フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月25日(火) 曇り

2007-09-26 02:48:40 | Weblog
  午後から大学へ。スロープの縁の一部が工事(新校舎建設)のために切断されていた。大学入学(1973年)以来、三十有余年、初めて目にする光景である。しばし切断面に見入る。へえ、内部はこうなっているのかと、性の神秘に触れた少年(少女)のように見入る。

           

  教員ロビーのメールボックスに後期の担当科目の登録者数のデータが入っていた。ある箇所で「えっ」と視線が停止する。水曜2限の「ライフストーリーの社会学」の登録者数が「400名」とある。最初、私は自分がミスをしたのかと思った。つまり、本来この科目は文化構想学部と文学部の1年生用の科目なのだが、教務に届け出るときに一文・二文との合併科目に指定してしまったのだと思った。そうすると4学部の学生が履修できるので、「400名」という登録者数はありえないことではない。事実、前期にやった「現代人間論系総合講座1」は4学部の合併科目で、登録者数は約300名だった。ところが、確認のため事務所に問い合わせたところ、「ライフストーリーの社会学」の登録者は全員文化構想学部と文学部の1年生で、内訳は前者が230数名、後者が160数名とのことだった。そうか・・・、ということは、新学部の1年生の4人に1人が登録をしている計算になる。すごいなと、他人事のように感心してから、教室が「38-AV」となっているのを見て、溜息が出た。あの教室は苦手である。戸山キャンパスで一番大きな教室であるが、窓がないため閉塞感があり、後ろの席はホワイトボードの文字が見にくく、音響が悪く、冷房が効きにくい(秋冬の科目ながら400名が教室を埋めると室温が上昇し冷房が必要になるのだ)。よいところのひとつもない教室である。この教室の使いにくさは去年、総合講座の授業をここでやったので体験済みである。ちなみに「400名」という切りのいい数字は登録者=登録希望者ではなく、教室のキャパシティに合わせて抽選作業が行なわれたことを示すものであり、抽選に漏れた学生のことを考えるとさらに気分が滅入った。実は、先日、見知らぬ1年生からメールをもらい、「ライフストーリーの社会学」を履修したいのでよろしくお願いしますと書いてあり、演習じゃないから希望すれば履修できますよ、しっかり勉強してくださいと返事のメールを出したばかりなのである。はたしてあの学生は履修できたのだろうか。
  午後1時から現代人間論系の教室会議。議題はたくさんあったが、来年度の時間割の作成がなんといっても大仕事であった。一方に教務から提示された科目配置の基本形があり、他方に個々の教員から聴取した各科目の開設曜限の希望のデータがある。各科目をその第一希望の曜限に配置して、それが同時に教務から要求されている基本形と一致すれば何の問題もないわけだが、そんなことは奇跡でも起きない限りありえず、ある曜限には希望が集中し、反対にある曜限はポッカリ穴があいているというのが初発の形で、これをどうやって理想の形に近づけていくかという話である。「神の見えざる手」なんてものはありませんから。個々人の自由な行為が秩序ある全体を形成するなんてことは、断言するが、絶対にありませんから。実際、私自身が担当する科目はすべて第三希望の範囲では収まらなかった。妥協と犠牲的精神と捨て鉢な気持ち、と見せて、実はそこにしたたかな計算も働いているという虚虚実実の駆け引きの中で、一応の決着をみたのは、日没後のことだった。

9月24日(月) 曇り一時小雨

2007-09-25 02:30:33 | Weblog
  午後、父の墓参りに行く。下谷の泰寿院という寺で、最寄駅はJRの鶯谷である。鶯谷駅の南口改札は橋上駅舎と呼ばれるタイプの線路をまたぐ陸橋と一体化した構造の駅舎で、なかなかの景観である。ちなみに鶯谷駅は山手線の駅の中で一日の乗降客の一番少ないことで知られている。これはおそらく駅の西側が上野の山で、駅の東側にしか人が住んでいないためだと思う。

           

