フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月2日(木) 晴れ

2025-01-03 16:41:54 | Weblog

8時半、起床。

お雑煮(餅1個)とサラダの朝食。

食事をしながら箱根駅伝(往路)を観る。

昨日のブログを書こうと思ったが、サイト(goo-blog)にアクセスできない。自分のブログだけでなく、他の人のgoo-blogにもアクセスてきないので、システム障害のようである。goo-blogの公式Xにシステム障害(ただいま復旧作業中)の報告が出たのは障害発生(午前5時頃)から6時間も経った11時頃になってからである。

昼前に高校時代からの友人のKがやってきた。いつも正月2日に来てくれる。奥さんの実家が矢口渡にあり、年末年始はそこで過ごすのだ。年に一度の来訪者だからチャイが会うのは4度目だが、人見知りはしない猫である。

Kは定年退職の先輩である。もう労働市場からはリタイアし、奥さんと三男と一緒に暮らしている。午前中に洗濯や買い物などをして、昼食を食べ終えると、後は風呂の掃除が「家事労働」として残っているくらいで(炊事は奥様に任せている)、残りの時間は好きに使えるのだが、この時点でそれなりに疲れているので(いまは寒いし)、散歩に出るよりも、室内で趣味のジオラマを楽しむことが多いそうだ。会社で仕事をしているときと比べると、「今日もとくに何もしないうちに暮れてしまった」と感じるそうだ。これが定年退職後のサラリーマンの一般的な心理なのではないかと想像する。

「大久保はどうするの?」と聞かれる。私もK同様、労働市場からはリタイアするが、会社勤めのサラリーマンのように平日は毎日出勤していたわけではないので、退職後の日常との「落差」はそれほど大きくはないと思うが、それでも授業やその準備、論文の執筆やその準備、会議への出席がなくなるというのは、「自由」を同時に「空虚」として感じるかもしれない。午前中に昨日のブログを書くという習慣は続くだろう。昼食を外に食べに出るという習慣も続くだろう。ときどき卒業生らとカフェをするという習慣も続くだろう。読書の時間は増えるだろう。映画を観る時間も増えるかもしれない。家事にかかわる時間は増やさねばならないだろう。近所づきあいや病院との付き合いも増えていくだろう。それらが労働市場から撤退した後の「空虚」を埋めるものであるかどうか。それが4月からの日々のフィールドワークの課題である。

3時頃、帰るKを駅まで送る。

娘も帰って行った。

「連れていかれちゃうの?」

ブログの方は、閲覧はできるようになったが、まだ投稿はできない状態である。しかし、スマホからの投稿はできるようになっていたので、そっちでいくことにした。スマホでブログの文章の修正をすることはよくあるが、一から書くことは初めてで、あまり長めの文章は書けない。それでも更新しないよりはいいだろうと、1月1日のブログをアップした。

夕食は開化丼。年末のすき焼きで残った牛肉を玉子とじにした丼であるが、親子丼を意識して他人丼と呼ぶ場合もある。

食事をしながら『とんねるずのスポーツ王は俺だ』を観る。これも正月恒例の長寿番組である。

Kからいただいたお菓子を食べる。

このブログの読者にはチャイのファンも多いようなので、息子が撮った写真を載せておきます。

「今年もよろしくです」

風呂から出て、今日の日記を付ける。4月始まりのほぼ日手帳カズンを使っているので、3月末まで使い続ける。

1時半、就寝。