8時、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
今日の「まんぷく」。信用金庫の理事長をしていた萬平がラーメン屋を始めようとしていると町の噂になっている。萬平の子どもたちもそのことのためにイジメにあっている。ラーメン屋がいけないわけではない。私の子ども時代の記憶をたどってもラーメン屋が馬鹿にされるようなことは絶対になかったと断言できる。実際、小学校の同級生にはラーメン屋の子どももいたし、蕎麦屋、牛乳屋、焼肉屋、八百屋・・・そういう家の子どもがたくさんいた。自営業の子どもの多い時代だったのだ(蒲田はそういう町でもあった)。萬平が世間から奇異な目で見られたのは、「信用金庫の理事長」→「ラーメン屋」というその落差の故である。当時、銀行勤めをしていることは、社会的信用と安定した収入と結びついていた。お見合いのときなどは絶対の好条件であった。萬平はそこから転落して男なのであった。もし小野塚真一があのとき萬平と一緒に信用金庫を辞めていたら、好美との再婚はなかったと思う。
昼食はカップ麺(カップヌードルではなくコープヌードルである)。食費を節約しているわけではない(時間の節約ということはあるかもしれないが)。「まんぷく」を見ているとインスタントラーメン、それもお湯を注ぐだけのものがなんだか食べたくなるのである。
午後から大学へ。ゼミ論集編集作業4日目。今日で終わらせる予定である。
本日の担当はIMさん、OMさん、SSさんの3人。左端のHAさんはプリンの差し入れをもって陣中見舞いに来てくれたのである。
4時半から私は教授会へ・・・と思ったら、会議室に人気がない。教授会は昨日であった。手帳にもそう書いてあったが、なぜか、グーグルカレンダーでは今日になっている。アナログの手帳とデジタルのカレンダーの二元管理は、手帳を忘れたりスマホを忘れたりした場合を考えてのリスク分散なのだが、ときにこういうミスにつながる。
7時半ごろまで作業を続け、編集作業は終わった。お疲れ様でした。
IMさんとSSさんを連れて(OMさんは用事があって帰った)「北京」に食事に行く。 当然私のおごりなのだが、一つ問題あった。それは財布を家に忘れて来てしまったことである。そういうときのためにパスケースに千円札を三枚ほど入れてあるのだが、自分の食事代だけならそれで十分でも、こういう場合には不足である。それで後日からなら返すから不足分を貸してほしいと2人には告げる(な、情けない)。
「さあ、遠慮なく好きなものを注文してください」と私。「は、はい・・・」と2人(どこか納得行かない様子だ)。
鶏肉と椎茸と野菜の炒め物はSSさんのリクエスト。
麻婆豆腐(辛さがマイルドな方)はIMさんのリクエスト。
肉団子は私のリクエスト。
餃子も私のリクエスト。
野菜スープは「体が温まるやさしいものを」とSSさんのリクエスト。
お腹いっぱい食べた。「北京」の料理は美味しくて、量があって、しかも安いと三拍子そろっている。これで5000円でお釣りが来た。2人からは千円ずつの借りである。忘れたりしないからね。でも、次に会うのは卒業式(3月25日)のときだとすると、2カ月近く先のことになる。教授会の一件もあるし、はたしてちゃんと覚えているかどうか心配である。とりあえず手帳とグーグルカレンダーの2つに書き込んでおきます。
10時、帰宅。
深夜、編集長のIMさんから「編集後記」の原稿が届いた。週明けまででいいよといっておいたのだが、編集作業を終えた直後の気分で書き上げたかったようである。
2時半、就寝。