  昨日、妹夫婦が墓参りに来て花を供えてくれていたので、今日私が持参した花と合体させるとずいぶん豪勢な感じになった。墓参りを済ませて、まっすぐ帰宅してもよかったのだが、東京駅で降りて、丸善丸の内店で少しばかり買物をして、店内のカフェレストランで名物のローストビーフのハヤシライスを食べる。日本橋の丸善のハヤシライスは薬膳料理のような苦味があるが、こちらは甘味が強い。別々のレシピで作っているようである。食後にミルクティーを注文し、いましがた購入したばかりのスケジュール帳に10月からの予定を転記する。メインの手帳は毎年同じ能率手帳(早稲田大学仕様)だが、バックアップ用の手帳は気分転換の意味で毎年変える。今回購入したのはこの手帳
  オアゾビルを出ると、知らないうちに雨が降って、知らないうちに雨が上がっていたようである。

           

  ちょっと散歩がしたくなったので、雨上がりの舗道を東京駅とは反対の方向、つまり皇居の方へ歩く。皇居前広場に来たのはひさしぶりである。確かこの前来たのは玉音放送を聴いた日のことだったというのはもちろん嘘で(まだ生まれてませんから)、でも覚えていないくらい昔であることは確かだ。


                   ここは東京23区内で一番空が広々と見える場所である。

  そこから有楽町まで歩き、東京国際フォーラム内のアートショップで、モンドリアンの作品をデザイン化したタンブラーとアドレスブック(前者はニューヨーク近代美術館、後者はグッゲンハイム美術館のショップで売っているもの)を購入。帰宅して妻に夕食の献立を尋ねたら「かつ」とのこと。ほぅ、月曜日に「かつ」とはいい度胸をしているじゃありませんか。もっとも出てきたのはひれかつ、ポテトフライ、たまねぎフライの三種盛り合わせだった。さすがに「鈴文」との真っ向勝負は避けたわけね。しかし、これで明日の昼食を「鈴文」で(今日の振り替え)というプランは変更を余儀なくされた。くそー。

           

9月23日(日) 曇り

2007-09-24 03:15:00 | Weblog
  父の墓参りの予定であったが、朝から母の体調がよくないので(持病の糖尿が悪化したのか?)、付き添って病院(救急)に行く。場合によっては即入院もあるかもしれないと思っていたが、そういう展開にはならず、今日のところは薬を出してもらい、連休明けにいつもの担当医に診てもらうことになった。
  そんなこんなで疲れてしまい、午後は長い昼寝。夕方、散歩に出る。涼しさを感じる。新星堂でCDを2枚購入。昨日のワセオケの演奏会で聴いたヴェルディの「運命の力」序曲や「アイーダ」前奏曲の入ったCD(シノーボリ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほか)と、サン=サーンスの交響曲第3番の入ったCD(バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団ほか)。栄松堂で本を2冊購入。東海林さだお『コロッケの丸かじり』(朝日新聞社)と、出口保夫『英国流、質素で豊かな暮らし方』(柏書房)。シビタスで読書。

  「イギリス人のちょっとした家庭なら、その住まいの片隅にコージー・コーナーという、暖かく快い空間がある。彼らは日本人以上に、マイ・ホームへのこだわりがあり、そのこだわりの象徴的な場所が、コージー・コーナーだと言えよう。だがわれわれの家庭で、きっちりとそんな暖かく心地よいコーナーを持っている人は、すくないと思う。それは風土や環境が違うのだから、当たりまえのことだが、家庭でのライフ・スタイルがだんだん変わってきているのだから、そろそろコージー・コーナーを、家の中につくり出すことを考えてみてはどうだろうか。」(出口、44頁)

