8時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
昨日のブログを書く。
昼頃、家を出て、墓参りに行く。年末(12月23日)の墓参りは妹と一緒だったが、年始の墓参りは私ひとりで行く。
駅の側のコンビニで墓に供えるビールを買う。最初に手に取ったのは糖質70%オフのものだったが、お墓に入っている人はそういうことは気にしないだろうと考えなおして、『晩酌の流儀』で栗山千明がよく飲んでいたサントリーの「金麦」を買った。
いつも仏花を買っている(年末の墓参りでもここで買った)花屋の「八喜」が12月末をもって閉店したいるのにびっくり。具体的な理由は書かれていないが、何か急なことがあったのだろう。見ると、仏花が一対入口のところに置かれている。これ、買えるのだろうか。ドアをトントンと叩いてみると奥にいた店主さん(奥様)が気づいて、ドアを開けてくれた。残った最後の一対なのだそうで、売っていただけた。
おまけで(閉店の挨拶がわりだろうか)、カーネーションを3本いただいた。「花の仕入れにいけなくなっちゃって」とおっしゃる。きっとご主人が急に体調を崩されたのだろう。「これまでありがとうございました」と挨拶して店を出た。
新年の墓参りは3が日と4日・5日の土日に来た方が多いのだろう、他に墓参りの人の姿を見ることはなかった。
墓参を済ませて、縁側でお茶をいただく。住職の奥様が話の相手をしてくださった。「八喜」の急な閉店の話をしたら、「そうなんですよ。花の仕入れに使っている古いバイクが故障してしまって、もう部品がなくて、直せないらしいのです」。えっ、それが閉店の理由なんですか。私はてっきりご主人が体を悪くされたのだと思ってました。おそらく、もうそろそろ花屋をやめようと思っていたところに、バイクの故障が起きて、それが引き金になったのだろう。
昼食は「川しま」で鴨南蛮でも食べようと思っていたのだが、まだやっていなかったので、中華そばの「きみはん」で食べることにした。
梅香る煮干しつけめん(980円)を注文。梅のペーストを麺に絡めている。
鶏と魚介のスープは濃厚である。
「麺は三分の二ほどスープにつけてお召し上がりください」とある。たしかにそうすると梅と煮干しの香りのバランスがいい気がする。ごちそうさまでした。
鶯谷から浦和へ。年末に京浜東北線の車内に置き忘れたショルダーバッグを浦和警察署に受け取りにいくためである。蒲田から直接だとかなり遠く感じるが、鶯谷からだと半分の距離まで来ている。
浦和駅で降りるのは初めてではないが、二回目か三回目くらいである。調べものがあって埼玉県庁に来たことがあるのだが、それはもうずっと昔、大学院生の頃だった。駅も駅前の風景もまったく違っている。
浦和駅から浦和警察署まではかなり距離がある。でも、急いでいるわけでもないので、歩くことにする。途中、裏門通という名前のなかなか風情のある商店街を通った。
「異国茶屋 やじろべえ」というカフェがあった。「いいじゃないか」と井之頭吾郎の口調でつぶやく。帰りに寄ってみよう。
途中、道行く人に何度か尋ねながら(みな親切な方ばかり)、浦和警察署に到着。中山道を挟んで、向かいは浦和市役所である。
警察署に来ることはめったにない。以前、蒲田警察署に行ったときも落とし物が見つかってそれを取りに行ったときだった。
会計課の窓口で落とし物を受け取りに来た旨を告げる(来る前に電話で確認をとっておいた)。しばらくして係の方が私のショルダーバッグを持ってきてくださった。3週間ぶりの再会である。年末年始を見知らぬ土地の警察署の遺失物の棚で送らせてごめんね。
ありがとうございました。
さて、「やじろべえ」に行こう。
私が入口の窓から中の様子を伺っていると、それに気づいた年輩のマダムが「どうぞ」とドアを開けてくれた。
店内には年輩の女性客が一人、テーブル席に座っていた。私はカウンターの入口に近い席に座った。
