フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月22日(水) 晴れ

2025-01-23 10:38:56 | Weblog

9時15分、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

トランプが就任初日にいきなり25本を越える大統領令に署名したそうだ。ただし、大統領令そのものは歴代の大統領もたくさん出している。

問題はその中身である。バイデンが進めて来た政策を反転させるものが多く含まれる。

「ガラガラポンですね」

昨日のブログを書く。

昼食は近所の蕎麦屋「吉岡家」へ食べに行く。12月30日に行ったのだが最後で、今年は初めて。なじみのカフェへの年始の挨拶で忙しかったのだ。

先客は一人だけ。

もり蕎麦と天丼のセット(それぞれ小サイズ)を注文。

店内のテレビでは「中井・フジテレビ問題」を他局のワイドショーがさかんに取り上げていた。「対岸の火事」というわけではあるまい。

食事を終えて、駅の方へ買物に行く。

「一二三堂」で『NHK俳句』2月号を購入。

 白梅や父に未完の日暮あり 櫂美未知子

 春来つつあり万感といふ言葉 清水径子

 みんな夢雪割草が咲いたのね 三橋鷹女

「白梅や」の句は、父は亡くなったのか、それとも引退したのか、やり遂げたかったことがあったのだろうと思う娘の気持ちを詠んで余韻のある句である。

「春来つつ」の句は、3月末で定年退職する私にはスッと入って来る句である。

「みんな夢」の句は、「邯鄲の夢」の現代女性版といったところか。さばさばしている。

「てんや」の前を通る。

早春海老天丼(味噌汁付きで税込み980円)。ワンコインランチの時代にはもう戻らない。いまはせめて「千円札一枚でお釣りが来る」という感覚に訴える時代になった。

線香を買おうと思って「きずなテラス」に来たが水曜は定休日だった。

腕時計の針が遅れ始めたので、電池交換に来たのだが、「山田時計店」も水曜が定休日だった。急ぐものでもないし(スマホが時計代わりになる)、昔からこの店で電池交換をしてもらっているので、明日また来よう。店主は私より5つほど年上で、相生小学校の先輩で、蒲田の街の昔のことをよくご存知なのだ。

帰宅して、教授会(オンライン)に途中から出席。今日は早め(5時頃)に終わる。

耳鳴りがするので少し横になる。

レビューシートのチェック。

夕食は蟹玉、豚肉とニンニクの茎のオイスターソース炒め、柚子大根、中華スープ、ごはん。

主菜が二皿ある感じ。

私がそう言うと、妻は「いいのよ。炒め物の方は量が少ないから」と言った。私としてはどちらか一皿+春雨サラダくらいでちょうどいいのだが。・・・結局、残さず食べる。

食事をしながら『ホットスポット』第2話(録画)を観る。これは継続視聴決定。

今日は「ライフストーリーの社会学」の最終回のレビューシートの提出の締切日。締切日にドッと提出されるというパターンは最後まで変わらなかった。やれやれと思いながらチェックしていると、「春と合わせて一年間受講させていただき、これが大久保先生に提出する最後のレビューになると思うと寂しいです。どうぞお元気で。ごきげんよう。」とか書いてあったりする。まぁ、いいか。

風呂から出て、提出されたレビューをすべてチェックする。通常なら次回の授業のパート1で紹介するレビューを選ぶところであるが、次回はない。惜しいので、1つだけここで紹介しておこう。

 「社会には人を分断する補助線が無数にあるが、そのわかる、わからないの間のグラデーションを生むのはわかりたいという意志と他人の経験に思いをはせる想像力であるという言葉に感銘を受けた。自分は中学の頃、周りと仲が悪く、高校大学では中学時代のほとんどの知り合いとは一切かかわらないようにしていた。しかし先日、成人式があり、同窓会は参加しないが成人式くらいは行こうと思い、数少ない友人とともに参加した。するとそこで再会した私が嫌っていた人と話してみると、案外打ち解けることができた。それだけでなく楽しくなってきて式が終わったらすぐ帰るつもりがその場に残りみんなと話し続けていた。中学時代あんなに嫌っていたのは何だったのだろうかと不思議に思っていたのだが、今回の授業を通じてそれは相手の価値観や経験などをわかろうとする気持ちがなかったからではないかと気づいた。当時下に見られていると感じた自分が彼らを見返す方法として手を付けたのが勉強だった。それ以来、彼らのような人間が存在しない世界に行くために勉強した。勉強など全くしない彼らを頭の悪い奴とひとくくりにして下に見ていた。その結果、今ここ早稲田大学という場所にいる。私は決してあれから必死に勉強した自分の行動が間違っていたとは思わないし、勉強した結果、あそこにとどまっていたら出会えなかったような人たちに出会えたという意味では無駄ではなかったと思う。しかし、勉強の一旦の最終到達地点である大学に入って学歴を求める勉強が終わり、少し落ち着いてから彼らとかかわってみると彼らも良き人間であることがわかり、彼らをわかろうともせず生活と思考から排除した自分を恥ずかしく感じた。きっと高校生のときに彼らと再会しても、まさに見返すための勉強をしていたのでこんな風な結論には至らなかっただろう。少し時間が経ち、成人式という彼らと再会した直後のタイミングだったからこそ、先生のお話が頭ですっと理解できたし、このような結論に至ることができたのだ。」

2時、就寝。