9時半、起床。昨日は寝つきが悪く、眠りも浅かった。
バタートースト、ソーセージ、サラダ、紅茶の朝食。
食事をしながらNHK杯将棋トーナメント準々決勝第2局、増田康弘七段対八代弥七段戦を観る(増田七段が緩みなく攻め切って勝った。強い)。
途中から書斎に移動し、『福のラジオ』を聴きながら(横目で将棋を観ながら)、昨日のブログを書く。福山雅治は先日、東京に雪の降った2月6日、55歳になった。こんなに若い55歳がいるだろうか。
昨日、サキさんからいただいたパンを食べる。
ブログをアップしてから、冷蔵庫にあった炒飯の残りをチンして食べる。
「今日は外出しないんですね」
外出しなかったのは『夜明けのすべて』をずっと居間で読んでいたからである。
夕食前に読み終えそうである。小説って早く読めるんだな。キンドル・スクライブのおかげで、この感覚を取り戻した。もちろん瀬尾まいこの小説が面白く、読みやすいからでもある。
読み終えた。
パソコンで映画の宣伝映像を観る。主演の二人が上白石萌音と村松北斗であることは知っていたが、そうか、栗田社長役は光石研か。なるほどね。藤沢(上白石)の母親役はりょうか。全然、イメージと違った。もっとほんわかした感じの人かと思ってた。山添(村松)の前の会社の上司辻元役は渋川清彦か。そういわれるとそういう感じもしないではない。それより、びっくりしたのは、栗田と渋川が会話を交わしているシーンだ。小説の中では二人は対面しない。これもびっくりしたが、藤沢と山添の元カノ(芋生悠)が会話を交わしているシーンがある。小説では二人は対面しない。映画の中の登場人物の相関関係は小説の中よりも密である(「閉じている」といってもよい)。エピソートとしては、自転車は小説では山添が自分で必要を感じて購入することになったいるが、映画では藤沢が古い自転車を山添に無理やり(な感じで)押し付けるシーンがあった。自転車はパニック障害で電車に乗れない山添にとって、日常世界を拡大するメディアである。それを自分から欲して手に入れるのと、人から与えられるのでは、意味合いが異なるだろう。当然のことだが、映画は小説をそのままトレースして映像化しているわけではない(そもそも尺の問題があるし、会話の文章は映像化しやすいが、モノローグの文章は映像化しにくい)。いま、「当然のことだが」と書いたが、『セクシー田中さん』の一件があったので、原作(小説)と映像化作品(映画)の関係について敏感になっているのだろう。
小説で一番好きなのはチャプターは「13」。日曜日に一人で『ボヘミヤン・ラブソディ』を観た藤沢が、「映画、すごくよかった」ということ伝えたいがために山添のアパートに押しかけるシーンだ。あのシーンはなくなっていませんように(予告編の中にはなかったので)。映画ではプラネタリウムが出てきて、どうもそれがいいシーンのようだが、小説にはプラネタリウムは登場しない。
映画の評判はとてもいいようである。自分が映画『夜明けのすべて』を観たときにどんな感想をもつか、自分のことながら、興味がある。同時に、映画を先に見た人が原作の小説を読んでどんな感想を持つかも興味がある。
夕食までに1時間ほどある(我が家は夕食は7時半が原則である)。今日は一歩も外に出ていないので、買物に出る。
昭和か。不適切にもほどがある(?)。
大井町の「アトレ」に行く。「ロフト」で買いたいものがあるのだ。
4月始まりの「ほぼ日手帳」(カズン)だ。たぶん4月始まりのものを使うのはこれで最後だろう。職場(大学)を離れれば、年度というのはあまり意味のない時間単位である。
夕食はサーモンのソテー クリームソース掛け、蓮根と挽肉のピリ辛炒め、玉子とワカメのスープ、ごはん。
食事をしながら『正直不動産2』第5話(録画)を観る。
今日のブログを今日のうちに書く。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時、就寝。
*明日は都合によりブログの更新はありません。