フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月31日(木) 曇りのち小雨(夜更け過ぎに、一時、雪に変わったかもしれない)

2019-02-01 22:38:26 | Weblog

 8時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の「まんぷく」。信用金庫の理事長をしていた萬平がラーメン屋を始めようとしていると町の噂になっている。萬平の子どもたちもそのことのためにイジメにあっている。ラーメン屋がいけないわけではない。私の子ども時代の記憶をたどってもラーメン屋が馬鹿にされるようなことは絶対になかったと断言できる。実際、小学校の同級生にはラーメン屋の子どももいたし、蕎麦屋、牛乳屋、焼肉屋、八百屋・・・そういう家の子どもがたくさんいた。自営業の子どもの多い時代だったのだ(蒲田はそういう町でもあった)。萬平が世間から奇異な目で見られたのは、「信用金庫の理事長」→「ラーメン屋」というその落差の故である。当時、銀行勤めをしていることは、社会的信用と安定した収入と結びついていた。お見合いのときなどは絶対の好条件であった。萬平はそこから転落して男なのであった。もし小野塚真一があのとき萬平と一緒に信用金庫を辞めていたら、好美との再婚はなかったと思う。

昼食はカップ麺(カップヌードルではなくコープヌードルである)。食費を節約しているわけではない(時間の節約ということはあるかもしれないが)。「まんぷく」を見ているとインスタントラーメン、それもお湯を注ぐだけのものがなんだか食べたくなるのである。

午後から大学へ。ゼミ論集編集作業4日目。今日で終わらせる予定である。

本日の担当はIMさん、OMさん、SSさんの3人。左端のHAさんはプリンの差し入れをもって陣中見舞いに来てくれたのである。

4時半から私は教授会へ・・・と思ったら、会議室に人気がない。教授会は昨日であった。手帳にもそう書いてあったが、なぜか、グーグルカレンダーでは今日になっている。アナログの手帳とデジタルのカレンダーの二元管理は、手帳を忘れたりスマホを忘れたりした場合を考えてのリスク分散なのだが、ときにこういうミスにつながる。

7時半ごろまで作業を続け、編集作業は終わった。お疲れ様でした。

IMさんとSSさんを連れて(OMさんは用事があって帰った)「北京」に食事に行く。 当然私のおごりなのだが、一つ問題あった。それは財布を家に忘れて来てしまったことである。そういうときのためにパスケースに千円札を三枚ほど入れてあるのだが、自分の食事代だけならそれで十分でも、こういう場合には不足である。それで後日からなら返すから不足分を貸してほしいと2人には告げる(な、情けない)。

「さあ、遠慮なく好きなものを注文してください」と私。「は、はい・・・」と2人(どこか納得行かない様子だ)。

鶏肉と椎茸と野菜の炒め物はSSさんのリクエスト。 

麻婆豆腐(辛さがマイルドな方)はIMさんのリクエスト。 

肉団子は私のリクエスト。

餃子も私のリクエスト。

野菜スープは「体が温まるやさしいものを」とSSさんのリクエスト。 

お腹いっぱい食べた。「北京」の料理は美味しくて、量があって、しかも安いと三拍子そろっている。これで5000円でお釣りが来た。2人からは千円ずつの借りである。忘れたりしないからね。でも、次に会うのは卒業式(3月25日)のときだとすると、2カ月近く先のことになる。教授会の一件もあるし、はたしてちゃんと覚えているかどうか心配である。とりあえず手帳とグーグルカレンダーの2つに書き込んでおきます。

10時、帰宅。

深夜、編集長のIMさんから「編集後記」の原稿が届いた。週明けまででいいよといっておいたのだが、編集作業を終えた直後の気分で書き上げたかったようである。

2時半、就寝。


1月30日(水) 晴れ

2019-02-01 17:54:53 | Weblog

9時、起床。

サラダ、牛乳、紅茶の朝食。 

今日の『まんぷく』。「承認」三連発。福子の夢枕に立った咲。 

真一の再婚を祝福した。 

真一が好美を連れて今井の家を訪問。 

福子らの母親鈴が真一の再婚を祝福した。

同じ席で萬平の試作した即席ラーメンのスープの試飲が行われた。

なかなか「美味しい」と言わなかった鈴が「本当に美味しい」と言った。 

 鈴は「武士の娘」で明治生まれ。もうかなりの歳と思われるが、最終回まで生き続けるのだろうか。私の予想では、さすがにそれはなくて、どこかで亡くなる。そして咲と一緒に福子の夢枕に立つことになるだろう。 

