フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月8日(金) 曇り

2019-02-09 13:03:39 | Weblog

9時、起床。

トースト、つみれ汁、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

 午後から大学へ。今日は冷える。

教授会の始まる前に蒲田駅で買ったマイセンのカツサンドを食べる。時間がなかったのでそそくさと食べる。

教授会には通常のロングバージョン(2時から5時頃までかかる)と特定の議題だけのショートバージョンがあるが、今日は後者で、1時間足らずで終了。実はロングバージョンだと勘違いしていたので、なんだか嬉しい。

「文禄堂」に本を買いに出る。

戻って来るときに鯛焼きを買ってお八つにする。 

「文禄堂」では4冊の本を買った。

 ジョン・チーヴァ―(村上春樹訳)『巨大なラジオ/泳ぐ人』(新潮社)

 昨年、文芸雑誌『MONKEY』の夏・秋号でチーヴァ―の短篇がいくつか紹介されていたが、この短篇集の予告篇みたいなものだった。

岸田秀『唯幻論始末記』(いそっぷ社)

 「私にって、これが人生最後の本になるであろう」と「あとがき」で書いている。ならばお付き合いしよう。初めて読んだ彼の本は伊丹十三との対談集『哺育器の中の大人:精神分析講義』(朝日出版社、1978)だったが、実に面白かった。以来、彼の本は何冊か読んでいるが、言わんとしていること(人間は本能の壊れた動物で、そのために幻想や物語によって生きている)は同じで、それを彼は「唯幻論」と呼んでいるわけだが、ここでいう「幻想」というのは私の理解では「文化」と言い換えてもよいもので、社会学を学んでいる者にはスーッと理解できる考え方であった。

吉見俊哉編『平成史講義』(ちくま新書)

 タイムリーな本である。10講から成るが、とりあえず吉見が担当する「第1講 昭和の終焉」と「第10講 アメリカの後退・日本の漂流」を読み、後は面白そうなところをみつくろって読めばよいだろう。 

堀井憲一郎『1971年の悪霊』(角川新書)

 初めて読んだ堀井の本は『若者殺しの時代』(講談社現代新書、2006)だったが、軽快な文体で読者の腑に落ちる考察を展開する技量は相変わらずである。タイトルはたぶん高橋克己の『日本の悪霊』を意識したものだろう。「1971年」というのは京都の或る高校で紛争があった年で、その2年後に入学した著者はそこで意識の高い(紛争を経験した)3年生たちと出会うのだが、そのとき感じた違和感にこだわり、その正体を追及していく。

6時半頃、卒業生のモエさん(論系ゼミ6期生)が仕事終わりに研究室にやってくる。馬場から歩いて来たそうだ。「寒かったでしょ」と聞くと、「寒かったけど歩きたかったんです」とのこと。ちょうど堀井の本を読んでいたせいもあって、ザ・ランチャーズの『真冬の帰り道』という歌を思い出した。♪わかってほしいんだ、切ない僕の胸・・・堀井が指摘するように当時のフォークソングは叙情性(切なさ)がメインテーマであった。個人的には一番好きなフォークソングはザ・フォーク・クルセダーズの『悲しくてやりきれない』だった。もちろんモエさんは『真冬の帰り道』なんて知らない。「お洒落なカフェが増えましたね」と彼女は言った。そう?私は馬場歩きはしないので、どんなカフェなのか知らない。

デジカメを鞄に入れて来るのを忘れてしまったので、スマホのカメラで自撮りする。

一昨年の秋に心臓の手術をして、定期的に病院に通って経過を見ているそうだが、とくに問題はないそうである。私大のキャリアセンターで働いているので、いまは繁忙期だ。9時頃まで残業する日も多いそうで、「もうみんな私が心臓の手術をしたことも忘れっちゃってるみたいなんで、ときどき『ウッ』と胸を押さえてしゃがみこんでアピールしようかと」(笑)。

「すぎうら」に行ったら今日は貸切だったので「北京」に行く。

料理は(春巻き以外は)ハーフサイズで注文したので、2人にしては皿数の多い食卓になった。

 

青椒肉絲(彼女のチョイス)。

肉団子(私のチョイス)。 

酢豚(私のチョイス)。 

鶏の唐揚げ(私のチョイス)。 

春巻き(彼女のチョイス)。 

ご飯とスープも頼んだので、さすがにお腹いっぱいになった。 

でも「カフェゴト―」でのケーキとお茶は欠かせない。ベイクドチーズケーキ(彼女のチョイス)と洋梨のフラン(私のチョイス)のハーフ&ハーフ、そしてシナモンミルクティー。

明日は病院の定期検診で、その帰りに映画を観ようと思っているそうだ。聞くと、ずいぶんたくさん映画を観ている。映画を一人で観ることができるようになってから映画がより好きになったそうだ。 

そして明後日は「ミツメ」のコンサートに行くそうだ。 私は彼女から聞いて「ミツメ」というグループのことを知ったが、今日はさらに「cero」というグループと「折坂悠太」というミュージシャンについて教えてもらった。「cero」も「ミツメ」と同じく、淡々としていて日々聴いているうちによさがわかってきたという。「折坂悠太」はユーチューブで聴いてみたが、語るように歌う歌い方は、高田渡をのびやかな声にしたみいだと思った。フォークソング的なものはまだ生き延びているようである。【後記】「cero」の曲は「ミツメ」ほど淡々としてはおらず、むしろ楽しげですとブログの見た彼女が言っております。

 今年は何か新しいことを始めてみたいそうだ。「たとえば?」と聞いたら、楽器か、陶芸か、運動とのこと。レッツ・ビギン!次に会うときはどれかを始めているといいですね。

彼女とは駅前の信号機のところで別れた。

10時半、帰宅。

明日は雪が積もるかもしれないとのこと。ナツはお泊りを決め込んでいる。

2時、就寝。