  著者の提案には一理ある。しかし同意しかねる部分もある。現代の日本で「コ-ジー・コーナー」と聞けば、多くの人は洋菓子の「銀座コージー・コーナー」を連想するであろう。「コージー・コーナー」を「コーヒー・コーナー」と勘違いしている人もいるのではないかと思う。コージー(cozy)とは「寛ぎの」という意味であり、そうした場所が、イギリスでは自宅の片隅にあり、日本では社会(自宅の外)の片隅にあるわけだ。これはイギリスと日本では家族(家庭)と個人の関係に違いがあることを端的に示している。日本人が家庭で寛ぐのはなかなか難しいことなのである。たしかに、われわれも家庭を寛ぎの場所として考えていないわけではないが、そうした家庭イメージはそもそも西洋からの輸入品である。これは出口自身が書いていることだが、イギリスにおいて「コージー・コーナー」という概念(及びそれと密接に結びついた「アフタヌーン・ティ」の概念)が普及したのは19世紀の中頃である。18世紀のロンドン市民は家庭ではなく、街角のコーヒー・ハウスを寛ぎと社交の場所にしていた。街角のコーヒー・ハウスが自宅のコージー・コーナーに取って代わられたのは、経済発展に伴う中産階級の家庭の台頭によるところが大きい。出口の目には、現代の東京は18世紀のロンドンのように見えているのかもしれない。しかし、個人主義を伝統とする社会では孤独(個人主義の病理的側面)からの救済として家族や恋人との関係が求められるのに対して、集団主義を伝統とする社会では、求められるのはむしろ逆のベクトル、集団への過度の組み込まれから個人を解放してくれる場所なのである。われわれにとって家族(家庭)は大きな重力をもつ集団である。親子関係、夫婦関係、きょうだい関係、嫁姑関係・・・そこに生じる葛藤を近現代日本の小説は繰り返し繰り返し描いてきた。われわれの社会が必要とするのは、家庭と職場という二つの大きな磁場をもつ集団に、個人が埋没し、あるいは引き裂かれることがないように、適度な距離をもってコミットしていくための方法論である。街角のコーヒー・ハウスはそうした方法論のための有力なアイテムの1つであると思う。

           
                  今日はレモンジュース

  「コロッケパンのコロッケは、パンの切れ目に軽くはさんであって、パンから少しはみ出している。その居住まいというか、たたずまいを目にするたびに、ぼくはいつも銀行や駅のベンチなどで浅く腰かけている人を思い出してしまう。」(東海林、122頁)

  やっぱり、東海林さだおは天才である。

9月22日(土) 晴れ

2007-09-23 07:17:45 | Weblog
  残暑のきびしい一日だった。しかし、明日以降は涼しくなるそうだから、最後の真夏日かもしれないと思うと、残暑も愛おしい気持ちになる。
  午前、横浜の三ツ沢墓地へ義父の墓参りに行く。墓石の上から水をかけるのはいけないという人もいるが、今日の暑さは、それをせずにはおれない。墓参りをすませ、横浜で食事をし、妻、義母、義姉らとはここで別れ、高島屋6Fの伊東屋を覗く。秋のデザインの絵葉書を数枚購入。ノートと同じで、さしあたり使い途があるかどうかは考えないで、気に入ったデザインのものはついつい買ってしまうのだ。

           

  いったん自宅に戻って、昼寝などをしてから、夕方から再び外出。早稲田大学交響楽団の秋季演奏会が文京シビックホールであるのだ。駅までの道が午前中とは違って、どこかしら秋めいている。明日は秋分。これからは昼よりも夜が長くなっていくのだ。

           

  都営三田線の春日駅を降りて、地下道を歩いてシビックホールの地階に出る。前回(6月3日)同様、吹き抜けを見上げると長蛇の列が出来ている。ただしこれは自由席や当日券を求める人たちの列で、指定席のチケットを持っている人の列は20メートルくらい。前回、私はこれを知らないで、長蛇の列の末端に並んでしまって、入場までにだいぶ時間がかかった。開場までまだ時間があるようなので、館内の喫茶店で喉を潤そうかと思ったが、混んでいたので、外に出て、路上の自販機のグレープフルーツジュースを飲む。時刻は5時半になろうとするところ。暮れなずむ街の風景の中でシビックホールはずいぶんと大きく見えた。

