フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月26日(金) 曇り

2006-05-27 00:38:12 | Weblog
  昼休みに会議が一件入る。会議の数が多くて、昼休みまで使わないとならなくなった(昼食は会議の始まる前にコンビニのおにぎり3個で済ませた)。会議の場所は私の研究室で間に合わせたのだが、入ってきた先生方(5名)は皆さん本棚に並んだ本を興味深そうに眺めている。私も他の教員の研究室におじゃましたときはやはり本棚に並んだ本を眺めるから、これは教員(学者)の習性のようなものであろう。これに加えて、先生方は全員文学関係の方なので、畑違いの教員の本棚がもの珍しかったのであろう。「いろいろな分野の本が並んでいますね」というのが共通の感想で、「これは社会学者だからですか、それとも大久保先生だからですか」というのが共通の質問であった。社会学者だからですと答えて、社会学者がみんな私のような雑学的な人間だと思われては申し訳ないので、「私の好奇心を反映しているのだと思います」と答えておく。
  3限(社会学演習ⅡB)、4限(大学院演習)、6限(社会と文化)と授業。最後の授業の出席カードの裏に、「三信ビルでハンバーガーを食べてきました。すごく美味しかったです」と書いてきた学生がいた。5月9日、10日のフィールドノートの記事を踏まえてのコメントである。私はまだ三信ビルの中にあるグリル「ワールドサービス」のハンバーガーを食べに行っていない。行こうと思っていた矢先に父が亡くなったからである。5月いっぱいは営業を続けているとのことらしいので、とはいっても5月は残り数日で、しかもお昼過ぎには売り切れてしまうそうだから、はたして伝説のハンバーガーを口にできるかどうか心許ない。たぶん伝説のハンバーガーは私にとって幻のハンバーガーで終わるであろう。
  4月28日のフィールドノートで、「清水幾太郎」で修論を書こうとしている社会科学研究科のS君のことを書いたが、今日また6限の授業に彼が出席(モグリ)していて、授業が終わってから、清水をめぐる話をあれこれ。お土産に朝日総研レポートに掲載された上丸洋一「日本核武装論-清水幾太郎と西村真悟の間」(私は未読)をもってきてくれたので、お礼に、拙稿「清水幾太郎における戦中と戦後の間」の抜刷を進呈する。研究室に来たS君も本棚を眺めていたので、「清水関連の本や資料は全部自宅に置いてあります」と言うと、「それは残念です」と言った。研究室には一見たくさんの本が並んでいるけれども、論文を書くために必要な本は全部自宅にあり(なぜなら私は論文は自宅でしか書かないから)、研究室に置いてある本は授業や卒論指導で使うためのものである。大学の図書館用語を使えば、研究図書は自宅、学習図書は研究室という配分なのである。だから今日の昼休みに研究室に来られた先生方には、私の関心の広がりはわかっても、私の研究テーマについてはわからなかったであろう。

5月25日(木) 晴れ

2006-05-26 01:50:47 | Weblog
  昼食(素麺)をとってから大学へ。午後2時から二文生3名の卒論指導。今回は彼らのほかに3年生2名が参加。卒論指導を見学するためである。2名とも私がアドバイザーになっている学生で、先日、私に挨拶のメールを送ってきたので、返信のメールの中で、都合が付くようであれば卒論指導を見学に来ませんかと誘ったのである。他にも4名、私がアドバイザーになることに決まった学生がいるのだが、まだ何とも行ってこない。たぶん事務所の掲示板を見ていないのだろう。今日、見学に来た2名(KさんとS君)は個々の報告に対してちゃんと質問やコメントをしており、モチベーションの高さを感じた。次回の卒論指導にも参加する予定で、4年生もうかうかしてはいられない。
  5限(プラス1時間延長)は一文の卒論演習。今日はじめて全員(20名)がそろった。とは言っても、全員就活が終了したわけではなく、たまたま揃ったのである。次の授業までの20分間に「ごんべえ」で夕食(カツ丼)を食べる。7限は二文の社会人間系基礎演習4。各自がBBSに書き込んだ「日常生活における暗黙の規範」に関する観察・実験レポートの中から、私がいくつか選び、黒板の前で本人に改めてポイントを説明してもらった上で質疑応答を行う。よいレポートにはいくつかのタイプがある。第一に、手間暇かけたレポート、第二に、目の付け所(テーマ)がユニークなレポート、第三に、分析が鋭いレポートである。目の付け所や分析能力はすぐには向上しない。だから、1年生がよいレポートを書く一番確実な方法は「手間暇かけてやる」ことである。
  11時帰宅。風呂を浴びてから、録画しておいた『医龍』を観る。フィールドノートを付け、2時就寝。

