9時、起床。
バタートースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
食事をしながら本日の『ブギウギ』を観る。有楽町のパンパンたちのリーダーおミネとは分かり合えたようである。次は幼馴染のタイ子との関係の修復ですね。
加藤周一が『文学とは何か』(1950)の中で、笠置シズ子のブギウギに言及している箇所があるので紹介しておこう。
わたくしは、戦後東京の風俗に身についた美しさがないといいましたが、風俗だけではなく、現代の芸術についても、京都の禅寺の荒れかけた庭に匹敵する美しさをみつけることは困難です。洗練の度合いがまるでちがうので、一方を見てすぐその後で、上野の展覧会をみる気にはどうしてもなれません。芸術らしいものは、どんなに古いものでもほんとうの芸術の前では色あせます。色あせないのは、戦後の東京ではブギウギくらいのものかもしれない・・・とわたくしは、考え、京都から帰ると、早速見にゆきました。それまでに一度もみたことがなかったので、好奇心がうごいたのでしょう。要するに、でたらめな踊りですが、そういうものとして実に徹底していて、すこしも感傷的なところがなく、少なくともちぐはぐなところがありません。美しくはないし、むろん芸術ではないでしょうが、歌というか踊りというか演技というか、要するにそのやっていることは、修学院離宮の庭でやろうと、東京駅前の広場でやろうと、へたな芸術のように色あせる気づかいなどない、りっぱに身についたものだと思いました。しかもそれが、京都のある人々の趣味のように、いまの世の中を生きてゆく苦しさからかけ離れた生命力のない趣味として身にしみついているのではなく、今日の大衆の生活感情と密接につながり、生々と動きながら身についたものである、―ということは、集まった見物人の気配からも察せられました。なにもブギウギだけが戦後の表現でもなければ、戦後日本の生活感情を代表していたわけでもありませんが、ブギウギが時代の少なくとも一面に深く根ざしていたことは、確かなようです。
ブギウギは、そのままではどうにもならぬものだったでしょう。風俗習慣のくずれかけた社会に、あらわれでた人間の動物性が、どうにもならぬ事実であるのと同じです。しかし、そこからでなければほんとうの芸術もほんとうの美しさも生まれてこないだろうと思わせる力を漲(みなぎ)らせていました。いいかげんなもの、感傷的なもの、要するに労働し生きていく現実とはちぐはぐなものからは、なにも生まれるはずがありません。そういうものはわれわれに必要ないのです、われわらに必要なのはわれわれの現実と、それを表現を通じて高めてゆくために、たとえば京都の庭をつくった人間の精神と同じように自由な精神とだけです。
人間は、肉体でもあり、精神でもある。動物的でもあり、天使的でもあります。何が美しいかということは、結局人間は何かということに帰着するでしょうから、庭とブギウギとは、美しさに関する一切の要素を要約しているかもしれません。わたくしの提案は間をとれというのではなく(正反対のものの間などとれるはずがなく、間をとったつもりになっているものは、まやかしものです)その矛盾の総合をとれということです。時代的であり、同時に時代を越えるものであれとわたくしは、わたくし自身に向かっていいます。真に時代的でないものが、時代を越えたことは、ありませんでした・・・。(加藤周一『文学とは何か』第二章「何か美しいかということ」第三節「現代風俗」より)
阿久津隆『本の読める場所を求めて』(朝日出版社)をキンドル本で購入。本を読むことに特化したカフェ(と言ってもいいだろう)「fuzukue」を創業した人が書いた本。先日、卒業生のメグミさんが古書店「あんず文庫」で購入した本だが、キンドル版が出ていたので私はこちらで。
演習の発表で学生が取り上げた加藤優一『銭湯から広げる―小杉湯に学ぶ、場と人のつなぎ方』(学芸出版社)も購入しようと思ったが、こちらはキンドル版はなかったので、アマゾンで単行本を注文する。
昨日のブログを書いてアップする。
2時を回った頃、昼食を食べに出る。風が強い。しかし、北風なので春一番とは呼ばないようである。
「プリミエールカフェ」へ行く。
本日のパスタは前回食べて美味しかったほうれん草を練り込んだパスタだ。また注文しよう。
アサリのクリームスープとの相性がいい。
食後の珈琲を飲みながら4時からの研究指導(オンライン)の資料に目を通す。
帰りに酒屋でお神酒用の「澤乃井」を買う。
帰宅してお迎えに出てきたチャイを玄関先に出してやる。道路に飛び降りちゃだめだよ。「はい」
4時から6時までオンラインの研究指導。
夕刊の一面。「4位じゃいけないんですか?」と誰かがいいそうである。
午前中に注文した本が届いた。
夕食は海老団子のトマトソース煮、黒豆、ジャガイモと玉ねぎのスープ、ごはん。
食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。
今日のブログを今日のうちにあらかた書いてしまう。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時、就寝。