8時、起床。
バタートースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
『サンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴きながら、昨日のブログを書く。
小雨の降る中、大井町に出かける。
昼食を「丸八」で食べるためである。昨日も含めて、今年になって三度訪問したが、いずれもお休みだったが、今日はやっていた。
三度の訪問はいずれも火曜だったが、火曜も定休日になったのかとお店の方に尋ねたところ、「月曜定休なんですが、毎月第三火曜日は連休で、月曜が祝日で営業した時も火曜が振替でお休みになるんです」とのことだった。そういうことでしたか。
カツサンドを注文する。これが食べたかったのである。お土産用に注文する客が多いが、絶対、作り立てをカウンターで食べるのが美味しいと思う。
ノンアルビールも注文する。本当は微アルコールビールがいいのだが、それは置いていない。
昨日、「本日臨時休業」の貼り紙が出ていた「ポットリー」に行ってみる。
今日はやっていた。昨日の臨時休業はマダムの体調不良ではなかったようである。
「ロイヤルミルクティーでよかったかしら?」とマダムが言った。はい、お願いします。
以前からマダムを早稲田の「カフェゴトー」にお連れすることになっていて(開店30数年というのが「ポットリー」と同じなのである)、今日はその具体的な日程を相談する。3月3日(日)に決定。これまで馴染みのカフェの店主さんを馴染みの別のカフェにお連れしたことは二度ある。最初は「フォノカフェ」の大原さんを「パン日和あをや」にお連れした。二度目は「スリック」の神田さんを「パン日和あをや」と「ポットリー」にお連れした。今回が三度目になる。馴染みのカフェというのは私を起点として放射線状に点在しているのだが、店主さん同士を引き合わせることで、その点と点が直接つながることになる。それが何を意味するか。わかりませんけどね(笑)。
マダムから先週のバレンタインデーのチョコレートのお裾分けをいただいた。
「ポットリー」には1時間弱滞在した。
「一二三堂」で『NHK俳句』3月号を購入。昨日発売だったのだが、火曜日はお店が定休日だったのである。
三月やグローブがいい音をして 今坂柳二
垂れ髪に雪をちりばめ卒業す 西東三鬼
先日、フローベール『三つの物語』(光文社古典新訳文庫、2018年)をキンドル本で購入した。その中の「ヘロディアス」を読む。今度の土曜日に劇団獣の仕業の公演『サロメ』を観に行くのだが、オスカー・ワイルドの原作にはすでに目を通した。新約聖書を題材にしたこの話はワイルド以前にも多くの作家が作品を書いている。フローベールの中編小説「ヘロディアス」もその一つである。劇団獣の仕業の『サロメ』はこちらの方も参照していると聞いたので、目を通しておこうと思ったのである。
物語の構造において両者には大きな違いがあるが、その点についてはここでは触れずにおこう(長くなるから)。文章については、『サロメ』は戯曲で、「ヘロディアス」は小説であるから、当然違う。戯曲は登場人物の台詞が中心であるから、小説よりもサクサクと読み進めることができる(もちろん古代の話であるから、現代のTVドラマの脚本を読むようなわけにはいかないが)。一方、小説には地の文というものがあり、これが広い面積を占める。たとえば、「ヘロディアス」の冒頭の部分はこんなふうである。
死海の東方にあるマカエラスの要塞は、円錐形をした玄武岩の頂にそびえ立っていた。四つの深い谷が要塞を囲んでいた。二つは側面に、一つは正面に、四つ目は背面にあった。麓にはひしめくように家が建ち並び、その周りを、土地の起伏にしたがって上下する外壁がぐるりと取り巻いていた。町と要塞は、岩盤を削って作られたジグザグの小径によって結ばれていた。要塞の壁は、高さ百二十キュビット、数多の角が張り出し、上部には矢狭間が連なっていた。城のあちこちから伸びる尖塔は、深淵にそびえ立つこの石の上の王冠の頂華のように見えた。
これから始まる物語の舞台であるマカエラスの要塞の映像を読者はこの文章から鮮やかにイメージすることができるだろう。それは小説だからというわけではなく、小説家の文章力(写実力)が卓越しているからである。この文章力を味わおうとすると、どうしても速読(ただストリーを追うだけの読み方)というわけにはいななくなる。それでも中編小説であるから、夕食前には読み終えることができた。観劇とは関係ないが、他の二つの物語も読んでみたくなった。
夕食は子羊のソテー、しらす干し、野菜スープ、ごはん。
食事をしながら『春になったら』(録画)を観る。
いただきもののチョコレートのお菓子を食べる。
「おっ、ジャン=ボール・エヴィンですね!」
昨日今日と調子に乗ってキンドル本を読み過ぎたせいか、右目の調子が悪くなった。近所のドラッグストアーに目薬を買いに行く。
久しぶりにお世話になります。
年が明けてから、ゼミ論集、期末レポート、書評(のようなもの)のための読書、と目を酷使してきたが、これからも目を通さないとならない大量の原稿や、これから自分が書く原稿の準備のための読書など、目を休める暇は当分なさそうである。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。