5月24日(水) 晴れ、夕方から雷雨

2006-05-25 01:18:58 | Weblog
  午前中に母と蒲田社会保険事務所に行って遺族年金(厚生年金)の申請手続きをする。待ち時間込みで1時間ほどで終了。帰宅して、共済年金の方の遺族年金の申請書類を揃えて郵送しようと思ったら、年金の証書がないことがわかって、びっくり。厚生年金の手帳と証書は貸金庫に保管しておいたが、共済年金の証書はこれまで一度も見た記憶がないと言う。そ、そんな…。共済組合の事務局に問い合わせたら、紛失届を一筆書いて下さい、それで大丈夫ですとの返事だったので、ホッとする。特定の書式があるわけではないそうなので、私が文案を作り、母に便せんに自筆で書いてもらう。
  お昼に歯科医院へ行く。本当は次回の予約は来週の月曜日なのだが、治療している左上の奥歯の一つ隣の歯の歯茎が腫れて痛いので電話をしたら診てくれるというので、割り込ませてもらうことにした。多少化膿しているが、切開するほどではなく、たぶん今日あたりが腫れのピークでしょうということで、抗生物質と消炎剤が3日分出る。昼食は卵かけ御飯ですます。歯や歯茎が痛いときは食欲もあまりわかない。処方された薬を飲んで、昼寝。いくらでも寝られる感じ。夕方、雷雨。
  夕食は鶏の胸肉の照り焼き。なかなか挑発的なメニューである。もちろん妻にそんな意図があるわけではなく、たんに私の歯が悪いことを忘れているだけなのだ。しかし、意地悪されるより、忘れられる方がつらいことかもしれない。誰かの詩に「この世で一番不幸な女は忘れられた女です」というフレーズがあったのを思い出す。中学生の頃に読んだ詩だ。ひたすら右側の奥歯で鶏肉を噛む。夕食後、『いい旅 夢気分』というまったりとした旅番組をソファーに横になって観ていたら、温泉に行きたくなった。父のお香典(の一部)で家族そろって温泉旅行なんていいのではなかろうか。新緑の林の中の道を散歩し、温泉に浸かり、昼寝をして、夜は持参したアリス・マンロー『イラクサ』を読もう。素晴らしいプランだ。しかし、現実は厳しい。明日は二文の卒論指導と、一文の卒論ゼミと、二文の基礎演習が控えている。いい加減な報告は許さんぞ、と思うのである。

5月23日(火) 曇りのち雨

2006-05-24 02:21:16 | Weblog
  ひさしぶりで大学へ。午前中に最初の会議を終えて、「五郎八」で昼食(天せいろ)。次の会議まで3時間ほどあったので、中央図書館へ行って調べもの。本部の生協でノートを一冊購入してから、文学部に戻り、戸山図書館で調べもの。午後3時から現代人間論系の会合。新学部では基礎講義はオンデマンド形式で行うのだが、そのコンテンツについて話し合う。午後5時から新学部の基礎演習のあり方についての検討会。先日の教授会でわれわれの原案が了承されたので、具体化に向けての詰めの作業に入る。午後7時、終了。生協文学部店で以下の本を購入。

  ジョン・アーリ『社会を越える社会学』(法政大学出版局)
  石原千秋『学生と読む『三四郎』』(新潮選書)
  高橋哲也『戦後責任論』(講談社学術文庫)
  小森陽一『村上春樹論』(平凡社新書)

  「ごんべえ」でカレー南蛮うどんを食べながら『学生と読む『三四郎』』を読む。石原はいま早稲田大学(教育学部)の教員だが、ちょっと前まで成城大学の教員で、本書はその頃の一年間の授業(演習)の記録だ。もっともカレー南蛮うどんを食べながらだから、まだ最初の方しか読んでいない。そこには「いまどきの大学生」や「いまどきの大学教員」のことが書かれていて、それがなかなか面白かった。