ココアを注文しながら、「このお店には初めて来ましたが、いつ頃からやっていらっしゃるのですか」と尋ねると、「もう50年になります」とマダムは静かな口調で言った。
「私は開店当初から来ているの」とテーブル席の女性が言ったので振り返ると「そのときは中学生だったけど」と言って笑った。常連客が初めての客に話しかけるのはよくあることである。「お兄さんはどちらからいらしたの?」と聞かれる。「お兄さん」と言われてちょつと戸惑う。それは一般に女性が見知らぬ年下の成人男性に対して使う呼称のように思っていたからだ。50年前、私はもう大学生だった。しかし、中学生の女の子には大学生は「お兄さん」なのだろう。「蒲田からです。電車の中の忘れ物を浦和警察署まで受け取りに来た帰りなんです。行きにこの店をみつけて、よさそうなお店なので帰りに寄ろうと思ったんです」と答えると、手を叩いて、「目利きでいらっしゃる」と褒められた。「このお店、雑誌でも紹介されているいるんです」と本棚にある雑誌を示された。『埼玉の喫茶店』というムック本で、中に「埼玉喫茶店物語」というコーナーがあって、そこに最初に紹介されているのがこの「やじろべえ」である。この写真はたしかにいま私がいる場所であり、カウンターの中のマダムもこの写真の方である。
記事を読むと店主さんご夫婦のインタビューが載っている。ご夫婦? しかし私の目の前のカウンターの中にはマダムしかいない。「ご主人は亡くなってしまわれたの」と常連客の女性がちいさな声で行った。私はマダムの方に顔を向けたが、一見の客が聞ける話題ではない。私は質問のかわりにバタートーストを追加で注文した。
トーストを待っている間に、常連らしき男性が入って来てカウンターの席に座った。マダムは「主人、死んじゃったの」とその人に向かって話し、「えっ」とその人は驚いていた。常連客だが来るのは久しぶりのようである。昨年の11月の末に亡くなったそうである。マダムは経緯を坦々とした口調で話した。それを私も黙って聞いた。おそらくマダムは私に対しても話してくれていたのだと思う。
トーストを食べていると、マダムが私に話しかけてくれた。「私もね、京浜東北線の中でポーチを忘れて、蒲田警察署で預かっていると連絡をもらったことがあるの。でも、使い古したポーチだし、中身も大したものが入っているわけではないから、時間とお金をかけてわざわざ蒲田警察署に行くことはしなかったの(笑)」
私は源氏ブレンド(深煎り)とクッキーを注文した。この店に来る「次の機会」がいつになるか、あるかどうかわからないので、評判の珈琲は飲んでおきたかったのだ。苦みの強い珈琲で、クッキーがよく合った。
1時間半ほど滞在し、店を出る。支払いのとき、マダムに、私は忘れ物を取りに浦和警察署まで来ましたが、そのおかげでこの素敵なお店と出会うことができました。忘れ物をしてよかったです、と挨拶した。先客の女性にも会釈をして店を出た。裏通り商店街は夕方の賑わいを見せ始めていた。
6時ちょっと前に帰宅。チャイが書斎の妻のパソコンの上で待っていた。
返信を書くべき年賀状が届いていたので、それを書いて、近所のポストに出しに行く。これで最後だろう。
夕食は七草がゆ。とてもヘルシーな夕食だ。
演習のレポートを読んでいたら、4人グループがそれぞれに一人旅をして、その経験と考察をまとめたものだったが、4人のうちの二人が金沢に旅行していた。私はいま年に二回(春と秋)松本に一人旅をしているが、10年ちょっと前までは毎年、冬に金沢に一人旅をしていた。比較対象になるだろうと、2010年3月9日からの5泊6日の金沢一人旅のブログの記事を見てもらうことにした。読み返してみると、当時飼っていた子雀の写真なども載っていて懐かしかった。
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風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時、就寝。