           

  予定の6時を少し遅れて開演。本日の演目は以下の通り。

  ベートーヴェン バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲 作品43
  ベートーヴェン 劇音楽「エグモント」序曲 作品84
  ベートーヴェン 序曲「レオノーレ」第3番 作品72
  ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」序曲 作品77
  ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲
  ヴェルディ 歌劇「運命の力」序曲
  ロッシーニ 歌劇「セミラーミデ」序曲
  ヴェルディ 歌劇「アイダー」より凱旋行進曲

  冒頭の曲(ベートーヴェンのバレエ音楽は珍しい)以外は、すべて歌劇の曲である。必然的に劇的(ドラマッチック)な構成の曲が多い。前回は「白鳥の湖」から抜粋されたいくつかの曲を聴いて、ぜひバレエ音楽をバレエと切り離されていない状態で聴いてみたいと思い、それから2週間後の牧阿佐美バレエ団の公演(眠れる森の美女)に出かけていったわけだが、歌劇の曲の場合は、バレエの曲と比べて、音楽作品としての独立性が高いように感じられる。私は歌劇の公演に出かけて行ったことがないので、まったくの憶測でしかないわけだが、歌劇の曲は歌手の歌声なしでも十分にやっていける。別の言い方をすると、10月8日に新国立劇場で歌劇「タンホイザー」全3幕があるのだが、今日の「タンポイザー」序曲を聴いてもそれに行こうという気持ちは起こらない。もっとも、ここには歌劇のチケットは高いという別の要因も働いてはいるとは思う。牧阿佐美バレエ団の公演チケットは一番いい席でも1万円前後だが、10月8日の「タンホイザー」を一番いい席で観よう(聴こう)と思ったら2万5千円も出さねばならないのである。だから、歌劇の曲は独立性が高い云々という私の感想は、「すっぱい葡萄」の心理が働いたものかもしれない。
  帰りの地下鉄の車内から、今日の最後の曲でトランペットを吹いていたO君(私の演習の学生である)にメールを打つ。彼の演奏そのものももちろんよかったが、私が感心したのは、彼がトランペットを吹いて「いない」ときの姿勢である。毅然として凛々しかった。トランペット奏者は何人もいたが、彼はその姿勢において、一段秀でていた。音を出していないときの奏者はレコードやCDでは存在していないのと同じであるが、演奏会ではそうではない。演奏会では視覚も大切なのだ。 

9月21日(金) 晴れ

2007-09-22 03:11:10 | Weblog
  昼から大学へ。蒲田駅前で東急プラザの宣伝隊が何か配っている。手渡されたのは「プラス君」というキャラクターのストラップであった。ムーミンの漫画にこんなようなキャラクターが登場していたような気がする。形状から言って「マイナス君」あるいは「÷君」ではないのかと思う。一人からもらい、少し歩いたら、また別の一人からもらった。

           
   
  地下鉄の駅を出て、郵便局で古本の代金を振り込んでから、予想される長時間の教授会に備えて、久しぶりに「すず金」の鰻重を食べる。これで延長ナイターもOKである。生協戸山店で『DO!ソシオロジー』(有斐閣)を30冊ほど注文する。社会学演習ⅠBの後期のテキストである。
  教授会は2時に始まって7時に終わった。しょっぱなから5時間の長丁場であった。ふう。鰻重のおかげで乗り切ることができたが、会議室は冷房の効き過ぎで、せっかく直った風邪がぶりかえしたらどうしようかと思った。これからは開幕一週間前の先発投手のように体調万全を心がけなければならない。
  「プラス君」は隣の席に座っておられた嶋崎先生に飴玉のお礼に一個差し上げた。その場でキーホルダーに付けておられたから気に入っていただけたようである。夜、帰宅した娘に「プラス君」を見せて、いるかと尋ねたら、チラリと見て、「いいわ」(いらない)と言った。