午後から大学へ。スロープの縁の一部が工事(新校舎建設)のために切断されていた。大学入学(1973年)以来、三十有余年、初めて目にする光景である。しばし切断面に見入る。へえ、内部はこうなっているのかと、性の神秘に触れた少年(少女)のように見入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/e4/cb6eb540d06e3f00e94959bf89c0f96e.jpg)
教員ロビーのメールボックスに後期の担当科目の登録者数のデータが入っていた。ある箇所で「えっ」と視線が停止する。水曜2限の「ライフストーリーの社会学」の登録者数が「400名」とある。最初、私は自分がミスをしたのかと思った。つまり、本来この科目は文化構想学部と文学部の1年生用の科目なのだが、教務に届け出るときに一文・二文との合併科目に指定してしまったのだと思った。そうすると4学部の学生が履修できるので、「400名」という登録者数はありえないことではない。事実、前期にやった「現代人間論系総合講座1」は4学部の合併科目で、登録者数は約300名だった。ところが、確認のため事務所に問い合わせたところ、「ライフストーリーの社会学」の登録者は全員文化構想学部と文学部の1年生で、内訳は前者が230数名、後者が160数名とのことだった。そうか・・・、ということは、新学部の1年生の4人に1人が登録をしている計算になる。すごいなと、他人事のように感心してから、教室が「38-AV」となっているのを見て、溜息が出た。あの教室は苦手である。戸山キャンパスで一番大きな教室であるが、窓がないため閉塞感があり、後ろの席はホワイトボードの文字が見にくく、音響が悪く、冷房が効きにくい(秋冬の科目ながら400名が教室を埋めると室温が上昇し冷房が必要になるのだ)。よいところのひとつもない教室である。この教室の使いにくさは去年、総合講座の授業をここでやったので体験済みである。ちなみに「400名」という切りのいい数字は登録者=登録希望者ではなく、教室のキャパシティに合わせて抽選作業が行なわれたことを示すものであり、抽選に漏れた学生のことを考えるとさらに気分が滅入った。実は、先日、見知らぬ1年生からメールをもらい、「ライフストーリーの社会学」を履修したいのでよろしくお願いしますと書いてあり、演習じゃないから希望すれば履修できますよ、しっかり勉強してくださいと返事のメールを出したばかりなのである。はたしてあの学生は履修できたのだろうか。
午後1時から現代人間論系の教室会議。議題はたくさんあったが、来年度の時間割の作成がなんといっても大仕事であった。一方に教務から提示された科目配置の基本形があり、他方に個々の教員から聴取した各科目の開設曜限の希望のデータがある。各科目をその第一希望の曜限に配置して、それが同時に教務から要求されている基本形と一致すれば何の問題もないわけだが、そんなことは奇跡でも起きない限りありえず、ある曜限には希望が集中し、反対にある曜限はポッカリ穴があいているというのが初発の形で、これをどうやって理想の形に近づけていくかという話である。「神の見えざる手」なんてものはありませんから。個々人の自由な行為が秩序ある全体を形成するなんてことは、断言するが、絶対にありませんから。実際、私自身が担当する科目はすべて第三希望の範囲では収まらなかった。妥協と犠牲的精神と捨て鉢な気持ち、と見せて、実はそこにしたたかな計算も働いているという虚虚実実の駆け引きの中で、一応の決着をみたのは、日没後のことだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/e4/cb6eb540d06e3f00e94959bf89c0f96e.jpg)
教員ロビーのメールボックスに後期の担当科目の登録者数のデータが入っていた。ある箇所で「えっ」と視線が停止する。水曜2限の「ライフストーリーの社会学」の登録者数が「400名」とある。最初、私は自分がミスをしたのかと思った。つまり、本来この科目は文化構想学部と文学部の1年生用の科目なのだが、教務に届け出るときに一文・二文との合併科目に指定してしまったのだと思った。そうすると4学部の学生が履修できるので、「400名」という登録者数はありえないことではない。事実、前期にやった「現代人間論系総合講座1」は4学部の合併科目で、登録者数は約300名だった。ところが、確認のため事務所に問い合わせたところ、「ライフストーリーの社会学」の登録者は全員文化構想学部と文学部の1年生で、内訳は前者が230数名、後者が160数名とのことだった。そうか・・・、ということは、新学部の1年生の4人に1人が登録をしている計算になる。すごいなと、他人事のように感心してから、教室が「38-AV」となっているのを見て、溜息が出た。あの教室は苦手である。戸山キャンパスで一番大きな教室であるが、窓がないため閉塞感があり、後ろの席はホワイトボードの文字が見にくく、音響が悪く、冷房が効きにくい(秋冬の科目ながら400名が教室を埋めると室温が上昇し冷房が必要になるのだ)。よいところのひとつもない教室である。この教室の使いにくさは去年、総合講座の授業をここでやったので体験済みである。ちなみに「400名」という切りのいい数字は登録者=登録希望者ではなく、教室のキャパシティに合わせて抽選作業が行なわれたことを示すものであり、抽選に漏れた学生のことを考えるとさらに気分が滅入った。実は、先日、見知らぬ1年生からメールをもらい、「ライフストーリーの社会学」を履修したいのでよろしくお願いしますと書いてあり、演習じゃないから希望すれば履修できますよ、しっかり勉強してくださいと返事のメールを出したばかりなのである。はたしてあの学生は履修できたのだろうか。
午後1時から現代人間論系の教室会議。議題はたくさんあったが、来年度の時間割の作成がなんといっても大仕事であった。一方に教務から提示された科目配置の基本形があり、他方に個々の教員から聴取した各科目の開設曜限の希望のデータがある。各科目をその第一希望の曜限に配置して、それが同時に教務から要求されている基本形と一致すれば何の問題もないわけだが、そんなことは奇跡でも起きない限りありえず、ある曜限には希望が集中し、反対にある曜限はポッカリ穴があいているというのが初発の形で、これをどうやって理想の形に近づけていくかという話である。「神の見えざる手」なんてものはありませんから。個々人の自由な行為が秩序ある全体を形成するなんてことは、断言するが、絶対にありませんから。実際、私自身が担当する科目はすべて第三希望の範囲では収まらなかった。妥協と犠牲的精神と捨て鉢な気持ち、と見せて、実はそこにしたたかな計算も働いているという虚虚実実の駆け引きの中で、一応の決着をみたのは、日没後のことだった。