午後から大学へ。

馬場下の交差点にある鯛焼き屋はこのところ大繁盛だ。向かいの穴八幡にやってくる人たちが買って行っているように見える。とすると、節分までのここ数日がピークだろうか。編集作業おお八つに鯛焼きを買っていく。

「ミルクホール」でコーヒーとお茶を買っていく。 

 昼食はまい泉のカツサンドとコーヒー。

ゼミ論集編集作業は今日で3日目。今日はSSさん(左)とIMさんの2人。 

7時前に大学を出る。 

「文禄堂」(旧あゆみブックス)で、ゲーテ『ファウスト』第一部を購入。気まぐれに読みたくなったのである。 

清水幾太郎が『ファウスト』の原書を日本橋の「丸善」で購入したのは中学(旧制)1年生の一学期のことだった。彼の入学した中学(独逸学協会学校中学)ではドイツ語が第一外国語であった。英語ではなくドイツ語を勉強することになった彼に或る人が「それなら『ファウスト』を読まなければ駄目だ」と言った。『ファウスト』が何であるかもわからないまま、清水は丸善に駆け付けてこれを購入したのである。そして辞書で「faust」を引き、「拳骨」という意味であることを知った。

「私にとっての『ファウスト』の意味はむしろ象徴的なものであったあった」と彼は自伝『私の読書と人生』の中で語っている。「焦燥と粗忽とは何時になっても私から離れない。考えてみると、あわてて『ファウスト』を買った流儀は、その後の私が幾度となく繰り返して来たものにほかならぬ。」

「文禄堂」で買ったばかりの岩波文庫版『ファウスト』を電車の中で読みながら、私はびっくりした。第一部が始まる前の「舞台の前曲」のところで座長と座付詩人と道化役の3人が語り合っている内容は、まさに「大衆社会論」そのものではないか。

座長曰く「私も、大衆を喜ばせる手は心得ているつもりだが、今度ほど、途方に暮れたことはないんです。連中は別に傑作を見慣れているというわけではないが、なにしろ恐ろしくいろんなものを読んでいるんでね。すべてが清新溌剌として、しかも興味ふかく、そのうえ大衆の気に入るには、どうやったらいいものだろう。」

詩人曰く「おお、あの一人一人毛色の違った群衆のことは止してください。あんなものを見ると、詩人の魂が逃げてしまいます。われわれを無理矢理、渦巻の中にまきこんでいく。ああした人波の雑踏は見せないでください。それより私を静かな天上の片隅につれて行ってください。そこでだけ、詩人の浄らかな喜びの花は咲くのです。そこでだけ、愛と友情とが神々のような手で、われわれのところに祝福を造り、また育ててくれるのです。」

道化役曰く「人をよろこばせる芸を心得えている人間は、見物衆のむら気で気を悪くしたりしませんよ。なんでも見物人は多い方が望ましいんで、その方が確実に感動させることができますからね。だからあなたも腕達者に、大家ぶりを発揮なさいよ。空想という奴に、あらゆる合唱を添えて聴かせるんですな。理性、悟性、感情、情熱というような奴をね。但し、道化という役を落としちゃいけませんぜ。」

『ファウスト』の原書を「丸善」で購入した清水少年は、そのとき、その後の彼の人生の予告編を垣間見たことになる。『ファウスト』は清水幾太郎ににとって二重の意味で象徴的なものであったということになる。

夕食は鯖の干物、玉子豆腐、サラダ、味噌汁、ご飯(明太子と栗きんとんがのっている)。

2時、就寝。