9時、起床。
胡桃パン、鯛のつみれ汁、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
気温が上昇している。チャイは私が起きるととりあえずベランダに出たがるので出していやるのだが、ひどく寒い日や風の強い日は早々に室内に戻ってくるのだが、今日は長居をしたいようである。
ベランダに猫も長居のうららかな たかじ
昨日のブログを書いてアップする。
蒲田駅ビルの「銀座アスター」を来週の火曜日のランチで8名予約する。小学校時代の同級生の集まりがあるのだ。
いつもゼミ論の印刷・製本をお願いしている印刷会社のK氏に連絡して、来週の月曜日に研究室に来てもらうことになった。データを渡して、表紙の色などを決めるためである。
恵比寿ガーデンプレイスに行く。
東京都写真美術館。
開催中の展示会をチェックせずに来たら、開催中の展示会は一つだけで、今日から始まった「恵比寿映像祭りコミッションプロジェクト」。どんなものかわからないまま入ってみる。
期待せずに入ったのだが、とても面白かった。昨年度の映画祭で特別賞を受賞した2人のアーティスト、金仁淑(キム・インスク)と荒木悠の特別展示をやっていた。
金の展示室には二つの作品が展示されていた。1つは「House to home」。金が借りた古い民家に彼女の知り合いたちが招かれ、食事をし、会話を交わし、去っていく。床にモニター、壁にスクリーンがたくさん配置され、その映像が彼らの会話とともに流されていた。会話のテーマは家族だった。韓国の人々が家族や親族を大切にしていること、同時に、若い世代にとってはそれが少々窮屈なものであることが伝わってくる。平凡といえば平凡だが、リアルな会話で、わたしもその古い民家に招かれた一人になってしばらくそこにとどまっていた。居心地のよい時間だった。
もう一つの作品は、「Ari, A letter from Seongbuk-dong」。城北洞(Seongbuk-dong)という地域のあちこちをアリという名前の少女を案内人のようにして訪れる写真で構成されている。アリという名前は「不思議の国のアリス」を連想させる。変貌していく町で、これから少女は娘になり、大人の女になっていくのだろう。
荒木悠の作品のタイトルは『ROAD MOVIE』。彼が訪れたのは、アイスランドの小さな村、スターガストロン。彼は真冬のその村に三か月間滞在した。その村には外食できる店が一軒しかなかった。ガソリンスタンドに併設された「Grill 66」だった。アメリカ合衆国の「ルート66」をもじったファストフート店である。彼は絶望的な気分になったが、それを逆手に取って、25種類のメニュー(アメリカ合衆国の地名がついている)を西から東に一日で(たぶん)食べつくすという企画を考えた。レジデンス仲間とヒッチハイクの青年2人と荒木の4人でそれに挑んだ。
最初はみな笑顔だった。
モリモリ行っていた。
しかし、やがて苦悶の表情に変わっていった。
タカ&トシのバラエティ番組の中でこんな光景をみたことがある(「帰れま10」だったかな)。
シカゴ(ベーコンチーズバーガー)からハリウッド(ビーフステーキサンド)までのロードムービーだった。
彼らの平らげたメニューの写真が壁に貼られている。
その向かいの壁には巨匠たちの作品が展示されていた。荒木の馬鹿馬鹿しい映像作品と並ぶことで一種心地よい不協和音を奏でていた。これも織り込み済みの映像作品である。
ルイス・W・ハイン「アメリカへ乗り込む、エリス島」(1908)
ドロシア・ラング「昼食の時間、マンザナールの日系アメリカ人収容所、カリフォルニア州」(1942)
ロバート・フランク「自動車事故、国道66号線、ウィンスローとフラッグスタッフの間、アリゾナ」(1955)
ラッセル・リー「黒人小作人の台所の片隅、オクラホマ州クリーク郡」(1940年)
2時半に美術館を出る。
ちょうど電車が出てしまったところだった。
でも、次の電車まで3分だ。
喉が渇いていた。
オロナミンⅭを買った。
飲み終わる頃に次の電車が来た。
昼食を食べるために大井町で途中下車。
最初に「丸八」へ行ったが(カツサンドが食べたかったのだ)、閉まっていたので(月曜が定休日なのは知っているが、火曜日もなのか?)、東小路に行く。
「永楽」に入る。珍しく空いていた。
ワンタンメン(900円)を食べた。美味しかった。
食後のお茶は「ポットリー」で、と思ったら・・・
臨時休業だった。あらま。マダムのご自宅は別の街にある。前日に張ったのだろうか。それとも今日来て、途中で体調が悪くなって帰られたのかしら。
店の前の土手には早咲きの桜が2本。
近くにオレンジジュースの自販機があった。カップ一杯350円する4個分のオレンジを搾って作る特製のオレンジジュースである。
なるほど、搾りたて感のある美味しいオレンジジュースである。
オレンジジュースを飲みながらしばらく桜を眺めた。
さて、帰ろう。
蒲田駅ビルの靴屋(リーガル)でウォーキングシューズを購入。履き心地がよいので、同じモデルの同じサイズのもの色違いで順繰りに購入している。今回は茶色の番だったが、廃番になったそうで、黒を購入する。
写真美術館のショップで手に取って面白そうだった本を帰宅してからキンドルで購入する。
島原学『写真のなかの「わたし」―ポートレイトの歴史を読む』(ちくまプリマ―新書、2016)。
さっそく読み始める。
夕食はシシャモ、ベーコンと卵とほうれん草の炒め物、ブロッコリーのサラダ、たらこ、白菜の味噌汁、ごはん。
食事をしながら『厨房のありす』(録画)を観る。
いただきもののパウンドケーキの最後の一切れを食べる。
『写真のなかの「わたし」ーポートレイトの歴史を読む』読了。新書だと(もちろん内容が面白くないとだめだが)あっという間に読めてしまう。これもキンドルのおかげである。
サブタイトルに「ポートレイトの歴史」とあるが、メインタイトルに「写真のなかの「わたし」」とあることからわかるように、「自撮り」の考察に多くの頁を割いている。それもプロの写真家のセルフポートレイトだけでなく、一般の女性や中高生たちのセルフィ―やプリクラやコスプレ写真にまで考察の範囲を広げている。
「ポートレイト写真とは、本来的に写された人物のアイデンティティのあり方、つまり自分が何者かということと深く関わるものです。しかし流動化した社会の中では、人々のアイデンティティもまた短期的に変わっていかざるを得ないし、それにつれて望ましいイメージも違ってくるはずです。そのとき制服や持ち物を記号化し、アイデンティティを素早く着替えるためのレイヤーとして利用するというのは、この社会で生きていくための一つの有効な知恵なのかもしれません。
自撮りもプリクラもコスプレ写真も、これらはとても遊戯的なものに見えますが、それらの写真には、先の見えない時代を必死に生きていこうとする切実さが込められているのです」(第三章「コスプレ写真の現在」より)
なるほど。「生存戦略としのポートレイト」ということですね。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。