教員組合の事務所(本部キャンパスの方にある)に用事があって行く。 

5限は講義「日常生活の社会学」。ここのAV機器は教室の隅の縦型のラックの中に収納されているのだが、使いにくいこと甚だしい。収納されているパソコンは古いタイプのもので、バッテリーは壊れている。毎回、使うときに配線を一からしなくてはならない。操作をするときにいちいち教壇を下りて、ラックのところまで行かなくてはならない。他の多くの教室のように一日も早く教卓PCにしてほしいものである。

6時半過ぎに大学を出る。

空にはまだ明るさが残っている。

電車の中でNHK俳句のテキストを読んでいて、びっくすることがあった。「わが師を語る」というシリーズで飯田蛇笏がとりあげらていたのだが、蛇笏の代表作が20句ほど並んでいて、その中に、「一月の川一月の谷の中」という句があったのである。私は三月の句会に「三月の山三月の雨が降る」という句を出したのだが、われながらいい句だと思っていたが、蛇笏のパクリではないか。ただ、このテキストを本屋で購入したのは3月24日で、句会への投句は3月8日であったから、テキストで蛇笏の句を知ってそれをまねたわけではない。以前にどこかで蛇笏のこの句を知って、それが頭の片隅に残っていて、それが句作のときに無意識に働いたのだろう。蛇笏は「一月の川一月の谷の中」の句を自解して、「自分の力量をこえた何かが宿し得たように直観した」と言っているが、私も「三月の山三月の雨が降る」の句を自分の力量を越えた作品のように感じ、悦に入ったものだが、無意識のパクリだったのだから、そう感じて当然だったのである。やれやれ。ちなみに句会でこの句を選んでくれたのはあゆみさん一人であった。

夕食はラムチョップ、なめこおろし、白菜と油揚げの味噌汁、ごはん。 

付け合せはピーマンとアスパラとエリンギのソテー。

 11時を回ったころ、ウォーキング&ジョギンズに出る。近所の専門学校のキャンパスの周りを10周して帰ってくると、それを待っていたかのようにナツが書斎の窓から入ってき、私が風呂を浴びている間も、机の下で寝ていた。このまま朝までお泊りなのかと思ったら、2時ごろに出て行った。

2時半、就寝。