  「最近の大学生は勉強しなくなったと言われはじめてから、もうどのくらいの年月が経つだろう。僕は「学生が勉強しなくなった」という見方は、半分当たっていて、半分はずれていると思う。いまの学生は、僕たちの時代とは、勉強する場所が違っているのではないかと思っている。
  一九五〇年代生まれの僕たちの世代までは、学生は教室の外で勉強するものと相場が決まっていた。文学部(正確には、文芸学部)の学生だった僕は、喫茶店に行っても、飲み屋に行っても、文学の話ばかりしていた。たとえば、友達が「処女であり、生気にあふれ、美しい、今日・・・・」などと呟く。その時に、「ああマラルメだね」とすぐに答えられなければ、もう対等な「仲間」だとは見なして貰えなかった。そうやって、友達同士がお互いを厳しく値踏みし合っていた。
  それに、ちょうど構造主義が入ってきたところで、ロラン・バルトやレヴィ=ストロースなどを滅茶苦茶な読み方で読んでいた。ところが国文系の教員はそういう本にはまったく無関心だったから、僕たちははなっから相手にしていなかった。そこで、ますます教室の外で勉強することになった。そのくらい、生意気だった。
  …(中略)…
  ところが、いまは違う。多くの学生にとって、大学は高校や予備校の延長であって、勉強は教室でするものらしいのだ。なにしろ、多くの学生は自分を「生徒」と言うのである。自分が「学生」になったという自覚さえないのだ。だから、僕たちの世代には想像もできないことだが、大学の教師に何かを「期待」しているらしいのである。」

  最後のセンテンスは笑えた。石原は1955年の生まれで、私とは同世代である。だから彼の活写する当時の文学部の学生の生態は、大学は違うものの、同じ文学部の学生だった私には馴染み深いものである。ホント、生意気だった。数々の生意気な発言と態度、申し訳ございませんでしたと言いたい気持だ(言わないけど)。
  下の写真は生協文学部店で購入した本をいれてくれた手提げ袋。可愛すぎて、電車の中で恥ずかしかった。こんな袋を手に提げて家路を辿るなんて、私も素直になったものである。


5月22日(月) 晴れ

2006-05-23 02:14:32 | Weblog
  午前、歯科。左上の奥歯でものが噛めなくなってひさしい。あれやこれやで予約を二度キャンセルしてようやく今日治療を受けられる。ずっと昔に処置したところを掘り返して歯根の炎症の治療をすることになった。治療には時間がかかりそうだ。
  医者から「一時間はものを食べないで下さい」と言われたので、帰宅して、1時間半ほど空腹を我慢してから、冷凍の「カルビ丼の素」というのを沸騰したお湯で暖めて御飯の上に掛けて昼飯とする。もっぱら右側の奥歯で肉を噛む。食べながら今日から始まった宮藤官九郎脚本の昼ドラ『吾輩は主婦である』を観る。主人公の主婦(斉藤由貴)に夏目漱石が乗り移るという設定で、しかもミュージカル仕立てという、昼ドラの概念を破壊する異色の昼ドラである。ビデオに録ってまでは観ないと思うが、家にいる日は観ることになるでしょうね。
  母と一緒に大田区役所に行き、遺族年金の手続きに必要な住民票、非課税証明書、死亡届記載事項証明書などをとってくる。書類の申請は短時間で済んだが、受け取るまでの待ち時間の長かったこと! その間、ずっと母のとりとめのない昔話に付き合わされる。セラピストという仕事はきっと大変だろうなと思ってしまう。
  窓口で書類を受け取って、母はそのまま帰宅、私はくまざわ書店に寄る。以下の本を購入。

  坂本満津夫『高見順の「昭和」』(鳥影社)
  安藤章太郎『僕の東京地図』(世界文化社)
  苅部直『丸山眞男』(岩波新書)
  伊藤光晴『現代に生きるケインズ』(岩波新書)
  鹿野政直『岩波新書の歴史』(岩波新書)
  坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』(文春新書)

  高見順は「清水幾太郎と彼らの時代」の「彼ら」の一人である。清水と同じ1907年(明治40年)の生まれだから、来年が生誕百年である。たんに同じ年の生まれというだけでなく、清水と高見との間には交流があった。清水の三冊目の自伝『わが人生の断片』の第二章のタイトルは「ビルマの高見順」である。『わが人生の断片』は通常の自伝と違って、人生の途中、昭和16年の暮れ(太平洋戦争開戦の2週間ばかり後)、湯島の鳥屋で開かれた忘年会の話から始まっている。その忘年会での話題の一つが、高見順らの作家が徴用で南方へ派遣されたことだった。清水が「僕たちも徴用されるかな」と呟くと、三木清が「そんな馬鹿なことがあるものか。われわれを徴用したら、あちらが困る」と言い、中島健蔵が「そうだ」とこれに和した。しかし、清水も三木も中島もそれからほどなくして徴用され、清水はビルマへ、三木はフィリピンへ、中島はマレーにそれぞれ派遣される。そして清水はビルマで高見順と出会うことになるのである…。この話はいずれ「研究ノート」の方に書くことになるだろう。
  さて、明日から職場復帰だ。いきなり会議が三つ控えている。ちゃんと適応できるだろうか。